なぜか、身近で、事故が続いてました。
寅次郎君が自転車に乗っていて怪我をして、救急車で運ばれ、病院にしばらく入院してました。
退院し、今は元気に仕事に復帰しています。でも、事故の時の記憶がないそうです。気がついたら救急車の中で、「かなり危ない」と言われたそうです。
頭から地面に叩きつけられ、頭の骨を骨折した重傷でした。でも、奇跡の回復力で退院しました。
初め、車とぶつかったかと思いましたが、それはなくて、自分でこけたんだそうです。自転車はちゃんと大丈夫でした。今はその自転車で動き回っています。
冤罪の救援をやっているし、国家にとって不都合なやつだと、国家、あるいはアメリカCIA、あるいはISから狙われたのではないか。と憶測する人もいますが、分かりません。それはないようです。
1月6日の名古屋読書会には、その事故があって、寅ちゃんは来れませんでした。
その日、四国に帰省していた塩田さんが、故郷から駆けつけてくれましたが、寅ちゃんの呪いか、急に調子が悪くなり、そのまま出席しないで帰ってしまいました。
又、瀧沢さんのお父さんが倒れて、瀧沢さんは急に看護に行きました。
それで2月10日(土)の瀧沢さんの結婚式はお父さんは出席出来ない。入場の時、バージンロードを一緒に歩く人がいない。それで、「鈴木さん、お父さんの代わりに歩いて」と頼まれて、私が出たわけです。
でも、その頃から、寅ちゃんの呪いなのか、私はよく転ぶ。でも大したことはなかった。
ところが、事故が起きたのは3月1日(木)だ。学校に行こうと思い、焦っていた。少し遅れていたし。
ところが、急に焦って、身体は前に行ってるつもりだが、足がもたついて、ついて行けない。もつれて、転んだ。
だめだな。こんなことで転んで、と思っていたが。かなり、勢いよく転んだ。両手をついて、血だらけになった。
焦って起き上がろうとしたが、起きられない。バタバタしているうちに、頭や顔を打ったようだ。
近くの人が駆けつけてきて、「大丈夫ですか」と声をかけ、起き上がらせてくれる。
何とか、学校に行った。でも、両手も顔も頭も血だらけだ。「大変だ。病院に行かなくちゃ」と言われ、近くの救急病院に連れて行かれた。
「骨折してないか」「脳波に異常はないか」と、レントゲンや、いろんな機械で調べられた。
幸い、異常はなかったので、ホッとする。「このまま入院です」なんて言われたら、どうしようかと思っていたが。
ともかく家で安静に寝てて下さい。何かあったら又、病院に来て下さいと言われた。
次の日、3月2日(金)は、森村泰昌さんのライブを見に行く約束をしていた。怪我をしてるのに行くのも…と思ったが、森村さんとはなかなか会えないので、無理をして行った。真也君、レーニンさんと一緒だ。
ライブは面白かったが、その後、会ったら、「大丈夫ですか」と心配されてしまった。
さらにその翌日3月3日(土)は、大阪に行って桂ざこばさんに会ったのだ。大阪の「よみうりテレビ」の「そこまで言って委員会」でよく会う人だ。
ところが、年末に出たらいない。「どうしたの?」と局の人に聞いたら、去年の5月に脳梗塞で倒れて、ずっとお休みです。と言う。
大変だ。お見舞いに行かなくちゃ。退院してリハビリをしてるという。でもテレビには出てない。
ただ、落語会の方には、最近出てるようだという。短い時間だし、自分のやりたいようにやる。テレビで3時間以上束縛されるのとは違う。
よし、そこに行こうと探して、この日、大阪の演芸場に行った。
終わって、挨拶に行った。もう元気だった。でも、かえって私のことを心配された。「又、右翼に殴られたんでっか?」とか言われて…。
「昔は、よく人を襲ってたのに、今は、襲われとるんでっか?」とか。いやいや、ちゃいまんねん。もうそんな元気はありません。転んだんです。と必死で言い訳しました。
そして、次の日、3月4日(日)は塩見さんのお別れ会でした。毎日、出かけているよな。安静にして、寝てなきゃアカンのに。
でも塩見さんとは長い付き合いだ。私より二つ上だ。こんなに早く亡くなるとは思ってもいなかった。もっともっと教えてもらいたかった。
「送る」という感じではなかった。行くのを阻止したい感じだ。奪還したい感じだった。
全国から多くの人たちが来ていた。「あれ?どうしたの」「又、右翼に殴られたの?」と聞かれる。
「いや連赤の植垣さんに殴られたんです」と出まかせを言ったが、「連赤にやられてたらその程度じゃ済まない。殺されてるよ」と言われた。それは言える。
そんなわけで、怪我は大したことはなかったし、ちゃんと病院にも行ったのに、そのあとの「説明」が大変で、いろんなところにご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
学校で、病院に連れて行ってくれた人からはその後、毎日、定期的に電話がある。
「おい、生きてるか」「大丈夫か?」と。何かあったらすぐに病院に行かんとアカンで。と言う。救急車が来るのかもしれない。
焦って歩けない。カバンが重いからだ。歩き方が分からんからだ…と、いろいろ言われてます。全てが正しいのでしょう。
根本的に改めて、身体を治していきたいと思っております。災いを転じて福となすように頑張ります。
肉体と精神の問題についても、基本的なところから考え直さなくてはいけないと思いました。反省することが多い今日この頃です。
①3月2日(金)7時から、森村泰昌さんのライブがありました。椎野礼仁さん、渡辺真也君と観に行きました。芝浦のリーブラホールで。美術のポートレートになったり、三島由紀夫をやったり、大活躍でした。感動しました。終わって、楽屋に訪ねました。「あれっ、鈴木さん。どうしたの」と聞かれました。怪我をしてるので、眼帯をしていったのですが、気付かれてしまい、かえって心配させてしまいました。
②翌日の3月3日(土)は大阪まで、桂ざこばさんの落語を聴きに行きました。5月に倒れて、テレビも休んでるが、落語だけは出てるというので、お見舞いに来たのです。でも逆に、こっちが「大丈夫?」といたわられました。ざこばさんはリハビリも終わって、元気一杯でした。