思ったことは実現するんだ。文字に書いたことも実現するんだ。そう思いましたね。
何か宗教的な話のようですが、実は、「生長の家」の運動をしてた時に、よく教えられていたんです。
でも、そんなことはないよ、思った通りになるんなら、何も苦労しないよ、と一般の人は思うでしょう。
私もそうでした。「世の中、思い通りにはならなよ」と呟いているのです。
でも、「思い通りにならない」と思う通りになってるでしょう。と谷口雅春先生は言ってました。
確かにそうだなと思いました。特にネガティブな思いは〈実現〉しやすいのです。気をつけないといけません。
でも、「いい思い」はなかなか実現しない。いや、そんなことはない。〈思い〉が足りないのでしょう。
皆さんも知っているでしょう。最近、このブログに、「熊野に行きたいな」と書きました。
そしたら、それを見た人が、「じゃ、行きましょう」と誘ってくれて、車で案内してくれたのです。
4月14日(金)、15日(土)、16日(日)と3日間、熊野を見て回ってきました。「思い」や「書いたもの」は実現するんだ、と痛感しました。
熊野は、日本の原郷です。芥川賞作家の中上健次さんからは、「鈴木さん、熊野に来なさいよ」と何度も言われてました。
でも遠いし、山の中を随分と歩くんだろう、と臆してました。
そして、中上さんは若くして亡くなってしまいました。行けなくて申し訳なかったと思ってます。
今年になって、内田樹さんと釈徹宗さんの対談本『聖地巡礼』を読みました。
今、3巻まで出てますし、どれも素晴らしいのですが、特に2巻目ですね。
熊野篇でした。圧倒されました。これは絶対に行ってみなくては、と思いました。
熊野本宮、熊野古道。そして那智の滝…と、内田、釈さんは行ったのです。若い学生たちも連れて、ゾロゾロと。
那智の滝では、その霊性に打たれ、もう身動きも出来なかったと言います。
そんな〈聖地〉なんですね。じゃ、ここだけでも行ってみたいと思いました。
そんなことを、このブログで書きました。
そしたら、すぐにメールが来て、「ブログ読みましたよ。じゃ、熊野へ行きましょう。車で案内します」と言う。イルカ・ジャーナリストの坂野正人さんだ。
この坂野さんには今までも、大きなチャンスを作ってもらってます。
太地町でイルカ漁が行われ、それに反対する映画が作られた。『ザ・コーヴ』だ。「湾」という意味だ。
湾にイルカを誘導し、追い込み、そこで、イルカを棒で叩いて、捕まえる。血に染まる湾だ。
又、太地町ではイルカの肉が一般的に売られている。その様子を撮った映画だ。
「湾にこっそり忍び込んで撮った。違法だ」「イルカ漁は日本の文化・伝統だ!」…と、批判があった。
その時、「イルカを守る人たち」と知り合い、「イルカを食べていい」派の人と闘った。
この「ザ・コーヴ」は都内のいくつかの映画館でやる予定だったが、反対の人々や右翼の街宣車が来て、激しい抗議運動をやった。
それで映画館は恐くなって、上映を取りやめた。
映画「ザ・コーヴ」はアメリカで作られたが、「反日映画だ!」と決めつけて映画館前で抗議し、脅す。
でも、「反日映画」なら、かえって見せたらいい。その方が、君らの主張に賛同してくれるのではないか。
ひどい映画を見て、ひどいと思う人が立ち上がる。大きな力になる。
ところが、一般の人が見るのがいけないという。
「反日映画」だが、スーッと入ってきたら、洗脳されてしまう。だから見せない。
「見せていいか、悪いか」はそのヘイトスピーチの団体が決める。おかしな話だ。
それで私は「映画のボイコット反対」で映画館前に行き、彼らと闘った。
その時、ハンドマイクで殴られて、口を切った。でも警察は彼らを捕まえない。「アッ、血が出てるよ」と言ってティッシュをくれただけだ。
あの時、カーッとなって、殴り返していたら、多分、私一人が捕まっただろう。
あっ、話が長くなった。その闘いの中で、いろんな人と知り合い、坂野正人さんとも知り合ったのだ。
坂野さんたちのやってる「イルカを守ろう」集会にも何回も行った。
又、「イルカ・ウォッチング」にも連れて行ってもらった。
さらに、利島という島に行って、イルカと一緒に泳ぐというプロジェクトにも参加した。
利島は一応、東京都だが、船で一晩かかる。300人ほどしか住んでない島だが、近くにイルカが来る。そこで一緒に泳ぐという。
私はプールで20メートルしか泳げない。「じゃ、ダイビングの特訓を受けて下さい」と言われ、郊外のトレーニングスクールに行って、特訓を受けた。
そして利島に行った。海に放り出されて、恐怖を感じた。
深い。ちょうど高層ビルの屋上からはるか下の道路を見てる感じだった。
そこに放り出されて、イルカと泳ぐ。恐かったけど、イルカが来て一緒に泳げた時は感動だった。
