分からないんですよ。何冊、出したのか。今まで出した本の数ですよ。多分70冊から80冊の間だと思うけど。
それに、共著や対談集は1冊に数えるのか。又、『夕刻のコペルニクス』のように、単行本が出て、それが文庫になった時、2冊に数えていいのか。いや、同じ本だから1冊だろう、という意見もあるし。
だから難しい。それも含めて、整理、整頓、記録しないと。
でも、新書だけは分かる。10冊だ。だから今週は、「新書で読み解くkunyon」だ。大体、生まれて初めて本を出したのが新書だ。『腹腹時計と〈狼〉』だ。
この時は、私自身も〈狼〉だった。暴れていたし、何度も捕まった。何度も大きな事件に誘われ、参加した。時効になり、助かった事件もある。
その真相についても、いつか新書で書こう。
それにしても不思議だ。学生時代は、「本を出す」なんて考えもしなかった。そんなチャンスがあるとも思わないし、自分にそんな力があるとも思わなかった。
産経新聞に勤めていた4年間も、全く考えていなかった。
ところが、三島事件があり、その中で、昔の学生運動仲間と共に、一水会をつくる。1972年だ。
一水会は、サラリーマンを続けながら、「サークル活動」のつもりでやった。ところが、1974年3月に産経をクビ。あとは野に放たれた虎だ。
思い切り暴れてやろう。運動してやろうと思った。
でも、「生活」の糧がない。当時は右派系の日刊紙、週刊誌、月刊誌が沢山あり、仲間たちが紹介してくれた。
「おっ、産経で4年間、記者をやってたのか」と、仕事をくれた。本当は記者ではないが、勝手に向こうが誤解し、自分でも正さなかった。
そんな中、右派の日刊紙「やまと新聞」に、連続企業爆破の〈狼〉グループのことを書いた。彼らは命がけだ。それに比べて、わが右翼陣営はダラシがない。という思いで書いた。
2、3回の予定が延びて、10回になり、20回になり…と。それを、たまたま、見たのが三一書房の竹村一社長だ。神田のウニタ書店に「やまと新聞」があったからだ。
「これは面白い。本にしよう」と竹村社長は思い、電話が来た。ウニタの遠藤社長と3人で会い、単行本化が決まった。
だが、三一書房は新左翼の出版社だ。右翼の本を出したことはない。「企画会議に出したら否決される。だから私の一存でやる」と社長。
「本にするには少し分量が少ない。1ヶ月で倍にしてくれ」と言われ、必死で書いた。
暑い夏だ。クーラーはまだ無い。窓を開けっ放しで、パンツ一丁で、ダラダラ汗を流しながら書いた。そして発売されたのが1975年10月だ。
それから、「左右接近だ」とか、「新右翼だ」と言われるようになった。竹中労、太田竜、平岡正明たちとも知り合いになった。
それから37年が経った。
その37年の間に新書を10冊だ。じゃ、「4年に1冊」位の割合で出したようだ。
しかし違う。思いもよらないチャンスで初めの新書は出せたが、そのあとは依頼はない。「生涯で1冊」の本になるとこだった。
単行本では何冊か出した。「政治論集」などと銘打った、カタイ本が多かった。でも新書はずっとなかった。
そして、何と20年後ですよ、2冊目の新書は。それも、「受験本」だ。
この20年の間に〈狼〉はおとなしくなり、再び、市民社会に戻ってきた。
河合塾、ジャーナリスト専門学校の講師になり、「週刊SPA!」に連載を持つようになった。母親も、「こっちの世界に戻ってきた」と喜んでいた。
そんな中で、「ぜひ受験本を」という依頼があり、書いた。1995年だ。その年には、もう1冊、浅野健一さんとの新書を出している。
でも、これから、又10年のブランクがある。そして、『公安警察の手口』(ちくま新書)が出たのが2004年だ。
これからですね、新書を何冊か出すようになったのは。というよりは、出版社の対応というか、見る眼が変わったんですな。「おっ、こいつに書かせても大丈夫か」と思ったようで。
それまでは、いつ捕まるか分からない。さらに、こんな危ない狼に本を書かせたら危険だ、と思われていた。
書いてる途中にパクられたら本は出ない。こんな奴に頼んだら警察から圧力が来るんじゃないか。と、「右翼タブー」があったんだ。
今でも右翼タブーはあるが、「こいつは書かしても大丈夫だろう」と思われてきたようだ。
それから、『愛国者は信用できるか』、『愛国と米国』、『右翼は言論の敵か』と出し、去年の年末に出した、『愛国と憂国と売国』になる。これで10冊目だ。
