見沢知廉にこだわり、彼の〈革命〉を追いかけてきた劇団「再生」が、今年は読書劇『青春の墓標』に挑戦した。それも敢えて、3月10日(土)、11日(日)の両日だ。
11日の3時からはプレトークが行われ、椎野礼仁さん(編集者)と私が「盗まれた革命」と題し、話し合った。司会は高木尋士氏(劇団「再生」代表)だ。
なぜ今、奥浩平の『青春の墓標』を取り上げるのか。それも、東日本大震災から1年目の、この日に。それが高木氏から語られる。革命運動とは志の連鎖であり、詩(死)の連鎖だ。
1960年6月15日、東大生の樺美智子が安保闘争の中、警官隊と衝突し、死亡した。
彼女は東大に入学し、日本共産党に入党。その後、共産主義者同盟(ブント)のメンバーとして安保闘争に参加していた。
死後、日記がまとめられ、『人しれず微笑まん』として出版された。
1965年3月6日、奥浩平自殺。
奥は、1960年の樺美智子の死に触発されて安保闘争に参加。横浜市立大学に入学後、中核派に属して闘う。原潜寄港阻止闘争、日韓会談反対闘争に参加。
1965年2月、羽田で行われた椎名悦三郎外相訪韓阻止闘争で警官隊と衝突し、警棒で鼻骨を砕かれ負傷、入院。
退院後の3月6日、自宅で大量の睡眠薬を服用して自殺した。21才。
高校時代からの恋人は、早大入学後、革マル派に所属し、党派闘争の激化の中で、2人の愛も激しく揺れ動き、別離に至る。奥の自殺の原因に、その苦悩もあったようだ。
死後、奥の日記を中心にまとめられ、『青春の墓標』として出版され、大ベストセラーになる。
中核派・革マル派という敵対党派の間の恋愛であり、当時、「学生運動版ロミオとジュリエット」と言われた。
又、1970年代の殺し合いの内ゲバと違い、この頃の中核・革マルの党派闘争は、もっぱら理論闘争であった。肉体的に衝突し、存在を抹殺するというものではなかった。
お互いが、理論・運動の面で競合し、どちらが学生・労働者をより多く取り込み、革命運動を先導するか。その闘いだった。
警察官とは命がけで闘い、負傷者、逮捕者が続出する闘いであったが、闘いの相手は常に「権力」だった。
だからこそ奥浩平の『青春の墓標』は多くの人々に読まれ、読み継がれてゆく。
それに、出版社は文藝春秋社だ。今なら絶対にありえない。
そして、中核派最高幹部の北小路敏が「解説」を書いている。これも、今ならありえない。
樺美智子の『人しれず微笑まん』と共に、この『青春の墓標』は、(学生運動に関心のない)一般の人々にも読まれ、ベストセラーになった。
中核派と対立していた革マル派学生にも読まれていた。当時、右翼学生だった私らも熱い想いで読んだ。「敵」ながら、こんなに真剣に考え、ひたむきに運動した人間がいたんだ、と感動した。
奥浩平の恋人・中原素子は早大生だった。会っていたかもしれない。革マル派とは何度も衝突し、殴られたから、その現場にいたのかもしれない。
1969年6月24日、高野悦子自殺。高野は立命館大学に入学し、1966年1月、奥浩平の『青春の墓標』を読み、強い影響を受ける。必死に勉強し、懸命に学生運動をやる。
しかし、1969年、列車に飛び込み死亡。死後、自殺に至るまでの内面の葛藤を綴った日記が纏められ、『二十歳(はたち)の原点』(新潮社)として出版され、大ベストセラーになる。
今も出版され、文庫になっている。1973年には映画化(大森健次郎監督)もされた。
3人の夭折者には〈言葉〉があった。日記があった。
それが次々と影響を及ぼし、巨大な連鎖になった。『人しれず微笑まん』。そして、『青春の墓標』『二十歳の原点』となる。
さらには、見沢知廉の『天皇ごっこ』へと連なるのだ。3冊の本は、見沢にとっての〈原点〉でもある。
