〈歴史〉と対面した日々でしたね。
10月20日(土)は野村秋介さん追悼の「群青忌」に行きました。第25回です。あの事件からもう25年になるのか、と驚きました。
その間、我々は何をやってきたのか!と大原さんや犬塚氏も壇上で話してましたね。皆、同じ気持ちでしょう。
とても野村さんのように生きることは出来ませんが、野村さんの教えを少しでも受け止め、人々に伝えていきたいと思います。
そして、次の日、10月21日(日)は、山中湖に行ってきました。山中湖のすぐそばにある「三島由紀夫文学館」に行ったのです。全く初めてでした。申し訳ない気持ちです。
小さい会館かと思ったら、とても大きいし、広い会館でした。資料も沢山あって、ビデオも見切れなかったです。又、ゆっく行って勉強したいと思いました。
この日は、猪瀬直樹さんの講演会があるというので、それで聞きに行ったのです。とてもいい話でした。終わって、いろいろとお話をしました。
この2日間で、野村秋介と三島由紀夫、二人の民族派活動家・思想家の思い、人生を聞いたわけです。まさに、〈歴史〉に直面した2日間という感じでした。又、全国から多くの人々が来てましたし、多くの出会いがありました。
では、まず、群青忌の方です。時間キッチリに始まる。まず、お坊さんが登場しており、野村さんの慰霊祭が始まりました。厳粛な行事です。
これが第1部で、第2部は、追悼の行事です。大原康男さん、犬塚博英さんが話します。野村さんにもっとも信頼されていた人々です。その人たちですら、野村さんの死後数年間は何をしていいか分からなかったと言ってます。
25年前、朝日新聞社で自決した野村さんの朝日新聞との会見のテープが流されました。そして最後に、ピストルの音も…。何度聞いても胸が引き裂かれます。
又、野村さんの思想や人生を伝えるビデオも流されました。野村さんの言葉は今も我々の胸を打ちます。
又、野村さんと親しかった人々も、コメントしています。「朝生」で一緒だった大島渚さん、そして石原慎太郎さんなどです。やはり、凄い人だったと思います。
ビデオはかなり前に作られ、その後、何度か直しながら、今のような完全な形になったと思います。プロの映画監督が手を入れてます。
最後は野村さんがサイパンに行って、日本の特攻機が眠ってる海底に潜り、そこで日本の戦争や特攻について語るところで終わります。
「群青」の音楽も実に効果的です。「群青」は野村さん本人が歌ってます。これも実にいいですね。胸にしみます。
日本の特攻機がアメリカの空母目がけて突撃して行きます。そうはさせじとアメリカ側は大砲を撃ってバリアーを張ります。
ほとんどの特攻機は撃ち落とされる。海面に突っ込みます。空母に突撃出来たものは、ほんのわずかです。
何という悲壮な攻撃。何度見ても涙が出ます。この人たちが日本を守ったのです。自分が自決することによって、日本は少しでも長く生きられる。日本の人々も生きられる…と思って。
でも、そんな人たちを守るよりも、ここで死んでいった特攻隊の人たちの方が尊いのではなかったか。この人たちを守るべきだったのではないのか。そんなことも思います。
特攻の人たちの気持ちとは違うかもしれませんが、そんなことをつい考えてしまいます。
若い優秀な人たちをムザムザと殺すような戦争なんて、全く意味がないと思います。
もう二度とこんなことを繰り返してはなりません。「今の奴隷の平和でいいのか!」と怒る人もいるかもしれません。又、「イザとなったら戦争も辞さない覚悟が必要なのだ!」と叫ぶ人もいるでしょう。
でも、本当にそうなのでしょうか。特攻で犠牲になった人々の尊い死を無にしてはならないと思います。そんなことをずーっと考えていました。
終わって、高木さんと一緒に食事をしました。高木さんは、劇団「再生」を率いて、三島や野村さんの闘いを〈再現〉しています。追体験をしているのでしょう。
11月には三島の「殉教」をやります。多分これは初めてでしょう。期待しています。今から楽しみです。
