2016/01/04 鈴木邦男

今年の漢字は〈乱〉ですよ!

①自民党からも支持された「傷だらけの人生」

「竹中労に学べ!」12/29(火)
「竹中労に学べ!」12/29(火)
昼間さん。鈴木。金子紫さん。武田さん 昼間さん。鈴木。金子紫さん。武田さん

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、今年は挑戦の年ですね、と年頭の決意を安倍首相のように言いたいところですが、その余裕はありません。

新年になってもまだ旧年中の仕事を抱えているからです。年末にやっておくつもりだった仕事ができないで、年を越して、まだやっているのです。

いけないな。だから正月もずっと家に閉じこもって仕事しているのです。

さて、「今年の漢字」は「安」でしたね。いや、違う。去年の「今年の漢字」だ。安全の「安」だといい、自分の「安倍」の安なのでしょう。

安保法案ができて、日本の安心・安全は二倍になった。まさに「安倍」だと自画自賛してましたね。

金子紫さんと 金子紫さんと

私が産経新聞に勤めていた頃、やはり安倍さんでした。同じ字でした。同じ人ではありません。

販売局に2年、広告局に2年いました。広告局にいた時、部長が安倍さんでした。

今はいい思い出ですし、厳しく指導して頂いたと感謝していますが、当時は、私も未熟だった為に、反抗ばかりしていました。

この部長さん、全ての点で厳しい。自分に来た手紙なども名前を間違っていたら、開封しない。「これは自分に来たものではない」と言って、返してしまう。あるいは、相手に厳重に抗議する。

ある広告会社から手紙が来た。「安倍」ではなく、「阿部」と書かれている。

「久しぶり!」と、ハグされました 「久しぶり!」と、ハグされました

仕事関係だと分かるから、突き返していては、仕事が遅れる。でも、黙って受け取ってはいられない。

「鈴木君、相手に注意してあげなさい」と言う。言葉は穏やかだが、〈厳重に注意しろ〉ということだ。

「ハイ、分かりました」と言って、相手を電話で呼び出し、厳重に注意しましたよ。「二度と間違わないように!」。

そして言った。「右が可能の可の〈阿〉じゃなくて、安っぽいの〈安〉だから!」。

分かりやすく教えてやったつもりだったが、それを聞いていたんだね。安倍部長、飛んできて、「何てことを言うんだ!」と電話をひったくった。

金子さん。鈴木。武田さん 金子さん。鈴木。武田さん

「違う!〈安い〉の安じゃない!〈安全〉の安だ! 分かったね」。ガチャーン。

えっ、〈安い〉も〈安全〉も同じじゃないか。でも〈安い〉と言われることに腹を立てるんだね。

そうか。安倍首相も、〈安全〉の安で、〈安全が二倍〉とはいうが、これは、〈安っぽくて〉〈不安な〉法案だとは絶対に言わない。

自分だって〈安くないし、不安じゃない〉と思っている。よく言えば、自分の名前にプライドを持っているのだろう。

二次会です 二次会です

でも、名前なんて、どうだっていいじゃないか。記号なんだし。と私は思ってました。愚かにも。その頃は、知らなかったんでしょうね。

その頃、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が大ヒットしてしてました。左の運動はもうない。右も大体のところはない。「右も左も真っ暗闇じゃありませんか」という鶴田の言葉に、「俺たちのことが言われているんだ」と思ったものでした。

「じゃ、どうしたらいいんだ」と思いました。ただ、この歌のように、俺たちの運動はダメだった。という謙虚な気持ちは持ってました。

和歌山から来た人も 和歌山から来た人も

ところが政治家というのは能天気なんですな。この歌がヒットした時、作詞家の藤田まさとさんは銀座でバッタリ会った自民党の中曽根康弘さんに声をかけられた。「いやー、いい歌ですね」と。