「読書劇」で思い出した。もう15年ほど前だと思う。三軒茶屋に読書劇を見に行った。当時は、ネットはないから、何かの集会でチラシをもらったのかもしれない。
高野悦子の『二十歳の原点』をやるという。それも読書劇だ。見に行った。
舞台では、5人ほどの人が立って、脚本を見ながら、朗読している。「スキーを売って、『資本論』を買った」という一節もあった。よく憶えている。
『朝日ジャーナル』や『現代の眼』もよく読んでいる。本を読まないと精神が堕落する。と高野は思っていた。
又、デモに行くのをサボって、罪悪感にさいなまれる。ひたむきな運動家だ。
バイトをして、そこの人間と恋をする。そうした感情も、時代を超えて、多くの人々に読み継がれた理由でもある。
『二十歳の原点』は、内容が瑞々しいし、学習意欲に溢れている。学生運動を必死にやろうという情熱もある。だから、〈朗読劇〉にも耐えられた。
「でも、誰も動かないですね。劇なのに」と関口君が言う。一水会の活動家だった関口君と、他にも何人かで見たようだ。
見終わって、三茶の駅近くの居酒屋で飲んだ。そして、「朗読劇」とは何かについて話し合った。「だったら、次は奥浩平の『青春の墓標』を朗読劇でやったらいいのにね」と私が言った。
この話は、その場にいる4人ほどしか知らない。それなのに、15年後の今、その「提案」を実行してくれたんだ。高木氏が。
そういえば、高木氏の芝居には、「鈴木さんからピストルをもらった」という台詞があった。後で聞いたら、本当に、私からピストルをもらったらしい。
でも、夢じゃないのかな。ただ、三軒茶屋の〈提案〉は、はっきり言った。それが念力で送られ、届いたのだろう。だが、途中で念力は変換され、ピストルになって届いたのだろう。
そうだ。三茶で芝居を見た時、「あっ、この近くにナンシー関さんがいるはずだ」と思い、電話した。
「じゃ、すぐ行くよ」と言って、来てくれた。大きな体で、2階まで上がって来てくれた。関口君に紹介した。「こいつは関口です。“オナニー関”と言われてます」。
その瞬間、ナンシーさんが絶叫した。「やめてくれよ!」と。
でも、ナンシーさんとはその後も、交遊は続いた。ゼミにも来て、話をしてくれた。「消しゴム版画」の本物を沢山、箱に入れて持って来て、見せてくれた。
その中に昭和天皇もあった。「これはダメですよね、使っちゃ?」と聞かれたが、「大丈夫ですよ。とてもよく出来ているし」と言ったら、その後、いろんな雑誌に載せていた。好評だった。
ナンシー関さんはプロレスが好きで、その話もしてた。ナンシー久美に憧れて、ペンネームを考えたようだ。
あっ、いけないな。高野悦子の『二十歳の原点』の朗読劇から、話が飛んじゃった。
ともかく、読書劇というのは、そんなものだと思っていた。だから劇団「再生」の読書劇も、そんなものかと思っていた。
でもいいや。『青春の墓標』の朗読だけでも。もう1回、自分で読んでると思えばいいんだから。
と思っていたが、全く違った。朗読する人が脇に2人いるが、中央にはちゃんと役者がいて、演技をする。ちゃんとした芝居だ。
そして、『青春の墓標』だけではない。高野悦子の『二十歳の原点』も出てくる。さらには、三島由紀夫も出てくる。左右を超えて、夭折者の連鎖だ。
驚いたことに、砦の上にいる鶴見直斗氏が、三島の演説を全部、やる。何も見ないで演説する。ビックリした。
右翼の人だって、全部、暗誦してる人はいない。あんな長いのを憶え切れない。これはぜひ「野分祭」でやってもらったらいい。
さらに、「ワルシャワ労働歌」が流れる。
そうなんだ。「こっちの世界」は、革命家を根こそぎ失って静かだが、「向こうの世界」は、革命家ばかりで、賑やかだ。
毎日、「インター」「ワルシャワ労働歌」「国際学連の歌」が流れ、ジクザグデモで荒れている。
