瀧沢亜希子さんと大泉和義さんの結婚式が、2月10日(土)に行われ、私も出席した。
その数日前、「お父さんの代わりをしてほしい」とメールがあった。
お父さんは病気で寝ていて、動けない。だから私が父親代わりになってほしいと言う。入場する時、腕を組んで歩いてほしいという。即、承知した。
当日、ちょっと恥ずかしかったが、歩いた。何か、本当の娘と歩いてるような気になった。今まで苦労したけど、幸せになってよかった、と思ったりした。
終わって、皆に言われた。「よかったね」「本当の父親のようだね」と。
「次は私の時もお願いします」とも言われた。未婚の人たちが、まだまだいる。お父さんが病気だとか、お父さんが離婚したとか。それで「父親の代わりをやってくれ」と言われた。皆、引き受けた。6、7人いたようだ。随分、多くの娘を持つことになる。
そうだ。劇団「再生」の芝居ではアーチャリーの父親役で出たし、もう既に娘がいる。その日も彼女は来てたので、「大きなプールでちゃんと泳いでいるか?」と娘に声をかけた。
芝居ではこんな台詞があったな。「大きなプール」とは子供用のプールではなく、大人用の広い、深いプールだ。この現実の世の中を言ってるようだ。そこに出ても彼女はしっかりと生きている。偉い。
元NHKの堀潤さんも、「彼女は偉いですね」と言っていた。仕事で彼女のインタビューを撮ったと言っていた。堀さんも頑張っている。
又、数日前、新宿で「祈りの幕が下りる時」を見た。
娘のために父は自分の命を捧げる。うーん、オレはこんなことが出来るかなー、と思っちゃった。エゴイストだから、こんなに娘のためには生きられないだろう。そうも思う。
そうだ。結婚式の話だ。新婦・瀧沢亜希子さんは、美貌、知性…その他全てが超一級の人だ。
三島研究を今、必死でやっている。若松監督の三島の映画は30回も観たというし、台詞は全て覚えている。
今度、台詞を消して、彼女に活弁と解説をやってもらったらいい。面白い映画鑑賞会が出来るだろう。
「それよりも、三島の『不道徳教育講座』が映画になってるんですよ。その上映会をやりましょう」と横から新婦が提案。そんで急遽、そっちに話が決まった。これはぜひ観てみたい。
又、彼女は三島だけでなく、「楯の会」についても詳しい。去年は「楯の会・阿部勉氏を語る会」をやってくれた。阿部氏の友人としては涙が出るほど嬉しい。
今年はぜひ、「持丸君を語る会」もやってほしい。優秀な、私の友人たちが沢山いたんだ。
結婚式は全国から多くの人が来ていた。どんな人たちがいたかなと「披露宴御席次」を今、取り出して見ている。PANTA、足立正生、堀潤…とすごい人たちがいる。
そして今気がついたが、一人一人に小さく「紹介」が書かれている。ヘエー、すごいね。
田中さんは「会津娘」。この田中さんの上司の坂元勇仁さんは「合言葉は水鉄砲」。なんだこれは。椎野レーニンさんは「本名です」。PANTAさんは「Legend!!」。
うーん、これはいい。誉め言葉だ。堀潤さんは「イケメン牧場」。足立正生さんは「ミスター・レッドアーミー」。御手洗志帆さんは「夜にほほよせて」。
鈴木邦男は「混ぜるな危険!」。なんだこれは! 誰も混ぜないよ。成田賢壱さんは「人は見た目じゃないよ」。そうか、一見したら、どうも悪人らしい。悪い人の役ばかりやってる俳優だし。
その他、「松本麗華」「いつか一緒にカラオケ」と、思いを書いてる。
いいですね。こんな紹介付きの席次も。
1時から3時まで、披露宴は行われ、私は急いで東京駅へ。そして、新大阪まで行き、内田樹さん、釈徹宗さんと会いました。「ふくふく」というふぐ屋さんで。
内田さんの合気道の道場生が沢山来てました。1年に1回やる「ふぐ鍋会」です。私もお邪魔したのです。
ここの店の主人はカメラマンで、ライターもやってます。「出来たばかりの本です」と新しい本をもらいました。望月衣塑子さんの本でした。
「うわー、すごい。この前、望月さんとは対談したばかりですよ」と言いました。
それから、内田さんたちと話をして、遅くなったので、駅のそばのホテルに泊まり、翌日は朝6時に起きて帰りました。
この日は東京で井脇ノブ子さんの誕生日パーティがあったのです。人があふれていました。
それに少女時代からのビデオも流します。