藤田さんが作詞した「傷だらけの人生」のことだ。「右も左も真っ暗闇で…」と、まるで、自民党の応援歌のようで、ありがたい。と言ったそうだ。

自民党は右でも左でもない。そんな連中はダメだ。日本の中心をいく自民党よ、頑張れ!と言っている。そう思ったんだ。勝手に思ったんだ。全く、ズーズーしい。

②でも、社会党も熱烈支持した

二次会の会場です 二次会の会場です

そして翌日、同じ銀座で、今度は社会党の成田知巳に会った。「いやー、いい歌を作ってくれて…」と言う。やはり、「傷だらけの人生」のことだ。

「右も左も真っ暗闇じゃありませんか」はその通りです。我々社会党の歌ですね、これは、と言う。

自分たちのことを「左」だとは思ってない。赤軍、中核、革マル…といった「過激派」のことを言っている。これらはダメだ。我々社会党が頑張らなくては。…そういう歌だと勝手に思い、気に入っていたのだ。おめでたい人々だ。

少なくとも我々右翼や左翼学生運動をしていた人間は、「我々のことを言ってる」「我々は否定された」と謙虚に認め、反省していたのに…。

政治家の連中は、一点の反省の心もなく、「これは我々の歌だ!」と、傲慢にも思っていたんだ。

安田弁護士(右)の忘年会。12/27(日) 安田弁護士(右)の忘年会。12/27(日)

この話を聞いて、今さらながら、日本の政治家のレベルの低さに愕然としましたね。

45年経った今でも、この歌はいい。ジーンと来るものがある。「傷だらけの人生」だ。

ただ、他を責めるだけでなく、自分自身が「傷だらけだ」と自己批判し、反省している。

この歌が流行していた時、三島由紀夫だって、「おっ、いい歌だな」と思った。前年に「週刊プレイボーイ」で対談し、意気投合した。「やっぱり、あんたは俺の思っていた通りの男だ」と言った。

その言葉を思い出していただろう。もう一度会ってみたいと思ったが、できない。間近に迫った決起の準備に忙殺されていた。

山本太郎さんと 山本太郎さんと

そして1970年(昭和45年)11月25日。三島と「楯の会」4人は自衛隊の市ヶ谷駐屯地を襲い、自衛隊に向けて、「立ち上がれ! 憲法改正だ!」と演説した。そして、三島と森田は割腹自決した。

日本中は、パニックになった。自衛隊だけでなく、日本中が、いや世界中が、「一体、何が起こったのか」と思った。「なぜ、三島は自決したのか」と思った。

少しでも三島と付き合いのあった人間には、マスコミが殺到した。

「どんな意図だったのか?」「直前に、何か言ってなかったのか」を聞こうとした。

森達也さんと 森達也さんと

文学者たちは、語っていた。本当は何も分からなくても、分かったように喋っていた。三島と「最も親しかった人」と言って何人もが出ていた。

今から思えば、かなり、いい加減な人たちも出ていた。

首相や防衛庁長官は、断固として反対した。「許されない暴力だ」と言った。

マスコミの「主張」もそうだった。いくら国際的に有名な作家であっても、法律を破り、クーデターを呼びかけるなんて異常だし、許せないと言っていた。

③三島事件を鶴田はどう思ったか

アーチャリー。神田香織さんと アーチャリー。神田香織さんと

「でも、鶴田浩二なら、弁護し、評価してくれるのではないか」。そう思って、マスコミは殺到した。

だって、1年前に対談し、「三島さんが立つなら私もやります」「軍刀を持って駆けつけます」と言ってたからだ。

その時は間に合わなかったとしても、一緒にやりたかったのだろう。残念だろう。そう思って、マスコミは殺到したのだ。

「やっぱり三島さんは男だ。本当にやった。私も駆けつけたかった。事前に電話があったら、軍刀を持って駆けつけたのに。でも、他人を巻き込むまいとしたのだ。やっぱり男だ」。そんなコメントを期待したのだろう。

香山リカさんと 香山リカさんと

私らだって、それを期待した。1年前に「プレイボーイ」で対談し、自決の2ヶ月前には、それが三島の「対談集」に入っていた。それを読んで初めて、二人の対談を読んだ人もいただろう。

