6月2日、桂歌丸さんが亡くなった。81才だった。
歌丸さんはテレビ「笑点」の5代目司会者として長く務め、古典落語の名手として知られていた。
テレビ、新聞はその功績を讃え、特集していた。その中で産経新聞(7月3日)の「評伝」がひときわ目を引いた。
〈人気におごらず古典芸磨く〉
とタイトルにある。ともかく努力家だったし、勉強家だった。
昭和11年、横浜市生まれ。生家は遊廓だった。なかなかいない。いたとしても、多分、隠しただろう。歌丸さんは後に落語家として大成したからこそ「生家は横浜の遊郭だよ」と言えたのかもしれないが…。
幼い頃から遊女の所作を見、その話し方を耳にして育った。中学生の時にラジオで聞いた落語にのめり込む。
「これしかない」と思った。人間の生き方を伝え、自分を伝えるのはこれしかない。革命的な芸術だと思ったのだ。
自分の生家、幼い日の思いもあったのだろう。生まれた意味、そして、コンプレックスなども含め、全てを表現出来る世界がここにあると思った。
そして中学3年で5代目古今亭今輔(いますけ)に入門した。今輔は新作落語で知られていたが、歌丸さんは古典志向だ。そして破門になる。
一時的に、化粧品のセールスマンをして働いていた。落語への未練は断ちがたく、三遊亭扇馬(せんば)の取りなしで、兄弟子の桂米丸の弟子となって復帰がかなった。
それから「笑点」のメンバーとなり、パッと芽が出た。そこからが本領が発揮されるところだ。
「評伝」では、こう書いている。
〈半世紀にわたって人気テレビ番組「笑点」メンバーを務めたが、人気におごることはなかった。「脇役こそが似合っている」と自任し、読書や歌舞伎観劇などで自分を深めながら、埋もれていた噺(はなし)を発掘。自分なりのアレンジを加えて口演した。「毛せん芝居」など歌丸さんでしか聞けない噺も多かった。こうした地道な努力を続け、落語家として本当に開花したのは60歳を過ぎてから。現代では演じる者の少なくなった三遊亭円朝作の「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」に取り組み始めたころからだ。絶妙の間と噛んで含めるような語り口、さらに独特の色香を発する所作で、円朝の世界を見事に描いてみせた〉
60才からが本番だったんだ。そして円朝に取り組んで長い噺をやる。
病気なのに耐えて、1時間もの長い噺をよくやっていた。たいしたものだ。
円朝といえば、「落語・中興の祖」といわれる。彼の創作落語は多い。今は志の輔さんも取り組んでいる。よくやっている。
今まで「中村仲蔵」を聴いたし、8月には、「牡丹燈籠」をやる。
私も円朝が好きで、「全集」を読んでいる。なかなかいない。
『辞林21』(三省堂)から、円朝を引いてみよう。
〈三遊亭円朝(初世 1839ー1900)落語家。江戸の生まれ。『牡丹灯籠』『真景累ヶ淵』『塩原多助』など芝居噺、怪談噺、人情噺を自作自演〉
大作を自ら書き、作り出し、自ら演じたのだ。これは凄い。
「全集」だって10巻ぐらいある。プロの落語家だって全部読んだ人はめったにいない。これだけは私の自慢だ。志の輔さんやブラックさんも「凄いね」と言ってくれる。
円朝のお墓は谷中の全生庵にある。毎年、追悼のおまつりをやっている。私もよく出ている。
円朝のずっと後の、三遊亭円生という人がいる。この人も、真面目な人だった。
私は学生時代に何度か聴きに行った。CDなどでは出てるので全てを聴くことが出来る。名人だ。大名人・円朝もこんな感じだったのか。そんなことを思わせる。
この円生だが、CDといっても寄席のCDではない。落語家が出してるのは、ほとんど寄席のCDだ。その方が、客の笑い声があり、掛け声がある。ライブ感があっていい。でも円生は、そんな「寄席」が嫌いだった。
変なとこに笑い声を立てられるとムッとする。掛け声だって、場違いなとこにやられたら困る。
そこで、CDは全て、無人のスタジオで録った。そこなら「雑音」が入らない。どうしてもおかしい時に自分で「ウフッ」と笑ったりする。変なとこで笑い声が入ると嫌なのだ。
つまり、「芸術家」なんですね。大衆の寄席という感じが嫌いなのだ。その孤高の営みもいいと、私は思った。
そういえば、実際の寄席でも、この人の時は、皆、シーンとして真剣に聴いていたよな、と思い出した。
そうだ。快楽亭ブラックさんと話をしたのは、6月30日だ。落語の話を生真面目にやった。ただ、円朝などの話もかなりしていた。又、志の輔さんの落語をよく聴いていて、円朝や円生の落語も「落語」っていうのか、と思った。
これは志の輔さんにも聞いた。「真景累ヶ淵」にしろ「中村仲蔵」にしろ、途中で笑うところはない。話芸と構想力で聴かせる。ゲラゲラ笑わせて聴かせる「落語」という感じでは全くない。
でも「落語」と言うし、「講談」とは言わない。どうしてだろう。このことは、ブラックさんにも聞いてみた。落語家がやると落語だ。講談師がやると講談になる、ということらしい。
それともう一つ、円朝のような話をやる人は、「噺家(はなしか)」と呼ばれていた。なるほど、それは分かる。
「噺家(はなしか)」か。こっちの方が範囲も広そうだ。「真景累ヶ淵」などは「お笑い」ではなく、「怪談」だ。壮大な「はなし」だ。
それに円朝の落語には、外国のものもある。イギリスやフランスの人たちが大活躍する「噺」だ。これはぜひ聴いてみたい。でも今、誰もやる人がいない。円朝の「全集」で読むしかない。
「円朝全集」は実にいい。角川と岩波で2度出してるのかな。中のしおりのような小冊子に書いてくれと言われて書いた。
いい記念になった、と思う。かなり前だし、又、「全集」だって読み返してみようかな。
それから、円生のCDも聴き直してみようかな。ウォークマンを買って、ランニングをやりながら聴くというのもいいな。体力作りと勉強を兼ねている。と、いろいろ考えている。
⑥「週刊アエラ」7月9日号。私の書評が載ってます。国松警察庁長官狙撃事件の詳しい報告という『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』 (講談社)を取り上げました。凄い事件でしたし、凄い犯人ですね。驚きました。