あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、今年は挑戦の年ですね、と年頭の決意を安倍首相のように言いたいところですが、その余裕はありません。
新年になってもまだ旧年中の仕事を抱えているからです。年末にやっておくつもりだった仕事ができないで、年を越して、まだやっているのです。
いけないな。だから正月もずっと家に閉じこもって仕事しているのです。
さて、「今年の漢字」は「安」でしたね。いや、違う。去年の「今年の漢字」だ。安全の「安」だといい、自分の「安倍」の安なのでしょう。
安保法案ができて、日本の安心・安全は二倍になった。まさに「安倍」だと自画自賛してましたね。
私が産経新聞に勤めていた頃、やはり安倍さんでした。同じ字でした。同じ人ではありません。
販売局に2年、広告局に2年いました。広告局にいた時、部長が安倍さんでした。
今はいい思い出ですし、厳しく指導して頂いたと感謝していますが、当時は、私も未熟だった為に、反抗ばかりしていました。
この部長さん、全ての点で厳しい。自分に来た手紙なども名前を間違っていたら、開封しない。「これは自分に来たものではない」と言って、返してしまう。あるいは、相手に厳重に抗議する。
ある広告会社から手紙が来た。「安倍」ではなく、「阿部」と書かれている。
仕事関係だと分かるから、突き返していては、仕事が遅れる。でも、黙って受け取ってはいられない。
「鈴木君、相手に注意してあげなさい」と言う。言葉は穏やかだが、〈厳重に注意しろ〉ということだ。
「ハイ、分かりました」と言って、相手を電話で呼び出し、厳重に注意しましたよ。「二度と間違わないように!」。
そして言った。「右が可能の可の〈阿〉じゃなくて、安っぽいの〈安〉だから!」。
分かりやすく教えてやったつもりだったが、それを聞いていたんだね。安倍部長、飛んできて、「何てことを言うんだ!」と電話をひったくった。
「違う!〈安い〉の安じゃない!〈安全〉の安だ! 分かったね」。ガチャーン。
えっ、〈安い〉も〈安全〉も同じじゃないか。でも〈安い〉と言われることに腹を立てるんだね。
そうか。安倍首相も、〈安全〉の安で、〈安全が二倍〉とはいうが、これは、〈安っぽくて〉〈不安な〉法案だとは絶対に言わない。
自分だって〈安くないし、不安じゃない〉と思っている。よく言えば、自分の名前にプライドを持っているのだろう。
でも、名前なんて、どうだっていいじゃないか。記号なんだし。と私は思ってました。愚かにも。その頃は、知らなかったんでしょうね。
その頃、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が大ヒットしてしてました。左の運動はもうない。右も大体のところはない。「右も左も真っ暗闇じゃありませんか」という鶴田の言葉に、「俺たちのことが言われているんだ」と思ったものでした。
「じゃ、どうしたらいいんだ」と思いました。ただ、この歌のように、俺たちの運動はダメだった。という謙虚な気持ちは持ってました。
ところが政治家というのは能天気なんですな。この歌がヒットした時、作詞家の藤田まさとさんは銀座でバッタリ会った自民党の中曽根康弘さんに声をかけられた。「いやー、いい歌ですね」と。
藤田さんが作詞した「傷だらけの人生」のことだ。「右も左も真っ暗闇で…」と、まるで、自民党の応援歌のようで、ありがたい。と言ったそうだ。
自民党は右でも左でもない。そんな連中はダメだ。日本の中心をいく自民党よ、頑張れ!と言っている。そう思ったんだ。勝手に思ったんだ。全く、ズーズーしい。
そして翌日、同じ銀座で、今度は社会党の成田知巳に会った。「いやー、いい歌を作ってくれて…」と言う。やはり、「傷だらけの人生」のことだ。
「右も左も真っ暗闇じゃありませんか」はその通りです。我々社会党の歌ですね、これは、と言う。