「昭和維新」を煽り、一緒にやろうと血盟を交わした対談集だ。あそこまで言ったんだ。本当にやる気だった。

でも、三島は電話をくれなかった。置いて行かれた。残された「楯の会」のようではないか。私らはそう思った。

ところが、鶴田のコメントは出ない。「三島を支持し、自分もやりたかった」というコメントは出ない。といって、反対のコメントも出ない。

想田和弘監督と 想田和弘監督と

あんなことを言いながら、実際に三島がやったので、ビックリしてしまい、ビビったのではないか。「しまった」「あんなことを言っちゃって…」と反省しているのではないか。そう推測して発言してる人もいた。

そんな発言の方が多かった。鶴田は一切、ノーコメント。だからこそ、他人が言う「推測」だけが流布された。

それを読んだ我々は、あたかも鶴田が「ビビってしまい」「対談したのを後悔している」。

そんな推測記事だけを読んで、「何だ!そうだったのか」と落胆し、鶴田を「見損なった!」と思ったのだ。

「でも、それは違います」と白井伸幸さんは言う。

荒木浩さんと 荒木浩さんと

白井さんは、「傷だらけの人生」を作った人だ。こんな歌を作ってはどうかと作詞家の藤田まさとさんに頼み、吉田正さんに作曲を依頼。これを鶴田浩二に歌わせたのだ。

何もない所から発想し、プロデュースして、大ヒット曲を作ったんだ。

先月、12月19日(土)、白井さんと対談し、その時の話をじっくりと聞いた。神田の「学び舎」で〈音楽寺子屋〉というイベントで、対談した。

「この歌はいいし、まさに我々の歌だ」と言った自民党の中曽根康弘と、社会党の成田知巳。しかし、思想的歌詞は何も、藤田が考えたものではないという。

白井さんが、まず、藤田を口説いた。その時の思い、考えが頭の中に残っていて、藤田は、あの曲を書いたのだという。今の情勢について。日本は危ない。日本人も危ない。…ということを諄々として白井さんは説いた。

その中で、日本人に力を与える歌を書いて欲しいと言った。

そうか、じゃ、あの歌の本当の作詞者は白井伸幸さんだったのか。

④三島の愛情。鶴田の優しさ

雨宮さんも 雨宮さんも

「それで、三島事件が起こった時、皆、驚いたでしょう。鶴田から話を聞いてましたか」と私は聞いた。

鶴田はどうコメントしたか、どんな感想を持ったのか。

特に、「プレイボーイ」で対談し、もし、三島が決起したら「私も軍刀を持って駆けつける」と言ったことに対して、どう言ったのか。「今でもその通りだ」と思っているのか。「あれは軽率だった」と反省しているのか。

白井さんはキッパリと言った。「鶴田は一切、話していません」。

エッ、そうなのか。でも、親しい白井さんには「実は…」と話したのではないか。

「それもありません」と言う。

高須基仁さんと。12/28(月) 高須基仁さんと。12/28(月)

「鶴田の信念としては、こうです。自分は俳優であり、歌も歌っている。だから、それに対する質問や批判や疑問に対しては、俳優としての演技、又は歌でもって答える。言葉で弁解することはしない。そう思っていました」と。

だから、「三島事件」に対する鶴田のコメントはない。又、三島との対談の中で言ったことについてはコメントもない。

我々としては、惜しいし、残念だ。(私が邪推するには、白井さんは鶴田の言葉を聞いていたと思う。いつか、キチンと話したいと思っているのではないか)。

鶴田は何も言わないし、白井さんも、何も言わない。

でも、対談していて思ったのは、三島の鶴田に対する愛情だ。

一水会事務局の忘年会。12/28(月) 一水会事務局の忘年会。12/28(月)

三島は鶴田の映画を大絶賛し、「ファンだ」と言っている。鶴田も三島を評価し、絶賛している。

「昭和維新をやる」なんて、突拍子もないことを言い出されたら、「私も駆けつけますよ」と突飛な反応をして話を盛り上げるしかない。そう思って、「三島の世界」に浸かって、話をしているのだ。