そうだ。川本三郎さんとの対談本もある。自分から言い出して企画が通ったなんて、初めてだったので嬉しかった。編集の椎野、高橋コンビにはとてもお世話になった。
さて、ざっと説明したが、新書10冊を発売順に書いてみよう。
では、10冊の思い出を少し。
1.の『腹腹時計と〈狼〉』は、私のライター生活の原点となった。いや、その後の「新右翼」運動のスタートになった。この本がなければ、違った運動になったかもしれない。それだけ〈狼〉事件は衝撃的だったのだ。
この前の、「よど号」ハイジャック(1970年3月)、「連合赤軍事件」(1972年)も衝撃を受けてるが、新書では書いてない。その後の人的交流を考えると、この2つの方が大きいはずなのに。これから何とか書いてみたい。
この初めての新書は、かなり過激だ。目次はこうだ。
〈第1部〉急接近する左右ラディカリストの群れ
〈第2部〉戦争・原罪意識そして〈狼〉
〈第3部〉〈狼〉恐怖を利用する権力の謀略
過激だが、表現は変わっても、その後の新書にも通底するテーマだ。
1.『腹腹時計と〈狼〉』から20年後。1995年、今度は受験本だ。『受験は不惜身命で勝て』。
本の帯には、こう書かれている。「新右翼のリーダーとして闘いにあけくれた受験界の闘士が、キミの魂に檄文!」。「不惜身命」というのは若乃花だったか、貴乃花だったかが、横綱になる時に言った言葉だ。
でも、本の扉には、〈「不惜身命」という言葉は受験にこそふさわしい〉と、こう書かれている。
〈高校時代は教師をブン殴って退学になる。大学時代は全共闘との乱闘と内ゲバを繰り返す。社会に出てからは防衛庁でケンカして逮捕される。いまにして思えば、オレの人生はまさに“闘い”の連続だった。そしていま、一つの結論に達した。長い人生で受験ほどやりがいのある闘いはない、ということだ。
世の中には、さまざまな闘いがあるが、どんなに努力しても報われるとはかぎらない。しかし、受験だけは違う。人生で完全にフェアな闘いは、おそらく受験しかないだろう。人の倍の数の参考書をこなし、人一倍熱心に勉強すれば、最後には必ず勝つ。だからこそ受験は、“不惜身命”を貫いてまで闘う価値があるのだ〉
なるほど、と納得した。確かに、「完全にフェアな闘い」は受験しかないだろう。
『腹腹時計と〈狼〉』を書いてから20年。私には、チャンスはなかった。右翼ゆえの〈原罪〉も身にしみて感じた。その体験もあったのだろうと、同情する。
受験の本だが、「勉強のやり方」の本だし、これは今も実行している。今ではなかなか手に入らないだろう。レア本だ。目次を紹介しよう。
予備校での授業は今も続いている。自分が教えているというよりも、そこで学んでいることの方が多い。
現代文の要約は教えながら、さらに自分でもやってみて、牧野先生に見てもらっている。今でも直される。「ここが、読み方が不十分だ」「このまとめ方は飛躍し過ぎだ」と。
今でも、「教えてもらう」ことが出来るのは幸せだと思う。それに、漢文、古文、地学などの先生にも、分からないことを聞いている。時々、授業も受けている。
漢文の武内先生には、「玉砕」のことを教えてもらい、『愛国の昭和』で書いた。化学の前川先生には、「雲」のことを聞いて、大杉栄の本で書いた。
3.の『激論・世紀末ニッポン』は浅野健一さんとの共著だ。
去年、西宮ゼミで浅野さんとトークした。その時、この本のことも詳しく紹介した。波乱の時代に、波乱の中で作られた本だ。
4.それから10年。2004年に出したのが、『公安警察の手口』(ちくま新書)だ。
よく、こんなタイトルが企画会議で通ったものだ。苦労したが、自分にとっては、新書「新時代」の幕開けだった。公安警察は謎に包まれていて、実態は明らかになっていない。
〈いったいヴェールの向こう側では何が起きているのだろうか?かつて赤報隊事件で公安警察に濡れ衣を着せられた経験を持つ著者が、その捜査手法や権力構造を照射し、知られざる公安警察の〈真実〉を追究する〉
そうですね。「濡れ衣」を着せられたんですね。「いや、濡れ衣じゃない」「本人も、赤報隊に会ったと言ってるじゃないか」「襲撃の相談を受けたと言ってるじゃないか」と言う人もいる。著者も謎に包まれている。
「鈴木邦男の手口」も、いつか書かなくっちゃ。
