これから本はどうなるんだろう。
すべては電子書籍になってしまうのか。紙媒体はなくなってしまうのか。
私の以前出した本も次々と電子書籍になっている。多くのいろんな分野の人に読んでもらえるのは嬉しいが、果たして喜んでいていいのか。
本屋でも、この問題に関する本は見つけたら買ってる。本の将来が心配だから。
図書館でも見かけたら必ず借りて読んでいる。この関連本はもう37冊も読んだ。今週も2冊読んだ。
村瀬拓男の『電子書籍の真実』(マイコミ新書)と、池澤夏樹編の『本は、これから』(岩波新書)だ。
本の未来は暗い。電車の中でも皆、携帯を見ている。本を読んでる人はほとんどいない。
そうか。「本の未来」や、「人々はなぜ本を読まなくなったのか」を考える必要はないんだ。自分はどうするか。それだけでいい。
福田和也『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHPビジネス新書)を読んだ。「本の未来」なんて関係ない。我が道をゆくんだ。
それにしても凄い。再読だ。前にも読んだ。元気をもらえる。
佐藤優も月に100冊読むという。でもこの人は速読術が出来るのだ。
福田は術を使わないで100冊だ。私なんて30冊位だ。必死になって頑張っても40冊か50冊だ。とても100冊なんか読めない。
それに毎月、コンスタントにやってるという。
じゃ、福田和也は寝ないのか。いや、寝てる。「1日8時間睡眠。社交も大好き」と書いている。
その上で、「どう読むか」「どう書くか」を書いている。
「本の効果的な読み方」もいい。「お気に入りの書店を見つける」「立ち読みのすすめ」「役立つ本の選び方」…とあって、「信用できる『評者』の見つけ方」と言っている。
でも、この「書評」が厄介だ、と言う。新聞、雑誌には、どこも文化欄にブックレビューがある。
〈ところが、これが信用ならない。全部が全部そうだとは云わないけれど、大概いい加減なものです〉
とバッサリ斬り捨てる。
〈ここには、また日本的な構造汚職のようなものがあるのです。つまりは、書評で取り上げる。そこで褒める。あるいは貶(けな)すということが、ある種の権勢のゲームになっているわけですね。書評で取り上げて褒めることが、好意の表明であったり、忠誠の証だったりする。だから、文壇や学界の実力者が本を出せば、皆が競って取り上げて、無責任な賛辞を述べる。まあ、そういう遊びも、当事者たちにとっては、意味のあるものでしょうが、読者にしたらたまらない。無責任な書評にだまされて、本を買い、そのうえ貴重な時間を費やしたのに、何の感興も知識も得られなかった、という経験は本好きならばどなたもおもちではないでしょうか〉
これには大賛成です。じゃ、どうする。「信用できる評者を見つけることでしょうね」と言う。
でも、これも又、難しい。福田和也にやってほしい。
朝、毎、読、産経の新聞。そして週刊誌、月刊誌の書評欄を審査し、A、B、C…と格付けしてほしい。
少なくとも、「この書評は読むな」「こいつの書評は読むな。時間のムダだ」と思うリストを発表してほしい。
そうでないと、いつまでも、この「構造汚職」はなくならない。
前も言ったが、評者に本を選ばせてはダメだ。どうしても「自分の世界」「知り合いの世界」の人間の本しか取り上げない。
ここに大きな問題がある。編集者が勝手に決めて、書評させたらいい。
そういうことをやってる週刊誌はいくつかある。その制度を取り入れてる週刊誌だけを発表してもいい。
今日、本屋で衝動買いした本がある。出口治朗の『人生を面白くする本物の教養』(幻冬舎新書)だ。
本の帯には、こう書かれていた。これで買った! 「ビジネスにも必須!」として、こう書く。