又、読む人が見れば、「こんな過激な夢」を語っているくらいだから、本当はクーデターなど考えてない。と思ったのだ。

実際、自衛隊の幹部クラスとは、もっともっと凄いことを話し合っている。

「一緒にクーデターをやりましょう」「国会を取り巻いて、憲法改正をさせましょう」…と。

高田馬場の居酒屋で 高田馬場の居酒屋で

三島の「文学の世界」の話だと思って気軽に応じ、話を膨らませて、喋ったのだ。

ノーベル文学賞を取るかもしないと言われていた天才だ。「クーデターをやろう」と言われても、誰一人として〈現実〉の話とは思わない。三島の文学の話だと思った。

だから、「そうですね」「その時は一緒にやりましょう」と気軽に、話を合わせ、話を大きくしたのだ。

そんな対談は、自衛隊や鶴田とだけでなく、いろんな人たちとやっている。

「本当にやる気なら、テロ・クーデターなんて話をポンポン出すはずがない」と一般の人たちは思っていた。警察もそう思った。

二宮金次郎もタブレットで… 二宮金次郎もタブレットで…

それが三島の目的だった。大きく言うことによって、それはないように思われる。

下手に隠し、コソコソ言うのではない。いつでも、どこでも大っぴらに言う。雑誌やテレビ、ラジオでも言う。

そのことによって、「もう、そんなことは考えてない。だから日常の話題にできるのだ」と皆、思うのだ。

三島は騙しの天才だ。

⑤美は乱調にあり…

魚籠(びく)を背負う金次郎 魚籠(びく)を背負う金次郎

僕らだって、そう思った。

いや、実を言うと、三島の作った100人の民兵「楯の会」の人間だって、多くはそう思ったのだ。

三島と、「楯の会」の4人。この5人だけが秘密を共有している。他は誰一人として知らない。「いつか100人で決起する」という日を信じ、楽しみに待ち望んでいた。

いや、「これすらも小説ではないのか」と疑う会員もいる。

民兵組織「楯の会」を作って、クーデターをやるという。その中で、学生たちはどう変わり、成長するのか。あるいは絶望するのか。その大きな物語を三島は書こうとしているのではないか。

座って本を読む金次郎 座って本を読む金次郎

つまり、自分たちも「小説の一部」なのではないか。そう思う人もいた。いや、そう思った人の方が多かったのかもしれない。

だが、こうした思い込み、推測を裏切って、三島は決起を実行した。そして自決した。まるで「忠臣蔵」のようだ。

鶴田も、そうだ。三島事件については大いに驚いただろう。だがそれを、その辺の評論家のように、慌てて口にすることはない。それ以後の自分の演技と歌を見てほしい。そう言うのだ。

勿論、三島への絶対的な賛同とシンパシーはある。しかし、文学者じゃない自分がそれを中途半端に言うと、三島の目的や意図を壊してしまう。それを恐れたのではないか。そんな気がする。