革命は、「向こうの世界」に盗まれてしまったのだ。樺美智子も奥浩平、高野悦子、三島由紀夫、野村秋介、見沢知廉も、皆、「向こうの世界」で大活躍をしている。
立川談志が言ってたよね。「向こうの世界」はあるらしい。いい所らしいよ。その証拠に、誰も帰ってこない」と。それを思い出しましたね。
じゃ、「墓標」が立ってるのは、生気のない、覇気のない「こっちの世界」だけだ。
椎野、高木、私のプレトーク「青春の墓標〜盗まれた革命」では、そんな話をした(ような気がする)。それと、60年代と70年代の学生運動、革命運動の「違い」について詳しく話をした。
椎野レーニン氏は、昔、ブント系の学生運動をしていた。慶応大学で、戦旗派だったらしい。その縁で、赤軍派や連合赤軍の人たちにも友人がおり、「連合赤軍事件の全体像を残す会」をやっている。
最近出た朝山実氏の『アフター・ザ・レッド』(角川書店)にも長い「解説」を書いている。
この本は、連合赤軍事件から40年。その後の連合赤軍兵士を追って、長時間、話を聞いている。加藤倫教氏、植垣康博氏、前澤虎義氏、雪野建作氏だ。皆、10年以上、刑務所に入って、この社会に戻ってきて、闘っている人々だ。
植垣さんなどは27年も獄中にいた。そして30才年下の美女と結婚している。子供は6才だ。植垣さんに似て男前だ。幼稚園でも、女の子にモテるという。いろいろ「告白」されたりしている。
植垣さんは、連合赤軍事件のことも、少し大きくなったら知らせなくちゃと思っていた。
ところがある日、「赤軍派って何?」「パパは何者?」と聞いてきた。
おっとっと、と慌てた。周りの大人の会話を聞いて疑問に思ったらしい。「そのうち分かる」と言って、ごまかしたそうだ。
大変ですね。山の中の「総括」も大変だし、そこを生き抜いてきただけでも凄い。究極のサバイバル男たちだ。
そして、仕事をし、闘っている。その人々の闘いについて、連合赤軍について椎野氏が「解説」している。
4人に煽られたのか、自らの闘いについても書く。レーニン氏は逮捕され、9ヶ月の勾留体験を持つが、「連合赤軍の人たちに較べたら恥ずかしい」と言う。
刑期の長さだけでなく、〈究極の世界〉を見た人間への畏敬と羨ましさがあるのかもしれない。
レーニンさんは今、編集プロダクションの仕事をしている。私の本も3冊、作ってくれた。結婚している。娘さんが3人いる。皆、国際結婚だ。レーニンだから、世界革命だ。そのための戦略なのだろう。そんな話をした。
3人で、60年代と70年代の学生運動の違い、今後の運動…などについて話をした。私も、自らの体験などを含め、かなり熱くなって話をした。
今年は連合赤軍から40年だ。これからも多くの集会やシンポジウムが行われるだろう。本も出るし、テレビや週刊誌も特集でやる。又、じっくりと考えてみたい。
〈政府のストレステストは安全性“二の次”の見切り発車だ〉。
続いて、中国問題で…。
〈iPad商標だけでなく、「AKB48」も奪われた! 懲りない中国コピーの極めつけは「偽札づくり」〉
さらに、もう2つ。
〈水門閉鎖中、避難誘導中に失われた、消防団員たちの「命の補償」を訴える〉
〈1年で9000人以上。無償診療を5年続ける。「心のケアはマラソンのように長い〉
このあと、Wコロンの謎かけ。Ust延長戦。来週の打ち合わせ。夜は、久しぶりにスポーツ会館に行って、トレーニングをした。
〈厳罰化社会は何を生み出したのか。寛容な社会を考える〉
講演は安田好弘弁護士「厳罰化社会に抗して」
辻恵衆議院議員「検察官適格制度の問題点」
ゲストスピーチ、高山文彦(作家)、「丸岡修を語る」私も発言しました。
そのあと、二次会。椎野さんたちも来てました。遅くまで話し合い、最終の新幹線で帰京しました。
