2015/07/13 鈴木邦男
唐牛健太郎さんの墓前祭。7/4
唐牛健太郎さんの墓前祭。7/4

函館。唐牛さんの墓前祭。そして多くの出会いがありました

お参りし、お墓に水を
お参りし、お墓に水を

①全国から函館山に集まるんです

唐牛さんのお墓
唐牛さんのお墓
唐牛さんの奥さんと高橋夫妻 唐牛さんの奥さんと高橋夫妻

7月4日(土)、函館に行ってきた。唐牛健太郎さんの墓前祭に出たのだ。

唐牛さんは60年安保の時の全学連委員長だ。全国の学生を動員し、国会を包囲し、国会に突入した。また、このデモの中で東大生の樺美智子さんが殺された。

騒然とした日々だった。激動の日々だった。その革命的な時代を作り、闘ったのが唐牛さんだ。

唐牛(かろうじ)という名前からして強そうだ。安保闘争が終わり、全学連委員長を辞めてからも華々しく、伝説的な日々だった。

漁師になって船に乘ったり、居酒屋を開いてみたり、セールスマンをやったり、堀江青年と一緒にヨットの学校をやろうとしたり…。

唐牛さんと初めて会った時です 唐牛さんと初めて会った時です

さらに、(元・武装共産党の委員長で、この時は「右翼」になっていた)田中清玄や山口組の田岡組長とも付き合い、援助を受けていたと、マスコミに大々的に書かれた。

保守派や左翼のジャーナリズムは「汚れた英雄だ!」と大キャンペーンを展開していた。

しかし、一貫して闘う男だった。今でも、慕い、偲ぶ人が多い。

そんな人々が、7月の第一土曜日に、ここに集まるのだ。

海の見える、函館山の中腹だ。そこにお墓がある。

本当のお墓は市内のお寺にあるのだが、ここは26年前に、同志・後輩たちが集まって造ったお墓だ。記念碑かもしれないが、「唐牛さんのお墓」と呼んでいる。

アーチストの秋山祐徳太子さんが設計し、アートな墓を造った。表面はギザギザになり、ちょうど海の波を表している。

私も挨拶しました 私も挨拶しました

舞踏家の麿赤児は前に、この墓の前で追悼舞踏を踊ったが、興が乗って、墓の上に飛び乗り、激しく踊った。

ところが、波のように、ギザギザだ。足が血だらけになりながら、それでも踊ったという。

唐牛さんは一代の英雄だ。そして若くして亡くなった。

生まれたのは1937年2月11日だ。紀元節の日だ。

ただし、本人は、それを気にしていて、「2月11日生まれ」を隠していたという。紀元節は右翼・反動に利用されている。それと同じ日だということに引け目を持っていたのかもしれない。

そうだ。元衆議院議員の井脇ノブ子さんも誕生日は2月11日だ。毎年、この日に「お誕生日会」をやっている。国会議員も大勢来ている。今年も私は参加した。「国の誕生日と同じか」と驚いた。

懇親会で 懇親会で

さて、唐牛さんだ。あれだけの活躍をし、闘い、その後は全国を流浪し、いろんな仕事についた。

でも、42才で亡くなった。若かった。若すぎた。

三島由紀夫は45才で亡くなり、若いと惜しまれたが、唐牛さんは三島よりも若くして死んだのだ。

「唐牛が今、生きていたら」「もう一度、闘ってくれたら」と思い、悔し涙を流している人は多い。

そんな人々が、ここに集まる。唐牛さんと一緒に闘った人たち。その後輩たち。そしてファン。多くの人たちが全国から函館山に集まってくる。

来年春には、函館までの新幹線が出来る。「じゃ、来年は新幹線で来よう」と話し合ってる人もいた。

函館市内です
函館市内です

②唐牛さんに励まされた人が多いのだ!