家は貧乏で、修学旅行にも行けなかった。生活を助けるために学校へ行く前に新聞配達したり、海に行って、サザエを採ったり。大変だったようです。
さらに、お兄さんが「殺人犯」として逮捕される。あとで、冤罪だと分かり、お兄さんは釈放されますが、それまでは、学校でも地域でも「殺人犯の妹」と言われ、本当に苦労したようです。
この誕生会の後、一水会フォーラムで井脇さんが講師だったので、この時の話もしてもらいました。
少女時代から苦労し、でも負けずに、元気に生きていった。大学に入って、
自治会の委員長になり、さらに、東京から来たオルグに誘われて上京し、学生運動に専念する。
さらに大学を出てからは、国会に出て…と、大活躍でした。
「少年の船」をやり、5万人の子供を教育。その様子を身振り手振りで説明する。
それは、一水会フォーラムに来た人は皆、驚き、感動していた。「今日は来てよかった」「今までのフォーラムで一番よかった」という人が多かったです。
私は井脇さんより2才上。私が生学連の書記長の時、全国を回り、「井脇さん、自治会に来てくれ!」と誘ったのです。
でも、井脇さんの方がどうも大人でいて、私のことを「鈴木クン」と呼んでました。私は「井脇さん」と呼んでいた。どちらが先輩か分かりません。でも、同じ時代に活動家として一緒だったのはよかったですね。
中には質問する人もいて、「三島さんと自決した森田必勝氏を知ってますよね」と井脇さんに聞く。
「勿論、同じ運動をしてましたから、知ってましたよ。鈴木クンが、生学連の錬成会に連れて来たし」。
それでさらに質問する。「その森田さんと井脇さんが恋仲になったという噂がありますが…。ネットに出ていて」。「それはないですよ」と井脇さんは否定。私も否定。
有名な二人だから、誰かが面白がってネットに書いたんでしょう。困るよな。
学生の時は、合宿や錬成会でも、井脇さんはよく男子に注意されていた。
「こら! 男のくせに女便所に入るな!」。「こら! 男のくせに女風呂をのぞくな!」。最初から「男のくせに」と言われてたんですね。
又、運動では何度も警察に捕まったことがある。ビラを貼ってる時、警察が来て、皆で逃げた。
でも、警察も足が早くて井脇さんに追いついた。後ろからタックルして、捕まえた。
その時、「あれっ!」と思った。「あれ!オメー、おなごか?」と。そんな話もあったんですね。
さらに、左翼学生とは殴り合いもしたし、武闘派でしたよ。
こんなに真っ直ぐで、真っ正直な人はもう一度、国会に出てほしいですね。本人は国会議員ではなく、九州の知事にも出てくれと言われてるらしい。
頑張って下さい。我々も応援しますから。
タイプは違うが、瀧沢さんと井脇さん、素晴らしい人です。今年はこの二人が大活躍し、大躍進するでしょう。
そうだ。この素晴らしい二人の活躍と共に、もう一つ、嬉しいことがあった。
2月16日(金)、午後5時から有楽町のよみうりホールで「菜の花忌」があった。それが、ものすごく、よかった。素晴らしかった。
「菜の花忌」は、司馬遼太郎の追悼祭であり、又、司馬文学を学ぶ会だ。東京と大阪で代わりばんこにやっている。
今年は「第22回 菜の花忌」で、東京でやった。今年のテーマは〈シンポジウム『燃えよ剣』『新選組血風録』——人はどう生きるか〉。
これは今までの「菜の花忌」の中でも最高だったと思う。とてもよかったし、勉強になった。
第1部は司馬遼太郎賞贈賞式。
第1部の贈賞式は、「第21回 司馬遼太郎賞」が奥山俊宏氏(朝日新聞編集委員)の「秘密解除 ロッキード事件」(岩波書店刊)。
奥山さんのは本も出てるし、読んでみよう。
それにしてもロッキード事件をアメリカではどう見ていたのか、アメリカに行って調べて来ている。すごい。
この第1部のあとは、休憩になったので、奥山さんに挨拶に行ったら、「あっ、鈴木さん、久しぶり」と言われた。
「えっ、前に会ってた?」「会ってますよ。それに木村さんとはよく会ってます」と言う。
さらに驚くべきことを言う。「阿部勉さんともよく会ってました」。
エッ! 一水会副会長で「楯の会」会員だった阿部勉氏だ。阿部氏を知ってると聞いて嬉しくなった。
阿部氏は一時、福島にいた。奥山さんも福島の支局にいて、その時、よく会ったという。そして、「私に本を書けと言ったのは阿部さんですよ」。
そうだったのか。さすがは阿部さんだ。人を見る眼がある。今度ゆっくり会いましょう。
