「死なばモリトモ」と言われている。爆弾発言の連続だ。国会で喚問されて、そこで、待ってましたとばかりの「自爆テロ」だ。
果たして安倍首相は森友に100万円の寄付をしたのか。
「決してやってない。これが本当なら、バッジを外します」と首相は言う。もしかしたら、これで首相は辞めるのか。安倍内閣は崩壊するのか。
都議会での石原慎太郎喚問は、どうも不発だが、こちら国会での喚問は、次々と衝撃発言が出るし、政治家、官僚の名前も次々と挙がる。
しかし、昔からいたのだろう。許認可を求め、政治家に近寄ってくる、得体の知れない人間は沢山いた。
だから、政治家の側だって、「人を見る眼」が出来ていたはずだ。
でも、この人物を信用してしまい、100万円という高額のカンパをして、「頑張って下さい」と言う。
単に信用されただけでなく、自らも、この人物に近づいていったのだ。
それに、この人物を信じるキッカケになったのは、どうも「愛国心」らしい。
つまり、森友学園という学校を作ろうとしている。周りから批判はされてるが、子供たちに教育勅語を暗誦させている。愛国心教育をしている。
これはすごい、と安倍首相は思ったのではないか。自らだって、愛国心を大切にし、憲法改正をやろうとしている。
そこのところに感動したのだろう。
つまり、森友学園の人たちを「愛国者」と思い、信用した。
だから、講演会にも行ったし、自分たちの名前を使った学校も認めた。
「断わった」と言うが、それが弱い。「愛国心」に基づき、子供の時から愛国教育をしている。だから信用できる、と思ったのだろう。
しかし、スタートから間違っていた。「愛国心」を前面に出す人間に、まともな人間はいない。
自分の野心を押し込め、公のため、国のために働こうとしている。「愛国心」に心打たれたのかもしれない。
そんな、「愛国心」のいかがわしさについて話をした。
3月19日(日)、国会正門前、午前11時。「森友10万人デモ」に出る。国会議員が演説する。
そして私も挨拶させられた。10万人を前に喋るのだ。
興奮する。声も大きな声で言わないと、届かない。なんせ、10万人のデモなんだから。
だから言った。「全国から結集された10万人の皆さん!ご苦労さんです」と、やった。
大拍手と思ったら、大爆笑だった。な、なんなんだ。挨拶をしただけなのに…。
「どこに10万人がいるんだ! そんなにいないだろう」と言っている。ここに集まった人は、同じ気持ち、同じ不安なんだろう。
でも、この日は、この「不安」をすくいとり、それを国会にぶつけてくれる。そんな思いがあったんだろう。
増山れなさんにも会った。皆、頑張っている。
「鈴木さんのおかげで、ネトウヨが治りました」という青年にも会った。
でも、全く初対面の人だ。「鈴木さんの本を読みました。それでネトウヨが治ったんです」と言う。ヘエーと驚いた。
私の本は、病気(ネトウヨ)を治すんだ。
ともかく、思った。3月19日(日)は、大いに記念すべき日になった。
私にとっても衝撃的で、忘れられない日になった。「森友10万人デモ」に出て、10万人の前で喋ったのだから。
そうだ。前日も、すごい集会に出たな。憲法の集会だ。憲法を守ろうという人々の集会だ。
「憲法カフェ」という、埼玉県の川口でやった。会場は満員だった。
そこで、憲法についての話をした。「改正する必要はない!」とやった。
今は、占領軍などはいない。だから、自主的に改憲論議もできる。
でも、国防に金をかけ、中国、韓国になめられない日本にしようとして、日本人の人権、自由は抑圧される。
こんなのが〈自主憲法〉なのか。と私は言った。
そして、私の講演後、会場の皆は、7、8人の小グループに分かれて、討議をする。
私は、そこを回って、話を聞き、質問に答える。
面白い会合だった。コーヒーを飲みながら憲法を語る、という主旨なんだろう。
驚いたことに、次の日の新聞(埼玉新聞)にこのことが写真入りで出ていた。
〈「自由のない自主憲法」
鈴木邦男さん川口で講演。自民改憲草案を批判〉
この見出しも、いいですね。本文ではこう書かれていた。