多くの人が来てるんですね
多くの人が来てるんですね
徳永エリさん。おおさか誠二さんと 徳永エリさん。おおさか誠二さんと

私は毎年来ている。ここ数年前からのことだが。6年ほど前からだと思う。

ここで墓前祭をやり、そのあと、市内のお店で懇親会があり、二次会、三次会となる。

私は二次会は欠席し、いつも、函館山に登って、「日本一の夜景」を見ている。本当に素晴らしい。

唐牛さんも、ここから昼の函館、夜の函館を見て、愛郷心を持ち、そして闘ったのだろう。

「でも、どうして右翼のお前が」と思う人がいるので、いつも、墓前祭では説明している。

ある情報誌のパーティがあり、そこで偶然、唐牛さんに会い、「この人があの伝説の全学連委員長か!」と思った。

井脇ノブ子さんの出版記念会 井脇ノブ子さんの出版記念会

それ以来、いろいろと教えてもらったり、話を聞かせてもらった。

一水会勉強会にも講師で来てもらった。「右翼の前で喋るなんて初めてだよ」と言いながら、楽しそうに話してくれた。

でも、その時は亡くなる数年前だった。もっともっと沢山、話を聞きたかった。教えてもらいたかったのに残念だ。

唐牛さんは華々しい伝説に包まれた人だ。私は同時代を闘ったわけではないので、その辺のことは具体的には知らない。本で読むだけだ。

今、作家の佐野眞一さんが評伝を書こうと挑戦している。出来るのが楽しみだ。

前にも書いたが、名古屋で湖西市長の三上さんと対談した時、婦人に話しかけられた。村瀬さんという。

「いつも、私のいとこのことを書いて下さって、ありがとうございます」と礼を言う。

井脇さんの本です 井脇さんの本です

「えっ? いとこって誰ですか」と聞いたら、それが唐牛さんなんだ。驚いた。

名古屋で集会をやるときは、いつも来てくれる。佐野さんにも教えてあげたら、わざわざ取材に行ったという。

唐牛さんが亡くなって、35年だ。生きていたら76才か。まだまだ、やれたのに、残念だ。

唐牛さんには、晩年、お世話になった。そして今でも、函館山では、いろんな思い出が語られ、新しい「発見」もある。

ある人が言っていた。「全学連委員長だった時の唐牛さんに憧れ、その後の流浪は附録だと思っている人が多いが、違う。私は、その後の唐牛さんの生き方で励まされ、生きてこれました」と言う。

会わなくても、マスコミが報じてくれる。「今、船乗りをしている」、「今、居酒屋をしている」…と。

愛知和男さんと 愛知和男さんと

あっ、唐牛さんも一生懸命、頑張っているんだ。私も頑張らなくてはと思って生きてきました、と。全国の多くの人々への励ましになってきたんだ。

又、労働組合で闘っている人、ものを書いてる人、そして、マスコミで活躍している人もいる。

「私は唐牛の最後の女でした」と告白してた人もいた。おいおい、奥さんもいるんだよ、と思ったが、同志的な意味での女性の仲間ということらしい。

でも、「闘う男」唐牛さんは、モテた。「あの顔からは信じられないだろうが、モテた。男は顔じゃない。いかに闘うかだ」と昔の仲間たちが言う。

「だから、お前だって、もう一度、闘えば、モテる!やってみろ!」とハッパをかけられた。

又、「これは時効だからいいでしょう」「とても奥さんの前では言えない話ですが、実は…」と言って、暴露話をする。奥さんがいるのに…。でも奥さんも、ニコニコして聞いている。

