自分の全く知らなかったことを知らされる。又、知ってると思ったことが根本的に覆される。「それは違うよ」と指摘される。それが本当の読書だろう。
自分の思い込みの全てが破壊される。それが最良の読書だ。だから、読書は、本当はスリリングであり、リスキーなものだ。もしかしたら、自己解体を迫るものかもしれない。それが本当の読書だ。
自分の「知ってること」を〈補強〉するのは読書ではない。自分の「考えていること」に合う本ばかりを読んで、「そうだ、そうだ」と喜んでいるのは本当の読書ではない。安全圏にいて自己満足しているだけだ。
パソコンや携帯で、自分の脳に「心地よい」情報だけを探し、集めている人も、本当は、「読んでない」「読書」をしてない。文字の上を眼が追っているだけだ。脳は働いていない。
「考えさせられる本」「自己否定を迫る本」に出会えるかどうか。その「出会い」が読書の質を決める。人生を決める。自分が知ってる本や、知ってる世界なんて、たかが知れている。
その中で、「これが最高」、「これが一番面白い」なんて言うのは、おこがましい。そんなものは、小さな水たまりだ。池を見ろ。川を見ろ。海を見ろ。海を見て、初めて水を語れ。
本の海とは何か。とりあえず思想書や文学者の「全集」だ。海そのものではないが、世界の海を分類し、見せてくれる。他にも手段はある。冒険者ならば、ヨットやカヌーで大海に漕ぎ出してもいい。
気まぐれに、客船に乗ってみるか。あるいは密航するのもいい。「国際柔道」をテレビで見ていて、思った。人は何のために格闘技・スポーツをやるのだろうかと。健康な生活を送るため。他人をねじ伏せるため。暇つぶし。戦争や喧嘩の代償行為。金のため。女にもてたいため。…いろんな理由がある。でも、もっと実存的な理由があるはずだ。
それで、図書館に行った。新書コーナーはテーマ毎に分けられ、「見出し」が付いていた。「スポーツ」のところで、初めから順に6冊借りた。図書館では10冊まで借りられるが、梁石日と松本清張を全巻読破しようとしている。だから、それを2冊ずつ借りた。それから、ずっと読んでいる。だから残りは6冊だ。
家に帰ってから、初めてタイトルと著者を見た。こういうアトランダムでアナーキーな読み方もいい。うん、『アナーキー読書術』もいいな。次の本を書くときに。『無目的的読書術』『衝動的読書術』『乱読術』でもいいな。さて、借りてきた6冊だ。
1から順番に読んだ。スポーツのこと。身体のこと。記録のこと。スポーツ・エージェントのこと。いろいろ学んだ。「スポーツとは何か」が、分かりかけた。そして最後に読んだ『障害者とスポーツ』だ。玉木の本は特に面白かった。きっと、パラリンピックの話だろうと思った。それをめぐる涙と感動の話だろうと思った。でも違った。全く知らない世界だった。もっと広い、深い本だった。
まず初めに、パラリンピックについても私達はよく知らなかった。4年に1度、オリンピックが開かれ、その直後に、同じ場所で開かれる。かなり前から行われていたと思ったが、1964年の東京オリンピックの1か月後に障害者のオリンピックが開かれた。1か月後なんだ。その時、「パラリンピック」という愛称が初めて付けられた。
しかし、東京大会だけの特別開催だった。「パラリンピック」として公式名がIOCにも認められたのは1988年のオリンピックソウル大会の時からだという。オリンピックの直後に、同じ会場で「パラリンピック」が行われるようになって、正式にスタートしてまだ12年なんだ。
東京オリンピックの前にも障害者の大会は行われていたが、それは車椅子使用者だけの大会だったという。
〈イギリスの外科医グットマン博士が、1948年(国際大会としては1952年)からリハビリテーションの成果を競う大会として、ストークマンデビル病院で毎年開催していた「国際ストークマンデビル車椅子スポーツ大会」が発展したものです。4年に1回はオリンピックの開催地で開催したいという希望から、ローマに続き東京で開催されました〉
最初は、病院で行われていた「患者さんの運動会」だったんですね。戦争で負傷した人達が多く、その人達のリハビリを兼ねてたようです。それが、オリンピック東京大会の直後に開催されたことで、一挙に世界に知られたんです。
〈この大会に愛称をつけることになったとき、車椅子に乗っている人だけが参加した大会であることから、「対麻痺者」を意味するパラプロイジア(paraplegia)と、オリンピックとの合成語で、「対麻痺者のオリンピック=パラリンピック」と名付けられたのですが、誰が命名したのかは、さだかではありません。マスコミ関係者が名付け親ではないかといわれています〉