5.『天皇家の掟=「皇室典範」を読む=』は、かなり勉強し、調べて書いた本だ。
資料集めは佐藤由樹氏がやってくれた。それを基にして私が「解説」を書いた。「人権のない御一家を弄(もてあそ)んでいるのは国民だ!」とセンセーショナルな文が帯には書かれている。
さらに、扉には…。
〈「女帝を認めるべきだ」「否、天皇は男系男子でなくてはならない」と皇位継承をめぐって百出する議論を眺めて著者・鈴木邦男は思う。それが善意や好意から出た愛国者による提言であっても、この過熱ぶりは当事者(天皇家)にとって、もはや〈脅迫〉ではないかと。日本人の生活観、家庭観からかけ離れた旧態依然とした価値観を皇室だけに押しつけている〉
かなり危ないことを言っている。旧『皇室典範』と、新『皇室典範』を読み、どう変わったかを書いている。
又、「明治以前の皇位継承と八人十代の女帝」「海外の王位継承」「日本国憲法と象徴天皇制」などについて書いている。
随分、思い切った提言もある。他の新書と違い、大学の論文のようだ。それだけ、佐藤氏が貴重な資料を集めてくれたからだ。
「10冊の新書の中では、これが一番いいですね」と骨法道場の堀辺先生には言われた。これは嬉しかった。余り、売れなかったし、注目されなかったが、自分としては一番苦労し、思い切って書いたという気がする。
6.の『愛国者は信用できるか』
7.の『本と映画と「70年」を語ろう』
については、今まで、随分と書いてきた。7.は川本三郎さんとの対談で、このあと、川本さんの『マイ・バックページ』が映画化された。
この対談も映画化にあたって、使われたようだ。これはありがたいと思った。
この映画では、松山ケンイチが出ていた。新聞記者の川本さんを「破滅」させる過激派の役で。実によかった。
その松山が今年はNHK大河ドラマで平清盛だ。これもいい。
8.の『愛国と米国』(2009年)。
これも私にとっては、思い入れのある本だ。単に、「アメリカから自立しろ!」と叫んでいる本ではない。本の扉にはこう書かれている。
〈「アメリカとは何か」。この巨大な謎に立ち向かうことは、日本を考えることであり、自分自身を考えることだ。生まれる前から「反米愛国」少年だった著者が、「鬼畜米英」「ウェルカム・アメリカ」の過去から、田母神論文でも話題となったルーズベルトの陰謀説、核武装論まで、愛国派はアメリカをどう見てきたかを検討する。従属でも、感情的な反撥でも、無視でもなく今、〈闘う〉覚悟を持って超大国と向き合おう〉
この本と、『天皇家の掟』は、もっともっと読まれていい本だと、自分では思っている。『愛国と米国』の目次をちょっと紹介する。
9.『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)
10.『愛国と憂国と売国』(集英社新書)
については、今までかなり書いてきたので、繰り返さない。
新書10冊を読むと、私の考えだけでなく、いわゆる民族派の考えが分かると思う。そして、何が問題だったのかも分かると思う。
特に、『天皇家の掟』と『愛国と米国』だ。この2冊に、深い思いと憂いと提言があると思う。10冊を振り返ってみて、そう思った。
そうだ。「10冊の新書」について、読書家・高木尋士氏や、椎野礼仁さんたちと話をするのもいいな。考えてみよう。
①1月10日(火)、目黒雅叙園。「JR総連・新年の集い」。鈴木宗男さんと会いました。左は木村三浩氏。12月に宗男さんが出てから、文化放送、安田弁護士の忘年会と、会うのは3回目です。政界のキーマンとして超多忙です。
③公明党の全国代表者会議議長の太田昭宏さんと。右は木村氏。
「鈴木さんの『竹中労』、買って読みましたよ。よかったですね!」と言われた。
エッ?本屋で買ってくれたんですか。「竹中さんには随分とお世話になったんです」と言う。そうか。竹中は創価学会の牧口会長のことも書いていた。本は買ったが、そこまでは手が回らなかった。
「この中に、私のことも書いてくれてます」と言う。ちゃんと読んでみよう。その上で、太田さんにも竹中のことを詳しく聞いてみたい。
④魚住昭さん、木村氏、佐藤優さん、鈴木。「『竹中労』よかったね。力作ですよ」と佐藤優さんにも言われました。ありがたいです。
佐藤さんは竹中に会ったことはないそうですが、「凄い人だったんだね」と感心してました。