5月21日(土)は高校の同窓会で仙台に。そして、22日(日)は、会津若松で講演会だった。故郷・東北での講演だ。
今月は、旅が多い。7日以上、地方に行っている。ひと月の四分の一じゃないか。ちょっと振り返ってみよう。
⑴5月7日(土) 静岡。元連合赤軍の植垣康博さんがやっているスナック「バロン」が15年になる。そのお祝いのパーティだ。足立さん、飛松さんなどに会った。
⑵5月15日(日) 岐阜。花房東洋氏の主宰する「大夢館」が創設50年になる。そのお祝いが、岐阜護国神社で行われた。
花房氏とは50年以上も前からの知り合い。共に「生長の家」の活動家だった。蜷川正大氏、須藤久監督、一色正春さんなどに会う。直会のあと、岐阜城に行く。
⑶5月17日(火) 札幌。時計台ホールで講演。ゲストは麻原彰晃三女・松本麗華さん(アーチャリー)。
この日は札幌泊。長野から平田君、大阪から下中さんが来ていた。
⑷5月21日(土) 仙台。兄貴の家に寄り、それから同窓会に出る。仙台泊。
⑸5月22日(日) 2時から、会津若松稽古堂で講演。
終わって、教会などを見学。夕食後、会津に泊まる。
これで3泊7日だ。もうすぐ5月は終わりだが、又、行く予定もある。どこも思い出があるし、懐かしい人にも会ったし、それぞれドラマがある。
とりわけ、〈東北〉となると、私のルーツだ。東北によって育てられ、私という人間が「東北製」だと思う。
私の生まれたのは福島県の郡山。親父が税務署に勤めていて、2年くらいで、東北を転々とした。
郡山は1年もいない。そこから福島に行き、次は青森県の黒石に行ったらしい。そして秋田県横手市、秋田市、湯沢市だ。
横手では幼稚園に入った。そこから私の記憶がある。
歌ったり、踊ったりしていた。5才くらいなのか。
でも、それ以前の記憶は全くない。
5月21日(土)、5時半から高校の同窓会があった。
その前に、兄貴の家に行く。「明日は、会津若松に行くんだ」と言ったら、兄貴が、「僕は、会津若松市の鶴城小学校を出たんだ。そして四中に入った」と言う。
エッ? 知らなかった。じゃ、私もいたのかな。兄貴とは9才違う。小学校卒業というと12才か。すると私は3才じゃないか。その時、いたんだ。
でも、全く記憶がない。じゃ、郡山で生まれ、そのあと、福島に行き、会津若松に行き、それから黒石に行ったのか。
弟の宏三が最近、本を出した。『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』(彩流社)だ。
著者紹介を見たら、「1945年、仙台生まれ」と出ていた。私は1943年、郡山生まれだ。
じゃ、直後、仙台に行ったのか。随分と、目まぐるしく転勤したようだ。
郡山から、仙台、柳津、会津若松、福島…と。そして黒石。あとは秋田県だ。
今度、ゆっくり兄貴から聞いて、ファミリー・ヒストリーを作ってみたい。
でも、「2、3才の頃、会津若松に住んでいた」ことが分かり、よかった。
会津でその話ができるし。
当日のポスター、チラシには、こう書かれている。
〈鈴木邦男さんと語る 安保法制と愛国心〉。
これがテーマだ。そして、こう書かれている。
〈今、日本で一番語り合いたい男が母の故郷、会津に帰ってくる!〉。
そうなんだ。母は会津若松のすぐ近くの会津坂下(ばんげ)の出身だ。
旧姓・広田。会津坂下は歌手の春日八郎の出たところだ。
他には知られたこともない小さな町だ。そこに「新潟屋」という食糧、肥料などを扱う店があり、そこの娘だった。
だから、「母は会津の出身だ」と自己紹介していたが、自分とは関係ないと思っていた。
ところが、私も、2、3才の頃、会津若松に住んでいたんだ。会津若松は私のルーツだ。
弟に言わせると、NHKの「八重の桜」を見てると、母を思い出したという。会津の女の凛々しさと強さを思い出したという。
そうか。じゃ、私も「ルーツは会津」なのか。
母の影響で私は「生長の家」に入ったし、高校はミッションスクール。大学は早大。そして、「生長の家学生道場」に入って、学生運動をやる。
これは、八重の男版かもしれない。会津の男が闘ってきたんだ。そう思い、会津では、そこから話し始めましたよ。
この日のチラシを見たら、午後2時、第1部、鈴木邦男講演。3時、第2部。「クニオさんに根掘り葉掘り、なんでも聞いちゃおう!」。
司会の田中エミさんとトークし、さらに会場の皆から質問を受ける。そうなっている。
田中さんを通して、この講演会を知ったので、田中さんが主催したのかと思ったが、違う。地元の「真珠の会」の人が主催だ。