自分たちのことを「左」だとは思ってない。赤軍、中核、革マル…といった「過激派」のことを言っている。これらはダメだ。我々社会党が頑張らなくては。…そういう歌だと勝手に思い、気に入っていたのだ。おめでたい人々だ。
少なくとも我々右翼や左翼学生運動をしていた人間は、「我々のことを言ってる」「我々は否定された」と謙虚に認め、反省していたのに…。
政治家の連中は、一点の反省の心もなく、「これは我々の歌だ!」と、傲慢にも思っていたんだ。
この話を聞いて、今さらながら、日本の政治家のレベルの低さに愕然としましたね。
45年経った今でも、この歌はいい。ジーンと来るものがある。「傷だらけの人生」だ。
ただ、他を責めるだけでなく、自分自身が「傷だらけだ」と自己批判し、反省している。
この歌が流行していた時、三島由紀夫だって、「おっ、いい歌だな」と思った。前年に「週刊プレイボーイ」で対談し、意気投合した。「やっぱり、あんたは俺の思っていた通りの男だ」と言った。
その言葉を思い出していただろう。もう一度会ってみたいと思ったが、できない。間近に迫った決起の準備に忙殺されていた。
そして1970年(昭和45年)11月25日。三島と「楯の会」4人は自衛隊の市ヶ谷駐屯地を襲い、自衛隊に向けて、「立ち上がれ! 憲法改正だ!」と演説した。そして、三島と森田は割腹自決した。
日本中は、パニックになった。自衛隊だけでなく、日本中が、いや世界中が、「一体、何が起こったのか」と思った。「なぜ、三島は自決したのか」と思った。
少しでも三島と付き合いのあった人間には、マスコミが殺到した。
「どんな意図だったのか?」「直前に、何か言ってなかったのか」を聞こうとした。
文学者たちは、語っていた。本当は何も分からなくても、分かったように喋っていた。三島と「最も親しかった人」と言って何人もが出ていた。
今から思えば、かなり、いい加減な人たちも出ていた。
首相や防衛庁長官は、断固として反対した。「許されない暴力だ」と言った。
マスコミの「主張」もそうだった。いくら国際的に有名な作家であっても、法律を破り、クーデターを呼びかけるなんて異常だし、許せないと言っていた。
「でも、鶴田浩二なら、弁護し、評価してくれるのではないか」。そう思って、マスコミは殺到した。
だって、1年前に対談し、「三島さんが立つなら私もやります」「軍刀を持って駆けつけます」と言ってたからだ。
その時は間に合わなかったとしても、一緒にやりたかったのだろう。残念だろう。そう思って、マスコミは殺到したのだ。
「やっぱり三島さんは男だ。本当にやった。私も駆けつけたかった。事前に電話があったら、軍刀を持って駆けつけたのに。でも、他人を巻き込むまいとしたのだ。やっぱり男だ」。そんなコメントを期待したのだろう。
私らだって、それを期待した。1年前に「プレイボーイ」で対談し、自決の2ヶ月前には、それが三島の「対談集」に入っていた。それを読んで初めて、二人の対談を読んだ人もいただろう。
「昭和維新」を煽り、一緒にやろうと血盟を交わした対談集だ。あそこまで言ったんだ。本当にやる気だった。
でも、三島は電話をくれなかった。置いて行かれた。残された「楯の会」のようではないか。私らはそう思った。
ところが、鶴田のコメントは出ない。「三島を支持し、自分もやりたかった」というコメントは出ない。といって、反対のコメントも出ない。
あんなことを言いながら、実際に三島がやったので、ビックリしてしまい、ビビったのではないか。「しまった」「あんなことを言っちゃって…」と反省しているのではないか。そう推測して発言してる人もいた。
そんな発言の方が多かった。鶴田は一切、ノーコメント。だからこそ、他人が言う「推測」だけが流布された。
それを読んだ我々は、あたかも鶴田が「ビビってしまい」「対談したのを後悔している」。
そんな推測記事だけを読んで、「何だ!そうだったのか」と落胆し、鶴田を「見損なった!」と思ったのだ。
「でも、それは違います」と白井伸幸さんは言う。