〈かつては右翼思想家として知られ、最近はリベラルな立場から安倍政権を批判している作家で思想家の鈴木邦男さんが、「自民党の改憲草案を問う」と題して講演した〉
〈この日の講演でも、「(自民党が進める)自由のない自主憲法より、自由のある(現在の)押し付け憲法の方がまだましだ」と持論を展開。君が代、日の丸については、森友学園問題にも触れ、「子どもに愛国心を一方的に強制するのは間違い」などと指摘した〉
これは、いい記事ですね。よくまとまってるし、私の言ったことがきちんと伝わっている。
また、参加者の反応も紹介している。
〈主催メンバーの東田伸夫さんは、「懐の深さ、柔軟で素直な精神に感心した」。地元の家具職人で元教師の守谷裕之さんは「すとんと心に響く講演だった」と感想を話した〉
これは新聞で読んで、知った。好評だったんだ。嬉しいですね。
翌日の「10万人デモ」では、「おかげでネトウヨが治りました」という青年に会ったし。私もいいことをしてるんだ。
皆に迷惑だけを与え、嫌われてると思ってたけど。いいこともしている。生きていていいんだ、と思いましたね。
この19日の「10万人デモ」はテレビでもやってたらしい。「お前も出てたぞ」と言われた。
3月18日(土)、19日(日)の2日間。完全に左翼だ、リベラルだ。
昔は左翼と毎日のように殴り合いをしてたのに、変われば変わるもんだ。
この2日連続の「リベラルの日」から4日後、3月23日(木)は、加藤紘一さんの出版記念会に出た。
加藤紘一さんは去年、亡くなっている。でも、10年前に書いた『テロルの真犯人』(講談社)が、文庫本になった。
生前から話があったようだが、間に合わなかった。
そこで急遽、娘さんの加藤鮎子さんが「あとがき」を書いて出版した。
これは勇気のある本だった。その勇気に感動し、私も鶴岡でのシンポジウムにも出たし、いろんな発言もした。じゃ、これは来週、詳しく書くことにしよう。
加藤さんの発言が「売国的だ。許せない!」といって、右翼に自宅を放火されて、全焼した。
たまたまお母さんがいなかったので助かったが、大変な事件だ。
この右翼の人の考えだけでなく、その当時の「空気」のようなものが、「やっちまえ」「国賊を許すな」という声になる。右翼もそれに押されて放火した。
その意味での「真犯人」を指摘している。
この出版記念会は、3月23日(木)の朝8時からやられた。政治家のよくやる「朝食会」形式でやられた。
鮎子さんが事件の概要を話し、本の出版の経過を話す。
そして、記念講演があった。河野洋平さんだ。「加藤先生との共通点を求めるとすれば、二人とも右翼に放火されてるということです」。
そうか。そして、聞いている私もそうだ。右翼に放火された。
放火された3人が揃ったわけだ。
この日の夜は、高田馬場の「ミヤマ」会議室でマスコミの取材があった。
記者が1人か2人と思ったら、6、7人いる。まるで、勉強会か読書ゼミのようだった。
「私一人で来ようと思ったんですが、鈴木さんの話を聞きたいと、こんなに来ちゃったんです」と言う。ありがたい話だ。
地方へ行くと、「生きてる右翼を初めて見た」「どんなに狂暴な動物かと思ったら、おとなしいじゃないの」…と言われることがある。
まあ、「右翼」というと、エキセントリックで、超過激な人が多い。(と皆思っている)。
ところがこの人間は、くたびれて、だらしがない動物だ。そのギャップがいい。いや、このギャップだけで生きているんだ、この人は。と思いましたね。
そして、河野洋平さんの記念講演。満員だった。「政治とテロ」「今は右傾化か」…などのテーマで2人は話し、質疑もありました。
終わって、一度家に帰って仕事。
6時半から、「ミヤマ」会議室。マスコミの取材。1人か2人かと思ったら、10人近くがいた。勉強会か後援会のようだ。戦後70年と憲法について話す。
そしたら、右翼の人に、「お前はもっと大事なものを忘れている」「もっと大きなものを落としている」と言われた。「日本人としての良心」「愛国心」を落としている。ということらしい。
ムッとするが、でも、うまいことを言う。そうかもしれないね。
夕方まで、家で仕事をして、夜、柔道に行く。