名前が凄い。伊勢志摩から採れた大きな真珠を持っている、リッチな人々の集まりなのかと思ったら、違う。
直前に、その「真珠の会」の説明文が届いたので、紹介しよう。
平成16年に、会津で、ベアテ・シロタ・ゴードンさんを描いた「真珠の首飾り」(ジャームス三木・脚本)の芝居が上演された。
それを企画した実行委員が、「もっと憲法について学ぼう」と勉強会を立ち上げた。
その後も、解散せずに、定期的に集まり、今も様々な分野の講師の方をお呼びして、市民の皆さんと勉強会を開いている。
驚きましたね。とても真面目な勉強会なんですね。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは憲法24条を書いた人だ。私も何回も会ってるし、ニューヨークに呼んでもらってシンポジウムもやった。
ぜひ対談し本にしたいと言っていたが、亡くなられてしまった。
じゃ、私の講演の前に、その「真珠の会」の話をしてくださいよ、とお願いした。知らなかったし。
それに、「真珠の首飾り」という芝居も見たかった。
題名だけ聞くと、フェルメールの絵のようだ。そして、「真珠の会」というと、真珠で飾り立てたリッチな女性の会のように思ったが、これも違う。
それにしても、ベアテさんが何度もここまで来て講演したなんて。知ってたら私も来たのに。
それに、ジェームス三木さんも来て講演したという。
「又、呼んで下さい。私も聞きに来ます」と言った。
だから、ベアテさんのこと、会津出身の母と私のこと、そこから話し始め、なぜ右翼になったか、なぜ左翼と闘い、警察に何度も捕まるような過激な運動をしたのか。それも全て、「会津の男」の血です、と言いました。
第2部は、田中さんとのトーク。そして会場からの質問を受ける。
司会をしてくれた田中エミさんは会津若松出身。
当日は、お父さんも来てくれました。写真も撮りました。
エミさんは、東京の大学に入り、アメリカの大学にも留学し、今は東京で音楽の仕事をしている。
講演会のチラシには、〈聞き手:田中エミ(合唱指揮者。会津若松出身)と書かれていた。
坂元ユージンさんのやっている音楽プロダクション(ユージン・プランニング)で働いている。
ユージンプロでは、2ヶ月に1度、「安保法制」についての対談、講演をやっている。私も何度か出ている。
その地方進出版として、今回の会津集会があるのかと思った。
ところが違っていた。会津若松の「真珠の会」が主催で、それに田中さんたちが、応えたようだ。
大盛況でした。
「元早大にいた右翼学生です」という人もいた。懐かしかった。
「楯の会」の一期生で、一水会を一緒に創った阿部勉という男がいる。とてもいい男だった。この元早大生も、「阿部さんが好きで、阿部さんに憧れて早稲田に入ったんです」と言っていた。ありがたい。
4時過ぎに終わり、そのあと、若松栄町教会を見る。
そして、町を見て、夜7時から夕食。楽しくすごました。
ニシンが大皿で大量に出てきました。「あっ、昼もニシンだった」と思いました。
昼は、「ワッパ飯」でしたが、ニシンと、さらにおソバが出てきました。
太い、大きなネギが1本入ってました。「邪魔だな」と取ろうとしたら、「それは箸ですよ」と言われました。
それで、ソバをすくって食べるのです。ネギも先端をかじって、食べてからだと、ソバをからませやすいんです。面白いですね。
そうだ。昼の直前に着いたんだ。会津若松駅に。
前日は高校の同窓会で仙台に泊まり、この日は、仙台発8:44の新幹線で郡山に。
そこから在来線に乗り、10:54に会津若松に着いた。
着いたら、ユージンの坂元さん、田中エミさんがいる。中野の寅ちゃんがいる。瀧沢さんがいる。岩波の田中さんがいる。
あらら、東京の人ばかりじゃないか。「ここは東京なの!」と思っちゃった。
こんなに大勢の人が来たのか。ありがたいですね。
でも、私の話というよりも会津を見たかったんですね。
皆さん、ネギの箸の店に行って、ネギ箸で食べました。
そして、「真珠の会」の人と打ち合わせ。
1時半、会場の「会津稽古堂」に入る。
やたらと立派な建物だ。でも、「会津若松市生涯学習総合センター」と書かれている。別称が「稽古堂」なのか。まあいいや。「生涯学習」も「稽古」も同じことだ。
でも、「生涯学習…」というと、つい、新潟県新発田市を思い出す。
大杉栄メモリアルを毎年やっているが、その会場がそこだ。
地方に行くと、講演会をやれる公共の建物となると、「生涯学習センター」しかないのかもしれない。「生涯学習」してるんだから、いいでしょう。