③意外な話を沢山、聞いた。

孔健さんと 孔健さんと

そうだ。ジャーナリストの猪野健治さんも唐牛さんに会ったと書いていた。

何の本だったかな。ある時、猪野さんが唐牛さんに呼び出されて会ったら、「ちょっと待ってくれ」と言ったまま帰ってこない。女性と一緒に某所にしけこんでいたらしい。

その話をしたら、「そんなことは、しょっちゅうだよ」と皆に言われた。

この猪野さんは「新右翼」という言葉を作り、広めた人だ。

もう一人、唐牛さんがらみの話を函館でした。

一水会を作った時の仲間で阿部勉氏という男がいる。元「楯の会」一期生で三島さんには随分と可愛がられた。

その阿部氏も、もう亡い。去年、奥さんが亡くなり、葬儀に行った。

孔健さんの息子さん 孔健さんの息子さん

その時、友人が言っていた。奥さんは昔、ベ平連だった。それなのになぜ右翼の阿部勉に惚れたのか。

それは「後姿」だという。

夜、飲んで、別れる時、去ってゆく阿部氏の背中を見て、「唐牛さんとそっくりだ」と思った。

唐牛さんに会ったことはないが、テレビや、雑誌などでその後姿を見ている。ソックリだった。同じだと思った。

そして、「阿部勉は信用出来る」と思い、結婚したという。

そうか。唐牛さんは、いろんなところに出てきてくれて、助けてくれたんだ。

そんな感想を函館山では言った。又、札幌から来て合流した高橋夫妻を紹介した。

「全国学協」の腕章を持ってきた人が… 「全国学協」の腕章を持ってきた人が…

墓前祭が始まったのは午後3時だ。お参りし、皆が挨拶し、記念撮影をし、散会。北海道新聞の人が取材に来ていた。(翌日、大きく出ていた)。

そのあと、6時半から場所を移して、懇親会だ。

高橋君らと僕は、「じゃ、その時間に行きますから」と、別行動。

函館山の下の方にある、真っ赤なお墓を見る。

「号外屋」さんの墓で、やたらと派手だ。

それから、元・イギリス領事館などを見て、懇親会場へ行く。

懇親会では、多くの人たちから唐牛さんの話を聞いた。

「その後の唐牛さんのニュースを聞いて励まされ生きてきました」と言った人。「唐牛の最後の女です」と言った人などだ。

そして、終わって、車で函館山の頂上へ。

高山長房さんと 高山長房さんと

土曜の夜ということもあって、もの凄く混んでいる。

ロープウェーではどれだけ待つか分からない。行きはタクシーで、帰りはロープウェーにしようと思った。

タクシーで山道を登るのも混んでいる。バスやタクシーがなかなか進まない。やっと進めるんだ、と思ったら、又、渋滞だ。

そして、やっと山頂の展望台へ。

今は、外国からの観光客も多いし、山頂から見る夜景は本当に素晴らしい。

高橋君たちと見てる時に、「毎年来てるけど、一度、日帰りで帰ったことがあったな。あれは何の用事があったんだろう」と、聞いた。調べてくれた。

「去年は一泊してます。一昨年ですね。墓前祭が終わって、すぐにタクシーで函館空港に行って東京に帰ってます」と言う。

「次の日が、西宮で内田樹さんと対談でした。次の日、函館からだと間に合わないので、夜に東京に帰ったんです」と高橋君。自分のことなのに、他人に調べてもらった。

④おおさかさん、徳永さんに会って、街宣

朝賀昭さんと 朝賀昭さんと

あっそうだ、と思い出した。確か、七夕の日だった。7月7日(日)だよ。

やっと内田さんに会えたのだ。鹿砦社の福本氏が交渉してくれた。対談が実現した。

私は昔から内田さんに会いたいと思っていた。何と、内田さんもそう思っていたという。すぐに対談は実現した。

そして、一昨年の7月7日(日)に対談は実現した。

福本氏が言っていた。「今日は、奇しくも7月7日の七夕です。お互いに会いたいと思っていた二人が会ったのです」と。うまい説明だ。

この日、西宮に行く為に、前の日、7月6日(土)は函館に日帰りで行ったのだ。

武田砂鉄さんと対談 武田砂鉄さんと対談

5時に終わるとすぐに、車で空港に向かった。

「何だ、懇親会に出ないのか。何のために来たんだ!」「じゃ、来なければよかったのに」…と、酷いことを言う人もいた。じっと耐えて、帰った。

おかげで次の日、内田さんに会い、さらに何度か会って、対談集が出来たんだ。本当によかったと思う。

そこで話を戻す。今年の7月4日(土)だ。墓前祭に出て、懇親会に出て、そのあと、函館山に登り、最高の夜景を見た。

それからホテルに帰る。「雰囲気のいいバーがあるんですが、行きませんか」と高橋君に誘われたが、眠いので失礼した。

前の晩、徹夜で仕事をした。フラフラだ。「じゃ、皆で楽しんできなよ」と言って、部屋に入ってくすぐに寝た。

「朝日新聞」(7/7) 「朝日新聞」(7/7)