①(左から)椎野礼仁さん、鈴木、高木尋士さん。3月11日(日)、12時から千歳船橋のAPOCシアターで読書劇「青春の墓標〜盗まれた革命」が演じられました。劇団「再生」です。この後、3時から、3人で、奥浩平『青春の墓標』について語り合いました。
②この読書劇の監督の高木尋士さん(左)、主演の鶴見直斗さん(中央)と。鶴見さんは、三島由紀夫の「檄」を全文暗誦し、演説しました。凄いです。来ている着物も〈三島柄〉です。「薔薇刑」が肩に、胸に三島の「三」がデザインされています。
⑤右、風見さん。左は、ロシアに行って来たという青年。Tシャツには「НЕТ!」と書かれています。「ニエット」は「否」「ダメです」という意味です。お酒は飲めないので、勧められても断ります。という意志表示ですね。これはいいですね。私も、これを着よう。
ちなみに、「はい」「いいです」は「ダー」です。かつて日本の東北とは往来があったので、日本語が元になってるという学者もいます。東北では「そうです」を「んだー」と言います。「違います」は「んでねっと」と言います。他にも、似た単語は沢山あります。お腹が一杯になって、喜ぶ時は、「ハラショー」と言います。
⑥3月9日(金)恵比寿のカフェバーで開かれた「第9回69(ロック)の会」です。松田美由紀さん、大竹しのぶさんと。
マエキタミヤコさんや松田美由紀さんが声を掛けて、100人以上の人が集まってました。凄いです。大竹しのぶさんも来てました。山田正彦さん、福島みずほさん、飯田哲也さん、荻原博子さんなどもおり、お話ししました。
⑧広河隆一さんと。カメラマンでもあり、『DAYS JAPAN』の編集長でもある。大変なお仕事です。03年にイラクに行った時、ご一緒しました。それ以来、何度かお会いしています。私と同じ年だそうですが、世界中を駆け回っています。元気です。
⑩3月10日(土)、5時。新橋亭。長谷川光良さんを激励する会。〈陸軍記念日を祝し、“出獄満三年”清遊の会〉。
中央が長谷川氏。左は私。後ろは木村三浩氏。長谷川氏の頭をポンと叩いてるのが三井環さんです。お酒を飲んで、かなり酔ってるようです。東京裁判で、東條英機の頭をポンと叩いた大川周明のようですね。
⑪3月11日(日)夜7時から、阿佐ヶ谷ロフト。「3.11東日本大震災から1年」のイベントです。
(左から)司会の奥野テツオさん(店長)、村田らむさん(漫画家)、岡崎雅史さん(編集者)、原田あきらさん(杉並区議会議員。共産党)、鈴木、藤倉善郎さん(やや日刊カルト新聞主筆)。濃い人たちで、面白かったです。共産党の区議も来てくれて、話が盛り上がりました。
⑫あれっ、客席には誰もいませんね。まさか? 前に2人だけいます。ゲストは5人なのに、客は2人なの? まさか。実は、開演前のリハーサルの時です。この後、一般の方を入れました。満員になりました。盛り上がりました。
⑬「ねづっちのイロイロしてみる60分!」。3月9日(金)歌舞伎町の「V−1」で行われました。とても面白かったです。知的レベルも高いし、驚きました。
貞包みゆきアナウンサーも来てました(左)。隣が、ねづっち。そして、私。氏神一番さん。「久しぶり」と言われたけど分からない。いつもは氏神さんは歌舞伎のようなメイクをしている。だから素顔じゃ分からなかった。昔、ロフトで一緒に出た。あの時は、お世話になりました。
前列は、椎野レーニンさんと、会社の部下。
⑭3月13日(火)一水会フォーラム。講師のビル・トッテンさんと。「鈴木さん、昔、会いましたね」と言われた。15年ほど前、東海テレビで一緒に出たことがある。
その時は座ってたから、こんなに大きい人とは思わなかった。その後、背が伸びたのだろうか。「いえいえ、中学3年で急に20cm伸びたんです。豆を食べて」と言ってました。今、193cm。私も豆を食べてるから、そのうち背も急に伸びるでしょう。目標193cm!