小便小僧になった金次郎 小便小僧になった金次郎

その思いは、すでに三島との対談の中に全て込められている。何を今さら、付け加えることがあるのか。そういう思いだろう。

三島については1月14日(木)、椎根さん、御手洗さんたちとトークをする。その時に話してみたいと思う。

又、1月31日(日)には大阪で、「読書会」をやる。その時にも話してみたい。私の『新右翼(最終章)』(彩流社)をテキストにしてやる。

三島がこだわった天皇。そして決起。当然、鶴田浩二との対談も話す。

さらに、竹中労、野坂昭如…といった人々のこと。思想についても触れて話してみたい。

12月は、三島について考えた。竹中労について、さらに野坂昭如について考えた。

ロケットで大空へ!「ジェット金次郎」 ロケットで大空へ!「ジェット金次郎」

又、石川啄木の歌、小説などを1冊にまとめた『ザ・啄木』(第三書館)を読んだ。大判で、とても厚い。電車ではとても読めない。

又、筒井康隆の新作を読んだ。「もしかしたら、私の思想は全て、啄木と筒井によって作られているのではないか」とも思った。

本は読むほどに逆に、乱れる。統一なんかない。整理もない。これでいいだろう。小さくまとめるつもりはない。

今年は〈乱〉ですよ。去年は〈安〉だが、今年は乱れ、そして闘う年になる。そうする。そんなことを考えている新年です。

【だいありー】

鳩山さん、木村氏と鼎談
鳩山さん、木村氏と鼎談
「マガ9」忘年会。12/25(金) 「マガ9」忘年会。12/25(金)
  1. 12月28日(月)午前中、原稿。
      2時、出版社と打ち合わせ。
      4時、新橋。高須基仁さんの忘年会。久しぶりに会いました。「熟女クイーン」「格闘技大会」といろんなイベントをやってました。精力的です。
      6時半、高田馬場。一水会事務局へ。事務局の人たちは有能で、真面目だ。
      もう、「レコンキスタ」の1月号ができていた。年内に読者に届くという。今月号は12ページもある。鳩山由紀夫さん、木村三浩代表、そして私の座談会も載っている。「未来を照射できない旗と軸に存在理由はあるのか」「慰霊の営為は必ず和解と寛容を誘う」のテーマのもと、熱く語っています。  
      7時から、栄通りの居酒屋で一水会事務局の忘年会。お疲れ様でした。飲んでたら、隣りのグループが、「あっ、鈴木さん」と。ピースボートの人たちでした。
      高田馬場は、いろんな事務所があります。ピースボート。一水会。日学同。椎野企画。山岸会。又、以前、「ザ・ニュース・ペーパー」の事務所がありました。
塩田さん。本間龍さん 塩田さん。本間龍さん
  1. 12月29日(火)午前中、原稿。
      12時半、ネイキッドロフト。打ち合わせ。
      1時、スタート。 〈ライターになりたい人へ! 年末特別企画・実戦ライター入門講座。若者よ、反骨のルポライター・竹中労に学べ! 自由な批評、愚かな批評〉  
      出演は。武田砂鉄さん(フリーライター)。昼間たかしさん(ルポライター)。鈴木邦男。
      第1部は、「元祖ルポライター・竹中労とは? その影響力についての対論〉。
      休憩の後、第2部。「私が知る竹中労、反権力エピソード」。山梨で「竹中英太郎記念館」をやっている金子紫さん(労さんの妹さん)が来て下さったので、加わってもらった
      。竹中英太郎さんは労さんのお父さんで、画家。江戸川乱歩、横溝正史などの挿絵などを描き、竹中労さんの本の挿絵も描いていた。記念館には、それらが展示されている。又、労さんの本、載った雑誌なども沢山展示されている。
      ネイキッドロフトでは、4人の話、対論の後、質疑応答。そして武田さん、昼間さんのサイン会。さらに、
      5時からは場所を移して二次会。竹中労について熱く語り合いました。
タブレットを使ってる人も タブレットを使ってる人も
  1. 12月30日(水)午前中、原稿。午後2時、取材。5時から、忘年会。早く帰ってきて、仕事しなくちゃと思ったけど眠い。寝て、午前1時に起き、ずっと仕事をする。
  2. 12月31日(木)午前中、原稿。12時、週刊誌の人と会う。2時半、下北沢スズナリ。大川興業の公演を見る。阿曽山大噴火さんの「お笑い裁判の歩き方2015」。面白かった。感動した。これは生きた学問だ。
     終わって、楽屋に行って話した。
      夜、格闘技と紅白を見ながら、仕事。
  3. 1月1日(金)朝方まで仕事したり、テレビ見たり。新年ですね。2016年、平成28年ですね。おめでとうございます。年賀状を沢山頂きました。200枚ほどですね。
      昼から、月見岡八幡神社に行きました。
      帰ってきて仕事。
  4. 1月2日(土)一日中、家で仕事してました。年末に送る約束の原稿が3本あって、まだできません。やっと書き始めたとこです。正月なしの仕事ですね。
     夕方、富岡八幡宮に行きました。
  5. 1月3日(日)同じく、1日、家に閉じこもって仕事。
「ザ・啄木」読みました
「ザ・啄木」読みました
「過激派の兆候」
「過激派の兆候」
『読書人』で昼間、武田氏が対談
『読書人』で昼間、武田氏が対談

【写真説明】

「竹中労に学べ!」12/29(火)

①12月29日(火)午後1時より。新宿のネイキッドロフト。「年末特別企画・実戦ライター入門講座」です。
〈若者よ、反骨のルポライター・竹中労に学べ! 
自由な批評、愚かな批評〉。
 出演した、昼間たかしさん(ルポライター)。鈴木邦男。武田砂鉄さん(フリーライター)。