翌日、電話で起こされた。集合時間にはまだある。

高橋夫妻はもう市内を散歩している。「おおさか誠二さんと徳永えりさんが街頭演説をしてます」と言う。

エッと思った。じゃ、会いに行こうと、出かけた。

駅前でやっていた。二人ともビックリしていた。

集団的自衛権反対の演説をしている。「鈴木さんが来てくれました。一言お願いします」と言われ、私もマイクを取って、話しました。

いやー、思わぬ出会いがあり、思わぬ展開があるもんだ。

それから、駅前の朝市に行く。前から気になっていたが、ここは、いろんな丼がある。海鮮丼だ。安いものから、高いものまで、いろいろだ。

その中に、「5000円の丼」があるという。有名だ。

それを一度、食べてみたい、という〈夢〉をもっていた。

いろんな店を探した。あった。

「蓮華丼(れんげどん)」という名前だった。

大きさは普通の丼だ。しかし、豪華だ。アワビ、ウニ、イクラ…と高価なものが山積みだ。値段も5800円! 凄いね。「日本一高い丼」だよ。それを頼んだ。

写真を載せたので見てほしい。これを一人で食べちゃ罰が当たる。

写真を撮った後、4人で分けて食べた。朝からビールを飲みながら、「5800円の丼」を食べたんですね。

5800円の「蓮華丼」です!
5800円の「蓮華丼」です!

⑤高校の同級生に会ったよ。54年ぶりに

昔の私もいます。右うしろ
昔の私もいます。右うしろ
「土方歳三最期の地」で
「土方歳三最期の地」で
いとこの上谷俊夫さんと いとこの上谷俊夫さんと

それから、TSUTAYA(つたや)に行く。本屋だ。「代官山TSUTAYA(つたや)」と共に有名だ。

本屋だけど、日本一広いスペースの中に、喫茶店や、キッズコーナーや、文房具、CD、衣料品なども売っている。デパートの中にある本屋さん。という感じだという。

ぜひ行った方がいいと、出版社の人たちに言われていた。それで行ってみた。

噂以上だった。驚きの連続だった。広すぎて、疲れ果てた。

それから、街を見て、昼食。もう昼メシか。

「バスク」という有名なスペイン料理の店に高橋夫妻が案内してくれる。シェフがバスクで修業したので、それを店名にした。

そこに、私のいとこの上谷俊夫さんも呼んでいた。

お参りしました お参りしました

上谷さんは、ここの市会議員を長くやっていた。今は辞めている。

でも最近の国会の状況が気になって仕方がない。「もう一度、議員になって下さい!」と私は言いました。

それからは、「新選組遺跡巡礼ツアー」になった。「土方歳三最期の地」に行った。お参りをした。

又、亡くなった幕府の人々を悼む「碧血碑」に行った。

忠義のために死んだ人の血は、碧(みどり)に変わるという。そこから付いた。幕府の人々、土方など新選組の人々を祀っている。

そして、「官軍」の人々を祀る護国神社にも行った。

「ここは前は、靖国神社という名前だったんです」と言う。そうなのか。今は、護国神社だ。

官軍の「護国神社」で
官軍の「護国神社」で
「碧血」の謂われが書かれてます
「碧血」の謂われが書かれてます
碧血碑で 碧血碑で

帰りの飛行機は7時半だ。まだ時間がある。

「もう一度、函館山に行きたいな」と私は、我が儘を言った。

前の日に夜景は見てるが、昼、見るのもいいだろう。それに昼は、すいてるし。

それで、行ったんですよ。とてもきれいだった。夜景では見えない所まで、広々と見える。

おっ、凄いなー。昼もいいなーと思って、見ていた。

その時だった。知らないおじさんに声をかけられた。

「あのー、失礼ですが、鈴木さんじゃないですか」

「ハイ」。

「佐川ですよ。ほら、隣のクラスの!」と言う。隣りって?