〈本を読み、人に会い、旅をする。そして自分の頭で考えぬく〉
アッと思った。日頃、私が考えてることと同じだ。吉田松陰もそう言っていた。
本を読み、いい人と会う。凄い人がいると聞けば、どんな遠くへでも行って、話を聞く。
この本は「ビジネス界きっての教養人が明かす、知的生産の全方法」という。いいね。
でも、「いい人」「いい本」に巡り合うためには、その何倍も、「つまらない人」「下らない本」に会ってるんだろう。この出口さんだってそうだっただろう。
じゃ、具体的な書名、人名をあげて、格付けしてもらったらいい。そういうものこそ、有料のサイトにしたらいい。皆、見るよ。
「速読は百害あって一利なし」とも言う。本の読み方という〈手段〉はいろんな考え方があるだろう。遅読、精読、飛ばし読み…と。まあ、好きにやったらいいだろう。
「人間が将来に備える唯一の方法は歴史に学ぶこと」。
昔は、地震、津波などの自然災害に遭うと、土地の老人に聞くしかなかった。
「60年前、津波があって、その時、こんなことをした」「これは失敗だった」…と話を聞く。それが「予防策」になったのだ。老人は「情報源」だった。
しかし、今はそれはない。あの戦争だって体験した人は出てきて、どんどん話してほしい。
でも、歴史の中の、自分の気に入った所だけを選んで、そこで満足して、進歩が止まる人もいる。日
本は常に正しかった。正直に堂々と戦い、アジア解放のために戦ったんだ、という歴史だけを読み、「だから、日本は素晴らしい」と満足する。これもやめたらいい。
どこの歴史にも素晴らしい面もあるし、暗い、恥ずかしい面もある。両方ともに見つめて、考えるべきだ。
それが出来なかったら、危ない。だから、『歴史を学ぶな』という本まで出ている。
出口のこの本で驚いたのは、〈旅〉だ。私も旅によく出るし、そこに行くまでに随分と本を読んでいる。
新幹線、電車、飛行機の中で読んでいる。「本を読むしかない環境」で読む。能率が上がる。
でも、私にとって、旅は手段だ。どこか目的があって、大阪、札幌などに行く。「旅」は手段だ。
でも出口は違う。 〈旅こそ最高の遊びにして、教養の源〉だと言う。
そうか。最近はこれも分かる。地方に行って、いろんな所を見物・見学してるからだ。
姫路の飛松塾に行った時、修理を終えた直後の姫路城をじっくりと見た。「大河ドラマ館」も見た。
10月17日(土)に静岡に行った時は、小出さんの講演会を聞きに行ったのだが、岩井氏が、「せっかくだから登呂遺跡を見ましょう」と案内してくれたのだ。
とてもよかったですね。こっちは弥生だが、青森の三内丸山遺跡は縄文だ。そんな古いものがあったなんて偉大だ。
「そうか。三内丸山を真似て、静岡にも、遺跡センターを造ったのだろう。
そう思っていたが、岩井氏に反論された。「逆です」と。
こっちの方が早く造られ、そのあとに三内丸山が発見され、巨大な遺跡になっている。とても勉強になった「登呂」との遭遇だった。
午後からは小出さんの講演会に行った。
この会場は前にも来たことがある。袴田さんの救援集会だったと思う。
あの時も多かったが、今日も多い。入り切れない。資料も足りない。それだけ小出さんの人気が高いのだ。
「脱原発」で闘っている第一人者だし、話も分かりやすいし、迫力もある。
この日に夜遅く、名古屋に行き、そこで泊まる。
翌、10月18日(日)は、「大名古屋まつり」を見た。
それから、NHK文化センター名古屋に行く。2時から井浦新さん、大西信満さんのシネマトークがある。それを聞きに来たのだ。
「仕事」というより「遊び」だね。つまり、旅を楽しんでいるんだろう。
それと、〈全集〉読みだね。私にとっては。
今、『大杉栄全集』(全12巻。ぱる書房)に挑戦している。