白井さんは、「傷だらけの人生」を作った人だ。こんな歌を作ってはどうかと作詞家の藤田まさとさんに頼み、吉田正さんに作曲を依頼。これを鶴田浩二に歌わせたのだ。
何もない所から発想し、プロデュースして、大ヒット曲を作ったんだ。
先月、12月19日(土)、白井さんと対談し、その時の話をじっくりと聞いた。神田の「学び舎」で〈音楽寺子屋〉というイベントで、対談した。
「この歌はいいし、まさに我々の歌だ」と言った自民党の中曽根康弘と、社会党の成田知巳。しかし、思想的歌詞は何も、藤田が考えたものではないという。
白井さんが、まず、藤田を口説いた。その時の思い、考えが頭の中に残っていて、藤田は、あの曲を書いたのだという。今の情勢について。日本は危ない。日本人も危ない。…ということを諄々として白井さんは説いた。
その中で、日本人に力を与える歌を書いて欲しいと言った。
そうか、じゃ、あの歌の本当の作詞者は白井伸幸さんだったのか。
「それで、三島事件が起こった時、皆、驚いたでしょう。鶴田から話を聞いてましたか」と私は聞いた。
鶴田はどうコメントしたか、どんな感想を持ったのか。
特に、「プレイボーイ」で対談し、もし、三島が決起したら「私も軍刀を持って駆けつける」と言ったことに対して、どう言ったのか。「今でもその通りだ」と思っているのか。「あれは軽率だった」と反省しているのか。
白井さんはキッパリと言った。「鶴田は一切、話していません」。
エッ、そうなのか。でも、親しい白井さんには「実は…」と話したのではないか。
「それもありません」と言う。
「鶴田の信念としては、こうです。自分は俳優であり、歌も歌っている。だから、それに対する質問や批判や疑問に対しては、俳優としての演技、又は歌でもって答える。言葉で弁解することはしない。そう思っていました」と。
だから、「三島事件」に対する鶴田のコメントはない。又、三島との対談の中で言ったことについてはコメントもない。
我々としては、惜しいし、残念だ。(私が邪推するには、白井さんは鶴田の言葉を聞いていたと思う。いつか、キチンと話したいと思っているのではないか)。
鶴田は何も言わないし、白井さんも、何も言わない。
でも、対談していて思ったのは、三島の鶴田に対する愛情だ。
三島は鶴田の映画を大絶賛し、「ファンだ」と言っている。鶴田も三島を評価し、絶賛している。
「昭和維新をやる」なんて、突拍子もないことを言い出されたら、「私も駆けつけますよ」と突飛な反応をして話を盛り上げるしかない。そう思って、「三島の世界」に浸かって、話をしているのだ。
又、読む人が見れば、「こんな過激な夢」を語っているくらいだから、本当はクーデターなど考えてない。と思ったのだ。
実際、自衛隊の幹部クラスとは、もっともっと凄いことを話し合っている。
「一緒にクーデターをやりましょう」「国会を取り巻いて、憲法改正をさせましょう」…と。
三島の「文学の世界」の話だと思って気軽に応じ、話を膨らませて、喋ったのだ。
ノーベル文学賞を取るかもしないと言われていた天才だ。「クーデターをやろう」と言われても、誰一人として〈現実〉の話とは思わない。三島の文学の話だと思った。
だから、「そうですね」「その時は一緒にやりましょう」と気軽に、話を合わせ、話を大きくしたのだ。
そんな対談は、自衛隊や鶴田とだけでなく、いろんな人たちとやっている。
「本当にやる気なら、テロ・クーデターなんて話をポンポン出すはずがない」と一般の人たちは思っていた。警察もそう思った。
それが三島の目的だった。大きく言うことによって、それはないように思われる。
下手に隠し、コソコソ言うのではない。いつでも、どこでも大っぴらに言う。雑誌やテレビ、ラジオでも言う。
そのことによって、「もう、そんなことは考えてない。だから日常の話題にできるのだ」と皆、思うのだ。
三島は騙しの天才だ。
僕らだって、そう思った。
いや、実を言うと、三島の作った100人の民兵「楯の会」の人間だって、多くはそう思ったのだ。