そして21日には、山中湖にある三島由紀夫文学館に行きました。昔から存在を知ってましたが、なかなか行く機会がなかったのです。
三島研究家の瀧沢さんの車に乗せてもらいました。山中湖に行く途中に、前方に巨大な山が見えました。
山の半分以上が白い雪に覆われていました。初めは分からなかったのですが、富士山でした。
いつも見てる(新幹線などから)富士山とは形が違うので、驚きました。凄く大きいし、雄大です。ウーンと唸りました。これを見ただけでもよかった。
実は私は、富士山に、三度も登ってます。頂上まで行ってるんです。驚きでしょう。
河口湖には生長の家の錬成道場があって、何度か来て、錬成会に参加しています。大学生の錬成にも行きましたし、「受験生錬成」にも指導で行きました。受験生に勉強を教え、受験する心構え、信念を教えるのです。
そして必ず富士登山をするのです。そこで、私は三度も登ったのです。これは、とても大きな自信になりました。
だから、今回も山中湖に行く時に、ついでに河口湖にも寄ってみたい、と思ったのですが、かなり離れているようで、ムリでした。
山中湖も大きくて、きれいでした。すぐそばにレストランがあり、そこで「ほうとう」を食べました。幅の広いウドンです。おいしかったですし、レストランから見える山中湖もきれいでした。ボートも沢山ありました。乗りたかったですが、文学館に行く時間なので、やめました。
〈三島由紀夫文学館〉は、小さなところかなと思ってたら、かなり大きいし、広い建物だったのでビックリしました。又、資料も沢山ありました。
三島の初版本が全部あるし、日記や、豪華な資料がありました。又、ビデオもよく揃えられていて、私は字も見ないで、「時間だから」と、次に行きました。
今度又、ゆっくりと見たいと思います。今まで知らなかったこともあり、とても勉強になりました。
そして、三島文学館館長の佐藤秀明さんにお会い出来ました。
佐藤さんは近畿大学教授でもありますし、三島の本の解説なども随分と書いてます。最近出た『三島由紀夫紀行文集』(岩波文庫)にも素晴らしい解説を書いてます。突然来たのに、心から歓迎してくれました。
又、この文学館の成り立ちなども話してくれました。皆から喜ばれて造られたのかと思ったら、いろいろと大変な苦労があったといいます。
東京など交通の便のいいところに初めは建てようとしたのですが、三島と聞いて、皆、反対したそうです。他の地方自治体もそうでした。引き受けてくれないのです。
どうして?と思いました。世界的な大作家じゃないか。その作家の記念館を造るのだ。どこだって大歓迎のはずじゃないの?と思ったのですが、どうも、1970年の「三島事件」が響いているんですね。
あの事件では、三島は事件の当事者であり、「犯人」です。それで、どこの自治体も尻込みしたんですね。
大都市がムリならば、全国の地方自治体に打診したら、山梨県だけが手を上げてくれたそうです。それで山梨県に建ったのです。ありがたいと思いましたね。
山梨には誇るべきものが二つがあるんですね。富士山と三島由紀夫文学館。三島由紀夫のペンネームは、彼が三島を通った時に思いついたそうです。三島から見た富士山はとても素晴らしかった。それで「三島由紀夫」という名前にしたそうです。
じゃ、我々も、ぜひ行ってみよう。三島に。ということで、近いうちに行ってみたいと思ってます。
10月20日と21日。野村秋介と三島由紀夫。この2人について考えさせられた2日間でした。日本の〈歴史〉に直面した2日間でした。もっともっと2人の本を読み、勉強したいと思いました。
①たけもとのぶひろさんの新しい本が出ました。驚きました。『今上天皇の祈りに学ぶ』(明日堂書店)です。たけもとさんは、ペンネームが「滝田修」で、左翼過激派のリーダーでした。赤衛軍による自衛官刺殺事件で指名手配されました。全くの冤罪です。そして全国を逃げ回りながら、2冊も本を出しました。凄い人です。私も何度か会ってます。今度は天皇の本です。もしや仲間内からも「転向者」と言われてるのでしょう。とても勇気があると思います。すぐに読みました。感動しました。