この日は台風が直撃すると言われてました。「もし台風が来て、大雨になったら中止します」とHPには出ていた。「じゃ、中止だよ」と思って来なかった人もいたのでしょう。
9月3日(土)の、「右から考える脱原発集会&デモ」です。7月31日(日)に続いての“右から考える脱原発”の第2弾です。
でも、台風だから中止だろうな。と思われてました。私もそう思いました。だって、午後2時頃、家を出る時は、雨が降ってました。傘をさしながら集会をやるのかな。
でも、デモは中止だろうと思いました。ところが、横浜に着いたら晴れている。世話人代表の針谷大輔氏が言ってました。
「僕は“晴れ男”なんです。僕がやった集会やデモで雨が降ったことはない!」。凄いですね。そこまで断言するのです。
午後4時、横浜公園で集会が開かれます。5時からデモに移ります。この時、雨が降ってきましたが、針谷氏。「すぐに止みます。それから出発しましょう」。本当にその通りになりました。凄いですね。天候まで支配するのです。
集会やデモの様子は、既に、ツイッターやネットで見た人も多いでしょう。大成功でした。いろんな工夫も凝らし、準備も大変だったと思います。ご苦労さんでした。
それに、何と、中学生アイドルの藤波心ちゃんが来てくれたのです!「本当に来たんですね」と驚きました。
8月31日(水)の文化放送で藤波心ちゃんとは初めて会いました。その時、「9月3日の右翼のデモに行きたい!」と言われました。「行っていいでしょうか?」。
いいも何も、皆、大歓迎ですよ。でも、大丈夫なんですか。アイドルとして、政治的な集会に出たりして。プロダクションが反対するんじゃないの?と心配しました。
この時、プロダクションの社長も文化放送に来てました。「いや、彼女はしっかりしてるし。彼女がやりたいことはさせてますから」。驚きました。「今まで左翼のデモは随分出てきた。だから、右翼のデモも出てみたい」と言うのです。
でも、当日は他の仕事があるかもしれないし、考え直すかもしれない。と思ってたら、本当に来てくれたのです。
8月22日(月)にTBSのCSに針谷氏と私が出演しました。「愛国心と脱原発」で1時間出ました。7月31日のデモの様子も詳しく取り上げられ、針谷氏も熱く語ってました。
その中に、1975年に私がTBSに出た「憂国の狼たち」も流されました。懐かしかったですね。産経新聞をクビになり、プロ的に右翼運動をやり始めた時です。
連続企業爆破の〈狼〉たちを取材して、『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)を出した直後です。左翼は命がけで運動をやっている。我々も負けずにやろう!と過激なことを言ってました。だから、私は「憂国の狼」なのです。もう40年近く前なんですね。激しかったんです。今では、「反日の羊」と言われてますが…。
そんな面白いエピソードもありましたが、TBSは好評のようでした。
ところが、放送直後から電話がバンバンと局にかかってきました。終わって、スタッフの皆と話してる時に、局の人が、慌ただしく駆け寄って、何度もディレクターに報告しています。
「どうしたんですか?」と聞いたら、「抗議の電話が沢山来てるんです」。「何で右翼を出すんだ!」と言うのです。
「じゃ、針谷君、電話に出てやったら」と私は言いましたが、それはマズイのでしょう。「我々で対応しますから」と。何十分も、何時間も「苦情」を聞くことがあるそうです。大変ですよね。
しかし変ですね。いろんな人が出て、いろんなことを言って。それが「言論の自由」でしょう。それなのに「右翼は出すな!」と言う。まあ、「面白かった」「よくやった」という人は電話を寄越さないから、クレームばかりが目立つのでしょうか…。
実はこのTBSを藤波心ちゃんが見てたのです。右翼デモについて、これは面白いと思い、ぜひ見てみたい、参加してみたいと思ったのです。それで8月31日(水)に文化放送で会った時に、「ぜひ参加したい」「行っていいですか?」と私に聞いたのです。
そして、9月3日(土)、本当に心ちゃんは来てくれたのです。集会では、挨拶もしてくれました。とても、しっかりしていて、堂々と話します。
私も話をしましたが、うまく喋れないで、話があっちこっち飛んだりします。内容もレロレロになります。でも、心ちゃんは、しっかりしています。
なぜ原発は危険か。なぜ中学生の私が立ち上がったのか。なぜ、この集会&デモに関心を持ったのか。…を理路整然と話します。「うわー、一番うまいよ」と皆、感動してました。
挨拶が終わってからは、歌もうたってくれました。「ふるさと」です。「皆さんも一緒にうたって下さい。この美しい日本を守りましょう」と。皆もうたいました。14才の中学生なのに、リーダーです。しっかりしています。
そして、午後5時、デモに移りました。心ちゃんは一番前で、横断幕を持ってくれました。最後まで歩き通し、シュプレヒコールも叫んでくれました。偉いですね。
この日、来た人たちも、「うわー、心ちゃんだ!」と叫んで、握手攻めにあってました。そして、「一緒に写真を撮って下さい!」と。私も写真を撮ってもらいました。
普通、タレントだと、写真を撮っても、「ブログなどに載せないで下さい」と言われることが多いのですが、心ちゃんは、「どうぞ、どうぞ」。プロダクションも寛大です。社長とマネージャーが来てましたが、2人とも、デモにも参加し、プラカードを持ってデモしてくれました。