普通なら、「俺が命名者だ」「私が初めて新聞に書いた」と名乗りをあげるでしょうが、謙虚な人々だ。ともかく、和製英語なんですね。「英語」でもないか。和製独語かな。グットマン博士は英国人だが、きっと医学用語はドイツ語だろう。だから、和製英語じゃなくて、和製独語かな、と独語している私です。
その後、いろんなことがあって、東京大会から24年後のソウル大会(1988)に、正式にIOCから認められ、オリンピックと同時開催になるわけだ。この頃は、対麻痺者だけでなく、目の不自由な人、手足の切断の人、機能障害の人、脳性麻痺の人等、いろいろな障害のある人が参加できる大会になったのです。
〈そのため、ソウル大会の組織委員会が使った「パラリンピック」は、対麻痺者の「パラ」ではなく、「平行した、もう一つの、同時に、同じもの」の意味をもつパラレル(parallel)とオリンピックの合成語で、「もう一つのオリンピック」という意味がこめられています〉
これはいい。パラリンピックの正式の「語源」はこれにしたらいい、と又もや独語しました。陸上競技、水泳、アーチェリー、自転車、馬術、サッカー、柔道、車椅子バスケットボール、車椅子フェンシングなどが行われ、ほぼ全競技にわたっている。
こう説明すると、この本は、パラリンピックについて書いた本と思われるかもしれないが、それだけではない。著者の高橋明さんは、車椅子パスケットボール全日本チーム総監督をやったし、長居障害者スポーツセンターに長い間勤め、障害者スポーツの指導歴30年の人だ。
この本を読んで、何よりも驚いたのは、〈障害〉という言葉を、広く大きな意味でとらえていることだ。
極端にいうと、誰もが〈障害〉を持っている。年をとることも障害ならば、成人男子に比べ子供や女子は力が弱い。これも障害だろう。太ってる人に比べ痩せてる人は障害だ。背の低い人も障害だ。それらの〈障害〉に合わせて、格闘技は階級制にしている。又、柔道では中学生は首締め、関節技を禁止にしている。長く走れない人のためにハーフマラソンもある。野球や水泳陸上でも子供用の競技スペースは小さくするし、ルールは変わる。
つまり、小さい人、力の弱い人も障害があるわけだし、それに合ったルールが作られる。だから高橋さんはこう言う。
〈障害のある人のために工夫したスポーツが、子どものスポーツに適していたり、高齢者のスポーツのヒントになったりすることもあります。ちょっとした工夫で、子どもから高齢者、障害のある人までが同じスポーツを楽しめるわけです〉
たとえば、車椅子パスケットは、障害のない人も車椅子に座ることによって障害のある人もない人も一緒に楽しむことができる。つまり、「車椅子に乗る」というルールのもとに、誰でもが一緒にスポーツでき、真剣勝負が出来るのだ。これは素晴らしい。
〈このように、障害者のスポーツは、障害があっても活用できる能力を生かしてプレーできるように考案されたスポーツ。ちょっと工夫して、その場その場に適した形にしたスポーツということから、adapt(適応させる)という語を用いて「アダプテッド・スポーツ」(adapted sports)と称されています。この意味では、障害者のスポーツだけでなく、高齢者のスポーツ、子どものスポーツもアダプテッド・スポーツに含まれます。かつては「障害のある人のためのスポーツ」であった障害者のスポーツは、「何らかの障害のある人も行えるスポーツ」へと、その概念を変えつつあります〉
たしかに高齢者や子どものスポーツは「アダプテッド・スポーツ」です。と同時に、全てのスポーツが実は、「アダプテッド・スポーツ」です。柔道、アマレスなどは階級制があり、小さい人が大きい人と闘うことはありません。又、柔道で、投げられそうな時、「実戦なら、ここで殴ったら勝てるのに」と思っても出来ません。頭突きや蹴りも出来ません。ルールを細かく作り、アダプトさせているのです。
ボクシングだって、組みついて投げ飛ばし、首を絞めたら反則負けです。実戦なら「勝ち」なのに、ルールを設けて闘わせているのです。全ての力を出させるのではなく、「限定して」「アダプトさせて」闘うのです。全てはアダプテッド・スポーツです。
高橋さんは言ってます。障害者のために工夫したスポーツが、高齢者や子どものスポーツのヒントになっていると。
その通りです。ネットを低くしたり、ゴールを短くしたり、投げる球を軟らかくしたり。それによって、全ての人がスポーツを楽しめるようになります。さらに、柔道では、一般の選手が、障害者にヒントをもらっている例もあります。