なかなかいい。全く知らなかった論文が沢山あるし、大杉の知らなかった部分も知ることが出来る。
東京に帰ってからも、いろんな人に会ってる。
10月19日(月)は、一水会フォーラムに来てくれたオスマン・サンコンさんに会った。久しぶりだ。大の親日家であり、アフリカとの橋渡しをしている。
10月20日(火)は、田原総一朗さんと会って、対談した。
夜は「恵観塾」に行った。毎月、鹿児島から上京し、勉強会をやっている。
宗教のお話。そして、時局問題だ。とても勉強になる。
話を戻す。18日(日)の井浦さん、大西さんのシネマトークは満員だった。
若松監督を通して、日本の70年を考える。「若松監督の子供たち」です。
10月21日(水)は、三島研で田中英道さんに会った。
10月24日(土)は、死刑反対の国際大会。
25日(日)は、孫崎享さんに会った。
今週は、毎日、いろんな人と会った。又、本も読んでいる。
『大杉栄』全集の他にも、いろんな本を買っている。厚くて、場所もとる。でも、読んでおかなくては…。
今、岩波書店から〈70年を考える〉シリーズ本が出ている。
これはいい。『ひとびとの精神史』(全9巻)だ。
第1巻は「敗戦と占領」。
第2巻は「朝鮮戦争」。
第3巻は「60年安保」。ここまで出ている。
今、1巻を買って読んでいる。これは全巻読まなくては、と思っている。
第4巻は「東京オリンピック」。
第5巻は「万博と沖縄返還」だ。ここには三島事件も出てくる。
そして第6巻「日本列島改造」。
第7巻「終焉する昭和」。
第8巻「バブル崩壊」。
第9巻「震災前後」。と続く。
これは戦後70年に対しての本格的な取り組みだ。
私らの学生時代は、思想、文学について、いくつもの「全集」が出ていた。
『世界の名著』『世界の大思想』『日本思想大系』『人類の知的遺産』…と。それらの刊行をドキドキしながら待ち、買った。
よし、授業なんか行ってらんないと思い、部屋の中で、ひたすら読んだ。
あの時の興奮と感動は何ものにも代えがたい。岩波の『ひとびとの精神史』を読みながら、そんなことを思った。
又、皓星社からは、やはり戦後70年を考えるシリーズ本が刊行されている。
岩波とは又、違った角度からこの70年を考える。シリーズ「紙礫(かみつぶて)」だ。
その第一巻が、「闇市」だ。「闇市」について書かれた小説をまず取り上げる。
太宰治、永井荷風、坂口安吾、野坂昭如…らの小説だ。
そして、解説が入る。このシリーズの第2巻は「外娼」だという。
もう遠くなった敗戦直後の日本を描写する。「表の政治」ではなく、国民の「内側」「裏」を書いた小説を紹介し、そして解説する。面白い企画だ。
昔、戦争文学についてはあった。でも、「戦後70年」についてはなかったので、貴重だ。
これから後も、アッと驚くテーマで本を出すようだ。いいことだ。
出版も事件だ。鹿砦社は『紙の爆弾』を出してるし、私の対談も、かなり続いている。今月号は大久保鷹さんと対談している。
『紙の爆弾』があって、皓星社からは「紙礫(かみつぶて)」シリーズだ。
共に強力な武器になるだろう。楽しみだ。
藤原さんは、『竹中労』を読みましたよ、と言っていた。
柔道の溝口紀子さんや、大勢のライター、カメラマンに会った。
7時前に私は中座。高田馬場のホテルサンルートへ。一水会フォーラムに遅れて参加する。
この日は、オスマン・サンコンさん(タレント)が講師。演題は「人間交流と外交」。とてもよかっです。
息子さんも来てました。アフリカの人は親日的な人が多い。もっともっと友好を深めるべきだと言っていた。
サンコンさんも日本大好き。ただ日本に来て、視力は落ちたという。「6.0」だったのが「1.2」になってしまったと。