昼間さん。鈴木。金子紫さん。武田さん

②第2部は、金子紫(ゆかりさん。右から2人目)が登場して、肉親から見た竹中労を語ります。金子さんは、山梨県にある「竹中英太郎記念館」の館長です。英太郎さん(画家)はお父さん。労さんはお兄さんです。

金子紫さんと

③金子紫さんから詳しく話を聞きました。

「久しぶり!」と、ハグされました

④山梨の「竹中英太郎記念館」には以前、3度ほど行ってます。金子紫さんは久しぶりの上京。会うなり、「久しぶり」とハグされました。

竹中労さん

⑤ロフトの正面に掲げられてました。竹中労さんの遺影です。

金子さん。鈴木。武田さん

⑥終わった後、場所を移して二次会に行きました。金子さん、武田さんと。

二次会です

⑦金子さんの友人や、レーニンさんもいます。

和歌山から来た人も

⑧和歌山から来た下中さん(右)。札幌でもよく会いますね。

二次会の会場です

⑨12月29日(火)の夜は、どこのお店も予約で一杯。ここだけがあったんです。カラオケ店です。カラオケの大きな個室を借りて二次会をやりました。昔、ここは「王城」という喫茶店だったんです。それが今は、カラオケと居酒屋です。

安田弁護士(右)の忘年会。12/27(日)

⑩12月27日(日)の夜は、赤坂の安田好弘弁護士(右)の事務所で忘年会でした。森達也さんや、福島みずほさんなどもおりますね。

山本太郎さんと

⑪「『歩く風評被害』の山本太郎です」と自己紹介してました。山本太郎さんと。

森達也さんと

⑫森達也さんと。「森さんの小説に私も登場させてもらい、嬉しかったです」と言いました。

アーチャリー。神田香織さんと

⑬アーチャリー。講談師の神田香織さんと。

香山リカさんと

⑭香山リカさんと。珍しく、メガネを外してます。

想田和弘監督と

⑮映画監督の想田和弘さんと。想田さんは、映画「選挙」などを撮り、大きな話題になっています。

荒木浩さんと

⑯「アレフ」の広報部長の荒木浩さんと。

雨宮さんも

⑰ギュウギュウ詰めで、なかなか動けません。雨宮さんもいますね。

高須基仁さんと。12/28(月)

⑱12月28日(月)午後4時から高須基仁さんの忘年会がありました。新橋の沖縄料理店で。ちょっと遅れて出席しました。

一水会事務局の忘年会。12/28(月)

⑲12月28日(月)。高須さんの忘年会の後、高田馬場に行きました。一水会事務局の忘年会です。木村代表、花ちゃん、塩田さんがいます。

高田馬場の居酒屋で

⑳高田馬場・栄通りの居酒屋で行われました。

「マガ9」忘年会。12/25(金)

㉑「マガジン9」の忘年会です。12月25日(金)。新宿の中華料理店で。代表の塚田さんが挨拶しています。

塩田さん。本間龍さん

㉒塩田さん、本間龍さんと。本間さんは元・博報堂。私も一緒に本を出しています。『誰がタブーをつくるのか』(亜紀書房)。

タブレットを使ってる人も

㉓タブレットを使ってる人もいます。

二宮金次郎もタブレットで…

㉔二宮金次郎も今、生きてたら、本じゃなくて、タブレットを見てるんでしょう。と思ったら、テレビでやってました。徳島県鳴門市にあるんです。「デジタル金次郎」が。

魚籠(びく)を背負う金次郎

㉕海の傍の漁港では、魚を入れる「魚籠(びく)」を背負ってるんですね。金次郎が。愛知県豊橋市にあります。

座って本を読む金次郎

㉖「歩きながら本を読むと危ない」ということで、芝を下ろして、座って本を読んでます。小田原市にあります。

小便小僧になった金次郎

㉗「二宮金次郎を冒涜している!」という声もあります。小便小僧と金次郎を合体させたものです。作った人は、「一生懸命、本を読んでたんだ。トイレに行く時間も惜しんで本を読んでた。だから、立ち小便をしてた」と言ってるようです。伊豆高原にあります。