「東北学院榴ヶ岡高校の1回生ですよ。鈴木さんと同期です。いやー、懐かしい。54年ぶりですね!」。

驚いた。54年ぶりに同級生に会ったんだ。

それに、彼は同窓会には今まで一度も出てないという。高校を卒業して54年ぶりなんだ。

「よく分かったね」と言ったら、「時々、テレビや新聞で見てましたから」。

高校の同級生とバッタリ会った!
高校の同級生とバッタリ会った!
「北海道新聞」(7/5) 「北海道新聞」(7/5)

「今、函館にいるの?」。

違った。岩手県にいるという。東京に用事があって、その帰り道に寄ったらしい。

でも、随分、遠回りだ。そうか。「高校時代を思い出して、来たんだろう」と言った。図星らしい。

高校の修学旅行は北海道だった。仙台から汽車で青森に来て、青函連絡船で函館に来て、函館山に登り、トラピスト修道院に行き、大沼に行き、そこから札幌に行ったんだ。懐かしい。

「あれからどうしたの?」と卒業後のことを聞いた。

岩手に帰り、教師をやり、今は、辞めて、悠々自適の身だという。

そうか。「僕は卒業式にも出れなかったしな」…と思い出した。

「そうですね。鈴木さんは卒業間際に先生を殴って退学になり、それから随分と苦労されたんですね」と言う。事情を知っているんだ。

積もる話をして、別れた。

それにしても、いろんな出会いがあるもんだ。この函館では…。

と思いながら函館を後にし、飛行機で東京に帰ったのでした。

高橋夫妻、ありがとうございました。8月2日の生誕祭で又、会いましょう。

これは夜景ですね
これは夜景ですね

【だいありー】

「ロフト20周年」で。7/6(月) 「ロフト20周年」で。7/6(月)
  1. 7月6日(月)午前中、原稿。
     午後1時、ホテルサンルートで打ち合わせ。
     夕方、柔道に行く。
     「あっ、今日はロフトの20周年だ。行ってみなくっちゃ!」と思い出しました。練習をやめて、駆け付けました。
     20周年大会だから、もの凄い人で、とても入れないかな。と思ったら、ガラガラ。
     壇上に上げられ、20年の思い出を喋らされました。
     他に、昼間さん。元気いいぞうさん。「虫食い芸人」の孫悟空さんなどが芸を競ってました。
元気いいぞうさん 元気いいぞうさん
  1. 7月7日(火)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     6時、原宿。両国酒家。井脇ノブ子さんの出版記念会。
     沢山の人が来てました。愛知和男さん。孔子の75代目。高山右近のご子孫…。と、凄い人ばかりでした。
  2. 7月8日(水)午前中、原稿。
     午後、図書館。
     4時半、喫茶店「ミヤマ」。武田砂鉄さんと対談。『紙の爆弾』で。
     途中で、アーチャリーも来てくれたので、ビックリ。
     終わって、一緒に食事に行きました。
セミを食べている「虫食い芸人」 セミを食べている「虫食い芸人」
  1. 7月9日(木)午前11時、打ち合わせ。
     午後から河合塾コスモ。
     3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今日は、この本を読みました。朝日新聞の連載「カオスの深淵」をまとめた本で、『民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた』(東洋経済新報社)。
     なかなか、いい本でした。考えさせられました。
  2. 7月10日(金)午前10時東京発の新幹線で大阪へ。1時半、「読売テレビ」に行く。
    打ち合わせのあと、3時から、「そこまで言って委員会NP」の収録。〈シリーズ戦後70年価格〉。
     学生運動、労働運動、女性解放運動について激論。5時まで。久しぶりなので、とても緊張しました。
     終わってすぐ、新大阪に行き、東京へ。
     一水会フォーラムに出ようと思ったが、もう終っていた。それで、二次会に行く。講師の柳沢協二さんとお話しました。
アーチャリーも来てくれました アーチャリーも来てくれました
  1. 7月11日(土)午前中、原稿。
     午後、取材。
     夜6時、東武デパート8階の「太新楼」。ドキュメント「台湾2015・少女彩花の目がとらえたもの」。ロケに向けての激励と壮行の集い。
  2. 7月12日(日)朝9時、東京発の新幹線で新大阪へ。下中さんが迎えに来てくれた。
     それから西宮へ。午後2時から「鹿砦社弾圧10年。復活の集い」。
     大勢の人が集まって、挨拶。そして、激励の言葉が続く。記念講演は青木理さん。
     そして私が、ちょっと話しました。
     夜、最終で帰る。今月は、大阪は2回目だ。20日は、カレー事件の集会があるし、毎週、来てることになる。

