6月12日(火)午後6時半から、内幸町の日本プレスセンターAホールで行われました。「むのたけじ賞」発足の集いです。
正式には、「むのたけじ 地域・民衆ジャーナリズム賞」といいます。反骨のジャーナリスト・むのたけじさんを記念し、このあとに続こうというライターの養成を目指し、創られた賞です。
この日は、午後5時半から9Fロビーで、「呼びかけ人」の打ち合わせ。そして6時半から、「記者会見」でした。呼びかけ人は以下の6人です。
鎌田慧(ルポライター)。落合恵子(作家)。轡田隆史(ジャーナリスト)。佐高信(評論家)。鈴木邦男(のりこえねっと共同代表)。永田浩三(武蔵大教授)。武野大策(看護専門学校非常勤講師)。
皆、現役のライターですし、錚々たるメンバーだ。武野大策さんはむのたけじさんの息子さんだ(二男)。埼玉に住んでいて、むのさんは、最後は埼玉の息子宅に引っ越した。
私も、この「呼びかけ人」に入れてもらったことは光栄だ。武野さんとは何度か会っていて、対談もしている。又、息子の武野大策さんとも対談している。
むのさんは101才まで生きた。100才になった時も確か対談をした。私は100才を超えて対談した人は2人しか知らない。むのさんと、日野原さんだ。2人とも対談している。そして感動的対談だった。
むのさんには、ジャーナリストとしての覚悟を聞いた。今の日本は責任や覚悟がない。首相自らが嘘をつき、責任を取らない。そんな中でむのさんの行動は偉い。朝日新聞社の記者だったむのさんは、一人、戦争を肯定した記事を書いたことを反省し、社を辞めた。「何も辞めることはない。個人で止められなかったのだ」と、多くの人が止めた。でも、むのさんは、辞めた。他にこんな人はいない。たとえ、社に言われるままに書いた記事でも「責任」はある。それを考えて社を辞めて、郷里の横手市に戻り、週刊「たいまつ」を発行し続けた。
これも凄い。普通なら、とてもやらない。
「この人は凄い。横手には凄い人がいる」ということは親や近所の人から聞いていた。誰も責任を取ろうとしないのに、一人だけ「責任」を取った。これは凄いことだと子供心にも思った。
私は福島県郡山生まれで、その後、福島県、青森県、秋田県と、父親が税務署に勤めていたので、2、3年ずつ変わったのだ。でも、小、中学校で10年以上、秋田県にいた。だから「秋田県人」だと思っている。秋田市、横手市、湯沢市といた。横手にいた頃、むのさんは、よく父のことを取材に来て、酒を飲んでたという。父は横手市の税務署長だった。その仕事のことで取材に来てたのだろう。
「呼びかけ人」たちは、むのさんのずっと後輩だ。でも、この賞は楽しみかもしれない。
ただ「呼びかけ人」の轡田さんは、元朝日の記者で、筑紫さんや本多勝一さんなどと同期だという。
今、この「呼びかけ人」の私の肩書きが変わっていた。〈元一水会代表〉とか〈元右翼団体〉と書かれることが多い。
私はむのさんに会ってるし、むのさんの本も出来るだけ読んでいる。
不思議な人だ。たった一人で世の中を変えようとしたのだ。普通なら、「一人だけ立ち上がっても何も変わらない。無理だ」と思う。
しかし、かつて左翼のジャーナリスト・竹中労は言っていた。「人間は弱いから群れるのではない。群れるから弱いのだ」と。これは自らの体験で言ってるのだ。むのさんにも言える。
むのさんの本は高いのもあるが、新書でも随分出てる。『99歳一日一言』(岩波新書)。これは分かりやすく書いている。知らない人はこれを読んだらいい。
〈ジャーナリズムが枯れたら、そこは水のない川だ〉
〈ペンはそれを冠にしている。悪の横行を許さぬ。これがペンの役目だ〉
さらに、こうも書いている。
〈反骨はジャーナリストの基本性質だ。だから反骨のジャーナリズムは基本重視だ。「空色の空」のようだ〉
それが存在するのは、日本のジャーナリズムが反骨を失ってしまったからだ。
そして、戦争時の新聞のていたらくについても厳しく批判する。又、警察や特高が来て、検閲したのではない。そして、思いもしないことを言う。
〈ではその当時、警察や憲兵隊が報道現場に乗り込んで、検閲し取り締まった。そんな光景は、全国どこの新聞社でも全く見られない。新聞社が自己規制した。当局の検閲を受ける前に自分たちで自粛した。
又、こうも書いている。
〈…そしてどうなったか。迫害や弾圧によって自分を駄目にするよりも、自分で自己規制した。すぐに戦争が終わって、70年近くになるのに、我が身を語るのにジャーナリストという自覚はない。最近は、「メディア」という言葉を使っている。「反骨」がない。どうするつもりか。
厳しい言葉ですね。でも本当にそうですね。さて、「むのたけじ賞」、どんな作品が集まるか。楽しみでもある。
①前から行きたいと思ってたのですが、やっと行けました。軽井沢にある「浅見光彦記念館」です。6月9日(土)に行きました。浅見光彦は内田康夫の書いた小説の主人公です。本は勿論、テレビ、映画にもなって、大評判になりました。【※この辺り読めません】小説は勿論、テレビも、私は見てます。大ファンです。それに、この記念館、世界で唯一です。だって作者ではなく、小説の主人公が「記念館」になっているのはこの記念館だけですから。
⑱6月12日(火)。午後6時半より、日本プレスセンターAホールで、「むのたけじ賞」発足の記者会見がありました。大勢の人が集まりました。この賞は正式には「むのたけじ 地域・民衆ジャーナル賞」と言います。むのさんを慕う人が作り、むのさんに少しでも近づこうという思いで作りました。