ロケットで大空へ!「ジェット金次郎」

㉘ロケットを背負って大空に飛び立つ金次郎です。「ジェット金次郎」です。いいですね。以上、12月25日(金)、テレビで放送された「魅惑のソノタ」からでした。

「ザ・啄木」読みました

㉙12月は仕事が忙しくて、休憩の時に本を読んでました。40冊以上読みました。その中でも、これは収穫です。『ザ・啄木』(第三書館)。石川啄木の詩・歌・小説が全一冊に! 大判で620ページあります。1900円です。啄木の書いたものが、ほとんど入ってます。それでこの値段。安いです。このシリーズでは、『ザ・多喜二』『ザ・龍之介』などを読みました。

「過激派の兆候」

㉚フランス政府が発表したんです。「こんな変化は“過激派”の兆候」。たとえば、「昔からの知人を嫌う」「家族を拒む」「食事が変わる」「音楽を聴かない」「スポーツをやめる」「服装が変わる」。でも、近しい人や近所の人でないと分かりません。そうです。近くの人がよく見て、こんな「変化」があったら、通報して下さい。ということでしょう。でも、私の周りは、こんな人ばかりです。過激派ばっかりで、私だけがマトモです。怖いです。

『読書人』で昼間、武田氏が対談

㉛週刊『読書人』で竹中労について語ってます。昼間たかしさんと、武田砂鉄さんです。

鳩山さん、木村氏と鼎談

㉜一水会の機関紙「レコンキスタ」(2016年1月号)で、鼎談をしています。鳩山由紀夫さん、木村三浩氏、そして私です。

【お知らせ】

  1. 1月14日(木)午後7時。「三島由紀夫生誕祭」。銀座TACT。椎根和さん、横山郁代さん、御手洗さん、瀧沢さん、鈴木が出演予定。今売れている三島の『命売ります』(ちくま文庫)についても話します。読んできて下さい。
  2. 1月15日(金)午後6時半。一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場。講師・山口敏夫氏(元労働大臣。安保法制を成立させた野党議員を落とす会代表)。演題「限界集落と化した永田町をぶっ壊せ!=世界平和の祭典のために森喜朗会長の更迭が必須だ=」。 参加費2000円。申し込みは、一水会事務局 03(3364)2015。
  1. 1月16日(土)「前田日明ゼミin西宮」。14時、ノボテル甲子園。ゲストは山口二郎さん(法政大学教授)。テーマは、「日本の議会制民主主義の崩壊」。
  2. 1月16日(土)高円寺シンポジウム。午後1時より、高円寺の「座・高円寺」(高円寺駅北口より徒歩5分)で。蓮池透さん、原渕勝仁さん、鈴木邦男。司会は椎野礼仁さん。「今だから語る、拉致問題と北朝鮮の真実」
  3. 1月19日(月)午後1時より。山梨県立大学 国際政策学部シンポジウムに出ます。「終戦後70年を経て、改めて日本のアイデンティティを考える=日中韓それぞれの視点から」。
  4. 1月31日(日) 「第1回 鈴木邦男 読書会in大阪」。鈴木邦男が書いた本を取り上げながら、鈴木が話し、皆で話し合います。第1回は、『新右翼(最終章)』(彩流社)をテーマに話し合います。読んでない人でも大丈夫です。参加費は2000円。会場はAP大阪梅田茶屋町。ABC・MART梅田ビル8Fです。出席お申し込みは下記へ。
    循環する読書会
    Facebook:https://m.facebook.com/jyunkandokusho/
    アメブロ:http://ameblo.jp/jyunkandokusho/
  1. 2月5日(金)18時。長野市で長野茶話会。上祐史浩さんと鈴木邦男のトークがあります。
  2. 2月17日(水)午後7時。代官山「晴れたら空に豆まいて」。上祐史浩さんと鈴木邦男のトークがあります。
  3. 2月28日(日)「前田日明ゼミin西宮」。14時、ノボテル甲子園。ゲストは木村草太さん(憲法学者・首都大学東京准教授)。テーマは、「日米安全保障の重大問題〜メディアが伝えない憲法の話〜」。
  4. 3月1日(火)午後6時、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは鳩山由紀夫さん。テーマは、「友愛と東アジア共同体構想」。(5月17日(火)はアーチャリーです)