デモのコースは、横浜公園→横浜市役所→伊勢佐木モール→オデオン座左折→長者町三丁目→大通り公園解散。です。
翌日、9月4日(日)、見沢知廉氏の7回忌法要で針谷氏に会ったら、「昨日のことが東京新聞に出ました」と言って、くれました。横浜版だから、東京では売ってません。見出しは…
〈「脱原発を」100人デモ。中区〉
台風直撃といわれてたので、来る人は少なかったのです。7月31日の時の半分以下です。
でも、皆、傘やカッパを用意しながら、「暴風の中でも歩こう!」と覚悟を固めた人たちが100人以上です。
それに、驚いたのですが、普通、100人のデモなら、絶対に新聞は取り上げません。2千人、3千人でも取り上げない。
それなのに、100人のデモでも、写真入りで、大々的に取り上げた。「右から考える」というのが珍しかった。それに心ちゃんも参加していた。…と、いろんな理由があったのでしょう。
では、「東京新聞」を少し紹介しましょう。
〈福島第一原発の事故を受け、脱原発と食の安全を求めるデモが3日、横浜市中区であり、約百人が「脱原発を達成し、子どもの命を守れ」などと叫びながら行進した。
脱原発は「左派」の人だけが訴えることではないと、「保守派」を自認する有志団体「右から考える脱原発ネットワーク」が主催。「麗しき山河を守れ」などと書かれたのぼり旗と日の丸を掲げて、横浜公園から市役所前、伊勢佐木モールを通り約1.5キロのコースを練り歩いた。
代表者の会社員針谷大輔さん(46)=同市港南区=は、「食品の中には、放射性物質に汚染されたものもあり、子どもたちが危険にさらされている」と話していた。(志村彰太)〉
「会社員」というのがいいですね、と針谷氏は喜んでました。写真もカラーで載せてますし、ありがたいです。記事を書いた人の名前も載せてるし、立派です。
「右翼や左翼のことは一切、載せないようにしよう」としている新聞が多い中、勇気あることだと思います。こうして言論で闘っていることを、マスコミが取り上げる。いいことです。
どんなことでも、キチンと言論で勝負できるのだ、と思えば、右も左も、大きく変わります。
又、この日の集会もデモも、お洒落です。「怖さ」はないし、スマートです。チラシも明るく、分かりやすいし、「注意事項」を、こう書いてます。
〈各団体の幟や旗及び趣旨に相応しくないプラカードや服装・言動はお断りさせていただきます〉
この「ただし書き」はいいですね。でないと、真っ黒な街宣車が何十台も来たり、ズラリとお揃いの戦闘服を着て参加したり、「北方領土奪還!」「北朝鮮を許すな!」などというスローガンを立てられたら、「脱原発」はかすむ。だから、この注意書きになったのです。
さらに、写真にも出てますが、沢山の風船が用意され、道行く人々に配られました。
〈風船・チラシで横浜のお母さんに食の安全を呼び掛ける!〉
〈安心して子育てできる日本に〉
と、スローガンも出てました。
この日、「週刊金曜日」(9月2日号)を針谷氏に渡しました。前日に発売になったばかりです。そこに私は、7月31日のデモの報告を書いてます。
〈「右から考える脱原発集会&デモ」の衝撃
なぜ、右翼・民族派も「脱原発」なのか?〉
です。以前は、「原発は危ないが、反原発を言うと左翼を利する」と思ってた人が右翼や保守派に多くいました。
しかし、「利する」ような左翼は、もういません。又、現に、日本の国土が汚されているのです。「麗しき山河を守れ」と言っている右翼が立ち上がるのは当然だ。そういう思いが溢れているのです。
でも、まだ、反発や逡巡があります。その中で、〈脱原発〉と叫び、集会&デモをやった針谷氏の勇気は讃えられていいでしょう。
又、「反原発デモは左翼だけがやっているんだ」と思って安心し切っていた体制側や電力会社に対して、「いや、そうじゃない。右からも反対運動がある。国民全部が怒っているんだ!」という意志表示が出来たと思います。その意味でも画期的なデモだったと思います。
と、いったことを「週刊金曜日」には書いた。この9月3日には、「週刊金曜日」の人も取材で来ていた。他のマスコミも来ていた。
「週刊金曜日」でも反原発のシンポジウムを9月10日にやったし、9月15日(木)には「創」主催のシンポジウムもある。いろんなデモも、続く。本も出ている。一過性の反対運動にしてはならない。
〈実現しなかった夢のプロジェクトに「もうひとつの」国のかたちを読む〉
皇紀2600年(昭和15年)の万博とオリンピック。関東大震災のモニュメント、琵琶湖大運河、…などなど。面白いアイデア、構想が沢山あった。
実は、この本は、利島で見つけたのだ。イルカと泳ぐために8月10〜12日に、利島に行った。その時、ちょっと寄った勤労福祉会館には本がズラリと並んでいて、そこで見つけた。その横にはボーリング場があった。この本は面白そうだと思い、東京に帰ってきてから、ネットの古本屋で取り寄せたんだ。
⑥9月2日(金)、午後2時から「ミヤマ」で。『紙の爆弾』の座談会。「追う人」(元刑事の飛松五男さん・左)と「追われる人」(赤軍派の金廣志さん、連合赤軍の植垣康博さん)と…。スリリングな対決トークになりました。
⑧9月3日(土)、横浜のデモのあと、急いで代々木の国立オリンピック記念青少年センターに行きました。坂野正人さん(イルカ研究家・中央)と林正道さん(海洋楽研究所所長)のトークを聞く。私も、利島でイルカと泳いだ体験談を話しました。
〈最後に鈴木はこう書いている。「『言論の覚悟』とは疚(やま)しさを背負って生きる覚悟である」〉