三島と、「楯の会」の4人。この5人だけが秘密を共有している。他は誰一人として知らない。「いつか100人で決起する」という日を信じ、楽しみに待ち望んでいた。
いや、「これすらも小説ではないのか」と疑う会員もいる。
民兵組織「楯の会」を作って、クーデターをやるという。その中で、学生たちはどう変わり、成長するのか。あるいは絶望するのか。その大きな物語を三島は書こうとしているのではないか。
つまり、自分たちも「小説の一部」なのではないか。そう思う人もいた。いや、そう思った人の方が多かったのかもしれない。
だが、こうした思い込み、推測を裏切って、三島は決起を実行した。そして自決した。まるで「忠臣蔵」のようだ。
鶴田も、そうだ。三島事件については大いに驚いただろう。だがそれを、その辺の評論家のように、慌てて口にすることはない。それ以後の自分の演技と歌を見てほしい。そう言うのだ。
勿論、三島への絶対的な賛同とシンパシーはある。しかし、文学者じゃない自分がそれを中途半端に言うと、三島の目的や意図を壊してしまう。それを恐れたのではないか。そんな気がする。
その思いは、すでに三島との対談の中に全て込められている。何を今さら、付け加えることがあるのか。そういう思いだろう。
三島については1月14日(木)、椎根さん、御手洗さんたちとトークをする。その時に話してみたいと思う。
又、1月31日(日)には大阪で、「読書会」をやる。その時にも話してみたい。私の『新右翼(最終章)』(彩流社)をテキストにしてやる。
三島がこだわった天皇。そして決起。当然、鶴田浩二との対談も話す。
さらに、竹中労、野坂昭如…といった人々のこと。思想についても触れて話してみたい。
12月は、三島について考えた。竹中労について、さらに野坂昭如について考えた。
又、石川啄木の歌、小説などを1冊にまとめた『ザ・啄木』(第三書館)を読んだ。大判で、とても厚い。電車ではとても読めない。
又、筒井康隆の新作を読んだ。「もしかしたら、私の思想は全て、啄木と筒井によって作られているのではないか」とも思った。
本は読むほどに逆に、乱れる。統一なんかない。整理もない。これでいいだろう。小さくまとめるつもりはない。
今年は〈乱〉ですよ。去年は〈安〉だが、今年は乱れ、そして闘う年になる。そうする。そんなことを考えている新年です。
①12月29日(火)午後1時より。新宿のネイキッドロフト。「年末特別企画・実戦ライター入門講座」です。
〈若者よ、反骨のルポライター・竹中労に学べ!
自由な批評、愚かな批評〉。
出演した、昼間たかしさん(ルポライター)。鈴木邦男。武田砂鉄さん(フリーライター)。
⑨12月29日(火)の夜は、どこのお店も予約で一杯。ここだけがあったんです。カラオケ店です。カラオケの大きな個室を借りて二次会をやりました。昔、ここは「王城」という喫茶店だったんです。それが今は、カラオケと居酒屋です。
㉗「二宮金次郎を冒涜している!」という声もあります。小便小僧と金次郎を合体させたものです。作った人は、「一生懸命、本を読んでたんだ。トイレに行く時間も惜しんで本を読んでた。だから、立ち小便をしてた」と言ってるようです。伊豆高原にあります。
㉙12月は仕事が忙しくて、休憩の時に本を読んでました。40冊以上読みました。その中でも、これは収穫です。『ザ・啄木』(第三書館)。石川啄木の詩・歌・小説が全一冊に! 大判で620ページあります。1900円です。啄木の書いたものが、ほとんど入ってます。それでこの値段。安いです。このシリーズでは、『ザ・多喜二』『ザ・龍之介』などを読みました。
㉚フランス政府が発表したんです。「こんな変化は“過激派”の兆候」。たとえば、「昔からの知人を嫌う」「家族を拒む」「食事が変わる」「音楽を聴かない」「スポーツをやめる」「服装が変わる」。でも、近しい人や近所の人でないと分かりません。そうです。近くの人がよく見て、こんな「変化」があったら、通報して下さい。ということでしょう。でも、私の周りは、こんな人ばかりです。過激派ばっかりで、私だけがマトモです。怖いです。