【写真説明】

唐牛健太郎さんの墓前祭。7/4

①7月4日(土)、函館。60年安保の全学連委員長・唐牛健太郎さんの墓前祭に行きました。同志・後輩・ファンが集まりました。

お参りし、お墓に水を

②私もお参りし、お墓に水をかけました。

唐牛さんのお墓

③これが唐牛さんのお墓です。海の見える函館山の中腹にあります。お墓の上は波をイメージしたギザギザがあります。秋山祐徳太子さんが造りました。

唐牛さんの奥さんと高橋夫妻

④唐牛さんの奥さん(中央)。そして両端は、札幌から来た高橋夫妻です。

唐牛さんと初めて会った時です

⑤これは私が唐牛さんに初めて会った時です。

私も挨拶しました

⑥皆が思い出を語り、私も唐牛さんとの出会いから話しました。

懇親会で

⑦夜、懇親会で。

函館市内です

⑧函館山から見た市内です。きれいです。

これは夜景ですね

⑨昼も見たんです。これも又、きれいです。

「北海道新聞」(7/5)

⑩「北海道新聞」7月5日(日)。墓前祭に取材に来てたんです。

徳永エリさん。おおさか誠二さんと

⑪7月5日(日)、民主党のおおさか誠二さん。徳永えりさんが、街頭演説をしてました。あっ、函館が選挙区なんですね。挨拶をしたら、「鈴木さんも喋ってよ」と言われて、「集団的自衛権批判」をやりました。

5800円の「蓮華丼」です!

⑫函館駅前の朝市に行って、日本一高い、日本一豪華な丼を食べました。5800円です。

いとこの上谷俊夫さんと

⑬いとこの上谷俊夫さんと会いました。お昼をご一緒しました。高橋夫妻も。スペイン料理店「バスク」で。

昔の私もいます。右うしろ

⑭俊夫さんからもらった写真です。俊夫さんが奥さん(左うしろ)と結婚する時、仙台に来て、おばさんたちに紹介した時だそうです。(左から)函館のおばさん(俊夫さんのお母さん)。私の母。東京のおばさん。右うしろは私ですね。大学院の時でしょうか。タートルネックなんか着ています。痩せてたから似合います。今はデブだから、とても着れません。

「土方歳三最期の地」で

⑮おおさかさん、徳永さん、俊夫さんに会って、それから、「土方歳三最期の地」に行きました。

お参りしました

⑯お参りしました。

多くの人が来てるんですね

⑰その碑の前には沢山の花やお供え物が。多くの人が来てるんですね。全国から。

官軍の「護国神社」で

⑱官軍の人たちは護国神社に祀られてます。前は「靖国神社」と言ってたそうです。

碧血碑で

⑲碧血碑で。「ぜひ行って下さい」と新選組・永倉新八のひ孫さんの杉村和紀さんにに言われてたので。探して行きました。

「碧血」の謂われが書かれてます

⑳幕府側の亡くなった人々の碑です。「碧血」とは、「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という中国の故事からとったそうです。

高校の同級生とバッタリ会った!

㉑そのあと、再び函館山に登ったら、バッタリと高校の同級生に会いました。佐川君です。54年ぶりです。

「ロフト20周年」で。7/6(月)

㉒東京に帰ってきて、翌日、7月6日(月)、ロフトプラスワンに行きました。「ロフト20周年」の記念大集会をやってました。私も喋らされました。

元気いいぞうさん

㉓元気いいぞうさんが歌ってました。「満員電車で痴漢に間違えられた! お尻を触っただけなのに…」。いい歌ですね。

セミを食べている「虫食い芸人」

㉔「虫食い芸人」の佐々木孫悟空さん。生きたセミ、ゴキブリを食ってました。ネズミや生きたままのうーパールーパーも食べたことがあるそうです。勇気があります。

井脇ノブ子さんの出版記念会

㉕井脇ノブ子さんの出版記念会で。7月7日(火)です。元気一杯でした。

愛知和男さんと

㉖宮城県選出の元衆議院議員・愛知和男さんと。

孔健さんと

㉗孔健さんと。孔子の75代です。

孔健さんの息子さん

㉘孔健さんの息子さん。中学3年です。孔子の76代です。孔令昊(こう・れいほう)さん。ビートボックスを歌ってます。「孔子も76代になると、こんな現代的な歌をうたうんです」と孔健さんが言ってました。