しかし、「6.0」は凄いですね。私も「2.0」あったのが、パソコンのやりすぎで「1.2」になってしまった。と言いました。「2.0だったんですか。凄いですね」と皆が驚いてました。
いや、検査の時、待ってる間に全部暗記しちゃったんだけど。
終わって、ホテルニューオータニへ行く。池口恵観さんが月一でやっている勉強会「恵観塾」に出る。
恵観さんは79才。田原さんは81才。2人とも元気だ。
1時、終了。私は急いで学校(河合塾コスモ)へ行く。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。平岡秀夫さん(第88代法務大臣)の『「リベラル日本」の創生』(ほんの木)。憲法、外交における安倍首相の裏切りについて話している。
又、「死刑反対」運動についても書いてある。この本を読みながら、日本の死刑について考えました。
①10月17日(土)。朝10時に静岡駅に着き、岩井氏や地元の脱原発の運動をしてる人と合流しました。小出裕章さんの講演は午後1時からなので、「午前中は登呂遺跡をご案内します」と。弥生時代にあったんですね。初めて見ました。昭和18年にここに軍需工場を建てようとしてたら、何と2千年前の弥生式土器が出てきた。それで工事は中止。戦争が終わってから本格的な発掘作業を始めたそうです。
⑨湖西市長の三上元さん。三上さんが、「鈴木さん、久しぶりに静岡で会いませんか」と呼んでくれたんです。前日は東京で仕事があり、「さっき着いたばかりです」。これが終わったらすぐ青森へ行き、「核廃棄物の調査に行くんです」と言ってました。忙しいですね。
⑫10月17日(土)は、登呂遺跡を見て、小出さんの講演を聞いて、スナック「バロン」に行きました。それから夜遅く、名古屋へ入りました。翌18日(日)は、10時に待ち合わせて、岩井さん、滝沢さんと合流し、NHK文化センターへ。井浦新さん、大西信満さんの講演を聞きに来たんです。早く着いて時間があったので、見学してたら、こんな「体験コーナー」がありました。岩井、滝沢さんが、アナウンサーになって、「わくわくニュース」をやるんです。いいですね。本物のようです。ちゃんとニュースを報じてました。
⑭午後2時から、始まったのです。〈若松孝二監督没後3周年に語る。井浦新×大西信満のシネマトーク〉。司会は名古屋シネマスコーレ支配人の木全純治さんです。事前に申し込みをしてたので入れましたが、超満員でした。それに、女性ファンばっかり。男は私と岩井さん。それにもう2人だけでした。女性は300人。凄いです。トークもとてもよかったし、若松監督について、又、三島映画について新たな発見もありました。
⑮トークが終わってサイン会。それが終わって会いました。「えっ! わざわざ名古屋まで来てくれたんですか!」と2人ともビックリしてました。「東京じゃ、なかなか会えないし、思い切って来たんですよ」と言いました。井浦さんも大西さんもラフな格好で来てました。
⑳バルセロナオリンピック。女子柔道・銀メダリストの溝口紀子さんに会いました。「あれっ!どうして」と思ったら、河出時代、武田砂鉄さんが溝口さんの本を作っているんですね。溝口さんの『性と柔』(河出書房新社)だ。女子柔道のことを書いたんですが、タイトルが刺激的、挑発的だ。武田さんがつけたんだ。それもあって、随分と売れた。私は、『紙の爆弾』で溝口さんと対談もした。「週刊金曜日」の赤岩さんもいたので紹介しました。「ちょっと投げて下さい」と溝口さんに言ったんですが…。「死んじゃう!」と赤岩さんは逃げ出しました。
㉚田中英道さんと。田中さんの『国民の芸術』(扶桑社)は前に読んでました。とてもいい本でした。それに東北大学で教えていたというし。仙台の八木山に住んでたといいます。「私も、仙台なんです」と、仙台の話になりました。