講演会だけでなく、栄町教会、会津情報放射線センター、野口英世青春広場、会津磐梯山…と、いろんなとこを見せてもらいました。タマネギ、じゃなくて、ネギの箸のソバも食べましたし、美味しかったです。お世話になりました。
サミットは無事に済み、よかったですね。伊勢神宮に全員で行き、終わって、オバマさんは広島に。実に感動的でした。新しい歴史が始まるでしょう。そのことについては来週に。
多くの人が集まっていた。予約してたので、何とか座れた。なかなかよかったです。
私は、太宰治の全集を読破してる。この『燈籠』から。その雰囲気がよく出ていた。
ゴルニッシュさんにはいつもお世話になっていて、教えてもらっている。京大に留学してたので、日本語はできます。でも、奥さんは日本人ですから、もっとできます。難しい話は奥さんに通訳してもらいます。
食事しながら、ゆっくりと話しました。木村三浩氏が段取りをしてくれました。
小林興起さん、鳩山由紀夫さんの秘書も来てました。
このお二人は、仕事があって、先に帰りました。「国民戦線」の問題、フランスの今後、そしてEUのイギリス離脱問題などについて、いろいろ聞きました。
このあと急いで、神田の「週刊金曜日」に。ネットテレビをやっていて、そこに出る。
そして、5時に高田馬場「ミヤマ」会議室。栗原康さんと対談。伊藤野枝について。鈴木宏三氏も山形から来て、話に加わる。栗原氏、宏三氏は、山形の同じ大学で仕事をしていた。
対談のあと、「土風炉」へ。ギャラリーも多く、楽しかったです。
この日は、6時から「小林興起君と語る政経懇談会」をやっている。ホテルニューオータニで。1時間ほど遅れて駆けつける。大勢の人が来てました。松田妙子さん、ドクター中松さんなどに会いました。
終わって、木村三浩氏らと近くで飲みました。
①5月22日(金)午後2時より、会津稽古堂で、私の講演会がありました。沢山の人が集まりました。憲法24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんも、2度、来て講演したそうです。ベアテさんとは何度も会ってますし、ニューヨークでもシンポジウムをやりました。その話から始めました。
④2人のトーク、そして、質疑応答です。田中エミさんは会津若松出身で、合唱指揮者です。今、東京の音楽プロダクションで働いています。地元の人たちの働きかけで、この企画が実現しました。ありがとうございました。
⑲23日(月)午後、東京に着き、それから御徒町の「しあん」に。あべあゆみさんの〈独り芝居〉を見ました。『言葉を纏(まと)ふ』です。よかったです。太宰治の『燈籠』を基に高木尋士さん(劇団「再生」)が脚本を書きました。
㉓5月24日(火)、正午、ホテルニューオータニでゴルニッシュさんに会いました。ゴルニッシュさんは、フランス国民戦線の書記長として長い間、活躍し、ルペン党首を支えました。今は、欧州議員です。欧州議員の訪日団の一員として来たのです。久しぶりに会い、一緒に食事をしました。
㉕5月24日(火)は、12時にゴルニッシュさんに会い、3時に「金曜日」の動画に出、5時に高田馬場の「ミヤマ」会議室でした。『紙の爆弾』の対談です。『村に火をつけ、白痴になれ=伊藤野枝伝』(岩波書店)を出し、話題になり、朝日新聞をはじめ、いろんなところで取り上げられてます。その著者の栗原康さんと対談しました。
㉙栗原さんは学生時代、大変な貧乏でした。「奨学金」という名の借金でも苦しみました。その体験をもとに本を書いてます。『学生に賃金を』(新評論)。「はたらかないで、たらふく食べたい--「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)などです。ロクに食べられない、ましてや彼女もいない。ところが、今は本も話題になるほど売れて、何と彼女までできたのです。富める時も、又、貧乏に戻った時も、見離さないで下さいと。我々からもお願いしました。
㊱5月26日(木)は、学校のゼミが終わって、タクシーでニューオータニへ。遅れて、小林興起さんの会に参加しました。学校の「読書ゼミ」では、この本を読みました。『あなたを自殺させない=命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』(中村智志・新潮社)です。「自殺日本一」の秋田の自殺を減らすために命をかけている人の物語です。実に感動的な本でした。