井脇さんの本です

㉙これが井脇さんの新しい本です。『やる気・元気・いわき=根性一代。夢の花』(ヒカルランド)。実に感動的な本です。

「全国学協」の腕章を持ってきた人が…

㉚「懐かしいでしょう。全国学協の腕章です」と持ってきた人がいました。46年前ですね。私が全国学協の委員長です。井脇さんが副委員長だったんですね。

高山長房さんと

㉛高山長房さんと。キリシタン大名・高山右近のご子孫です。前に井脇さんの誕生パーティでもお会いしました。

朝賀昭さんと

㉜朝賀昭さんと。田中角栄の最後の秘書です。この人についての本も出ています。「初めまして」と挨拶したら、「鈴木さん、久しぶり」と言われました。右派学生運動を一緒にやった同志でした。今度、ゆっくり話を聞かせてもらいたいですね。

武田砂鉄さんと対談

㉝7月8日(水)、『紋切型社会』(朝日出版社)を出して、大評判になっている武田砂鉄さんと対談しました。もの凄く売れてます。『紙の爆弾』の対談です。

アーチャリーも来てくれました

㉞何と、アーチャリーも来てくれました。8月2日の「生誕祭」の打ち合わせもあったようです。武田さんと。このあと、お酒を飲みました。

「朝日新聞」(7/7)

㉟「朝日新聞」(7月7日)に私のコメントが載りました。

映画「天皇と軍隊」

㊱8月8日(土)より、「天皇と軍隊」がポレポレ東中野で上映されます。8月12日(水)は私がトークで出ます。

【お知らせ】

映画「天皇と軍隊」 映画「天皇と軍隊」
  1. 7月20日(月・祝)13時30分。エル大阪。「和歌山カレー事件を考える会」の大阪集会を行います。私も行きます。
  2. 8月2日(日)私の100才の「生誕祭」です。阿佐ヶ谷ロフトで午後1時から4時まで。ゲストは、アーチャリーさん。ねづっちさん。蓮池透さん。武田砂鉄さん…などが決まっております。北芝健さん、飛松五男さんも来ます。お早めにお申し込み下さい。
  3. 8月8日(土)より、「天皇と軍隊」が緊急上映されます。ポレポレ東中野です。〈9条はなぜ必要だったのか? なぜ天皇制は存続したのか? 昭和天皇と自衛隊を正面から見据えたフランス制作ドキュメンタリーです! 連日、上映後、スペシャルトークがあります。8月12日(水)には私が出ます。
  4. 8月10日(月)一水会フォーラム。午後7時より。ホテルサンルート高田馬場。何と!講師は鈴木邦男です。戦後70年。そして一水会43年の歴史について語ります。さらに、現在の民族派運動の課題と展望について語るそうです。
  5. 8月18日(火)7時。代官山。「山羊に聞く?」(先週、「晴れた日は空に豆まいて」と書きましたが、正確には、「山羊に聞く?」です。同じビルなんですが階が違います。すみません)。
     GHQが日本人の再教育のために作ったフィルムが発見され、それを管理してる人が見せてくれるそうです。これは必見です。さらに、『アメリカ映画と占領政策』の著書のある谷川健司さん(早大教授)が出ます。桃井メロンさんと私も出ます。この映像はとても興味があります。
  6. 8月28日(金)〜30日(土)。小田急線千歳船橋APOCシアター。劇団再生による〈見沢知廉没後10年。高橋京子三回忌記念公演〉。『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代〜』を上演します。2日目の、8月29日(土)、午後7時より、「再生」代表の高木尋士氏、大浦信行監督、そして私のプレトークがあります。
  7. 9月29日(火)午後6時。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは内田樹さんです。テーマは、「強い国家か、強い個人か」です。申し込みが随分と来てるそうです。お早くお申し込みを。
     又、11月10日(火)の札幌時計台シンポジウムのゲストも決まりました。蓮池透さんです。