そうだ。三島研究家の瀧沢さんにも紹介しよう。
そして「菜の花忌」の第2部だ。〈シンポジウム『燃えよ剣』『新選組血風録』——人は変革期にどう生きるか〉。これはよかった。
パネラーは4人。それも幕末もの、司馬遼太郎についてはプロの人間ばかりだ。
浅田次郎氏(作家)
磯田道史氏(国際日本文化研究センター准教授)
木内昇(のぼる)氏(作家)
原田眞人氏(映画監督)
司会 古屋和雄氏(文化外国語専門学校長 元NHKアナウンサー)
司馬は幕末ものは沢山書いている。
この司馬作品や、他の幕末ものも全て読み、理解している4人が語るのだ。
自らも幕末の小説を書いている浅田さんもいる。皆、詳しいし、発言も鋭い。私も興味があった。
司馬は佐幕、勤皇といったどちらか一方だけを正しいとはしていない。『龍馬はゆく』を書いてるし、土方歳三を主人公にした『燃えよ剣』も書いている。
その坂本と土方は敵・味方というよりは、同じ志向性を持った人間だろうと言う。立場が違ったら、二人ともそこで突き進んだだろうという。これは意外な感想だ。
1960年代、時は圧倒的に『龍馬はゆく』がブームになった。右翼も左翼も皆、龍馬を読んでいた。勿論、私も読んでいた。
でも、そんなブームに一人背を向けていたのが森田必勝だ。
この数年後、三島由紀夫と共に自衛隊に行き、自決するんだ。
「俺は龍馬よりも土方の方が好きだな」と一言、言ったのだ。
まわりにいた右派学生は怒った。「何てことを言うんだ。新選組は我々の先輩(勤皇の志士)たちを殺した悪党じゃないか!」と。勤皇の志士たちは「我々の先輩」だと思っていたのだ。
「いや違う。新選組は天皇を守るために闘ったのだ」と森田氏は言う。そして、「函館まで行って闘い、男の生き方を貫いたのは土方だ」と言う。
このあと森田氏とは、いろいろ話し、詳しく聞いた。
「鈴木さん、これを読んで下さいよ」と言って、紹介されたのが司馬の『燃えよ剣』だった。土方が主人公の本だ。
これを読んで私も土方が好きになった。学生運動や、右派学生運動にも土方的な空気を入れた。
しかし司馬もすごいね。龍馬を評価し、『龍馬はゆく』を書いたのに、又、今度は新選組を書けるなんて。普通の作家にはこんなことは出来ない。
浅田さんは、「私は『燃えよ剣』を5回読みました」と言っていた。他の人たちも随分と読んでいる。
私は学生時代に一回読んだだけだ。私も又、読み直してみよう。
又、土方の記念館にも行こう。ここは子孫がやっている。一度、「新選組まつり」の時に子孫の人と会ったことがある。「森田必勝氏が好きだったんですよ」と伝えた。今年の「菜の花忌」は本当によかった。「来年は大阪で会いましょう」と司会の人が言っていた。
来年の2月16日は大阪か。又、行ってみよう。
①瀧沢亜希子さんと大泉和義さんの結婚式が、2月10日(土)に行われました。瀧沢さんは「三島生誕祭」などをやったり、三島研究家として有名です。会社の仕事をやりながら、やってます。お父さんが病気で動けないので、「鈴木さん、お父さんの代わりをやって下さい」と頼まれ、引き受けました。花嫁と一緒に入場するのです。でも、「介護されてるみたい」と言う人もいて。私は元気に歩いたつもりでしたが。
⑥私も挨拶しました。でも「友人」の前に、「父」ですからね。謙遜して話したんですよ。「娘は、ふしだらで…」と。すかさず司会の白井さんが、「ふしだらはないでしょう」。あっそうか。「ふつつか」か。あまり使わないから…。「ふつつかで、生意気で、ズケズケ物を言い、皆さんも気に障るでしょうが、何とか温かく見守ってほしいと思います」…と。まるっきり父親の挨拶ですが。
⑭次の日は午前11時から東京で、井脇ノブ子さん(元衆議院議員)のお誕生日を祝う会があり、出席しました。2月11日は、何と建国記念日。「国の誕生日と私の誕生日が一致していたのは何と嬉しいことか」と言ってました。「少年の船」で5万人以上の少年少女を教育しました。大学では学生運動をやり、大活躍しました。そして、国会議員になって…。この日は、中国、チベットなどの青少年も沢山来てました。皆、教え子です。
⑲2月9日(金)、「ドキュメンタリー・フェスティバル」に行きました。平野啓一郎さんのトークを聞き、セレクトした映画を観ました。そのあと、楽屋に行って、色々と話しました。三島由紀夫について、「楯の会」について。