それまでは全く知らなかった体験をたくさん味わわせてくれた。
そして今度は熊野だ。イルカと関係あるのかな。「いやないです」と言う。
熊野本宮大社の宮司さんと知り合いで、紹介するという。
そこの大社の屋根の葺き替えをやった人が友人で、それを撮影し、記録したのが坂野さんだ。坂野さんはプロのカメラマンなのだ。
その仕事をして、空いた時間に〈イルカ解放運動〉をやっている。
一年に一度の大祭に参列させてもらった。厳粛な気分になった。
本当の「聖地」の中心だ。宮司さんともお話をし、山伏の行う行事を見せてもらった。
さらに、那智の滝、神倉山にも行った。
内田、釈さんが感動して、動けなくなったという、日本一の滝だ。
じっと祈ってる人もいる。瞑想してる人もいる。
さらに、登るのに険しい神倉山に行った。
「ここは下から見るだけにしましょう」と坂野さん。
でも、ムラムラと闘志が湧いた。「登りましょう。一人でも登ります」と言って、私はズンズンと登った。
確かに、日本一厳しい坂だ。石段もやたらと高い。危険だ。途中休みながら、とうとう登った。
山頂には巨大な岩がある。これがご神体なのか。ともかく非日常の体験ばかりだ。
あと、新宮に行って中上健次さんの生家跡を見て、お墓にお参りしました。「遅くなって本当にすみません」と謝った。
それから、有名な「藤白神社」に行った。「鈴木姓のルーツ」だ。全国200万人の鈴木姓の人なら知っている。
ここから鈴木は生まれた。「鈴木さん、いらっしゃい」と幟が立っている、「鈴木屋敷」もある。
「鈴木サミット」も開かれているという。今度、参加してみよう。
神社に向かって歩いていたら、中年の男性が来る。「鈴木さん?」と聞いたら、そうだった。
全国から、鈴木さんが集まるのだ。
熊野は日本人の原郷であり、ルーツだ。と同時に、鈴木さんの原郷であり、ルーツだ。と思った。
「鈴木屋敷」などが朽ち果てている。再建のために募金をしていた
。「全国200万人の鈴木さんが1人、千円ずつ出したら、それで2億じゃないか」と石巻から来た鈴木さんは言っていた。そうだよな。簡単じゃないか。
でも「鈴木サミット」って何を議題にするんだろう。
競合する佐藤、斉藤を打倒し、鈴木が日本一の座を目指すのか。
そうしたら、佐藤、斉藤を誘惑し、結婚し、鈴木を増やすしかない。
鈴木が増えたら、この国の名前も「鈴木国」になるのか。国歌も「鈴木を讃える歌」になるのか。
そうだ。イルカの町にも行ったんだ。太地町だ。あの問題の「湾」を見た。
そこで下中さんも合流したんだ。ありがたい。しばらくは車2台で熊野を見て回った。
太地町でも、もう、シーシェパードもいなかった。
それで「くじらの博物館」に行った。
くじらやイルカがいる博物館であり、水族館にもなっている。
外ではイルカショーをやっている。イルカが広大なプールに泳いでいて、そこで餌をやることも出来る。
餌を買って私はイルカにあげました。大きな口だ。
横に「トンビに注意」と書かれている。トンビが来るのか。何を注意するんだろう。
ともかく、寄ってきたイルカに〈小魚〉をあげていた。
バンバンに水がはねる。ズボンがビショビショだ。
そして、小魚をイルカにあげようとした時、トンビが急に飛びかかってきた。魚を奪おうとしているのだ。
私はとっさに避けた。かえってそれが悪かったのか、トンビの鋭いくちばしが私の手の甲に突き刺さった。
ギャーと叫んだ。血だらけだ。係りの人が手当てをしてくれ、バンドエイドを貼ってくれた。
チクショー、トンビめ。まるでヒッチコックの映画「鳥」じゃないか。
「ザ・コーヴの時はネトウヨに拡声器で殴られて血だらけになるし、今度はトンビに襲われ出血するし。イルカとからむと必ず怪我をしますね」と下中さんが言っていた。
ヒトのことだと思って、勝手なことを言う。
というわけで、3日間の熊野の旅はとても充実した旅でした。
ずっと車を運転してくれた坂野さん、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
しかし坂野さんは運転がうまいし、正確だ。又、カッとなってムリな追い越しなどしない。運転中に眠りもしない(そんな人がいる)。だから、安心して我々は寝れる。
坂野さんにお礼を言ったら、「これでもプロでしたから」と言う。以前、運送会社に勤めていて、車を運転してたという。宅急便なのかな。
夢のような3日間でした。熊野は日本の原郷、鈴木姓の原郷です。本当に素晴らしい旅でした。多くのことを学びました。
坂野さん、そして一緒に行った6人の方々。お世話になりました。本当にお疲れさまでした。
「日本の聖地」に行って私も甦りました。「ニュー鈴木」になりました。