私は時々、柔道の練習に行ってますが、目の不自由な人も一緒に練習しています。組み手争いはしません。組んだ状態から始めます。皆、強いです。こっちは目だけで見て、技をかけようとします。相手のフェイントにもひっかかります。その点、目の不自由な人は、両手が目になって、そこから相手の動きを感知し判断します。だから、正確に読み取り、相手の動きを予知します。
特に寝技などはそうです。体の移動、体重のかけ方、制し方などは、目だけで見ていると失敗します。体の感触、相手の力の入れ具合、力の方向を自分の体で察知して、相手を制するのです。だから、大学の柔道部などではよく、目隠しをして寝技をさせます。目に頼って失敗するのを避けるためです。これなども障害者のスポーツが大いにヒントになっている点です。
だったら、障害のある人もない人も同じ場で闘うことも出来ます。障害のない人は、目隠しをして試合すればいいのです。
シッティングバレーボールでは、国内大会ではそれをやってます。臀部が床に接触した状態でプレーします。障害のない人が、サーブ、アタックの時、立ち上がったり、飛び跳ねたりしては反則になります。それで、障害のある人、ない人が一緒にプレーできるスポーツとして普及しています。
パワーリフティングでは、下半身に障害がある人も、行っています。以前、一水会の機関紙「レコンキスタ」で取材したこともあります。ウエイトをやってる人です。もの凄い「努力の人」です。病気で下半身が麻痺したが、車椅子には乗らず、どこにでも、松葉杖で行く。そのために上半身を鍛える。筋肉隆々です。百キロ以上持ち上げると言っていた。驚きました。
この『障害者とスポーツ』を読んで驚いたが、ウインタースポーツも盛んなのです。アルペンスキーでは、滑降、スーパー大回転などが行われている。片足の人も参加している。クロスカントリースポーツ、バイアスロン。それに「水上の格闘技」といわれるアイスレッジホッケーも行われている。
そのため、車椅子は大幅に進歩したし、義足・義手も大幅に改良された。力のない人、力の足りない人を「補助」するという感じだ。
又、水泳も活発に行われている。全く歩けない人が水の中では浮力があるので、浮く。泳ぐことが出来る。初めて、自分の力で進むことが出来た、という感覚がある。これは素晴らしいことだ。
少し前でも書いたが、この高橋さんの本を読んで、〈障害〉に関する考え方が変わった。誰でもが〈障害〉を持っているし、〈不便〉なとこがある。それをどう補ってスポーツをするかだ。ちょっと長いが引用する。
〈たとえば、背の高い人がいれば、背の低い人もいる。太った人もいれば、やせた人もいる。脚の長い人もいれば、短い人もいる。片足のない人もいれば、片腕のない人もいる。というのは、それぞれの身体的な個性、特性として障害をとらえられないか。また、背の高い人は高い所の物をとるのに便利であるが、低いところを通るのに不便である。メガネをかけたらかけたことによる便利、不便があるように、人それぞれ、個性、特性によって、便利、不便の環境がちがうというとらえ方です。
すなわち、障害者に対しても、1人の「個人」としてその障害を「個性・特性」としてとらえ、「人それぞれ不便さがちがい、また取り巻く環境によっても不便さがちがう」という「環境」の問題で考えることが、最近の建設的な捉え方と思っています〉
なるほど、「環境」の問題なのか。と目からウロコでしたね。そして、「不便さを補う補助具」という点では、「義足とわれわれのメガネは一緒」という考え方がてきるのではないでしょうか」と言う。
さらに、こんな感動的な話を紹介する。高橋さんの友人に、目の不自由な人がいる。全盲の男子だ。学生時代に白い杖1本でイギリスへ卒業旅行をした。「過去には介護者がいないと飛行機の搭乗を断られることもありましたが、今では電動車椅子や白い杖を持った人も飛行機に乗れるようになりました」。
ロンドンで、白い杖を持ってバスを待っていると、「May I help you?」と声をかけられた。「バスに乗りますか」と言われ、「お願いします」と言った。その女性は空いている席を見つけ、彼を座らせてくれた。知らない土地で声をかけられて、優しい人に巡り会ったと、喜びながら、彼は座っていた。
いい話だ。ロンドンだけでなく、日本でも最近はこうした光景がある。白い杖を持った人に優しく声をかけ、何か出来ないかと考える。ところが、驚いたのは、その次だ。エッと思った。
〈バス停に着くたびに車内はだんだん混雑してきます。目が見えなくても、ざわざわとした雰囲気は感じられます。そんな時、彼はさきほどの女性から、また声をかけられました。「君は目が不自由だけど、バスの中では一番若い。お年寄りが乗ってきたので席を替わってくれますか?」。そういって全盲の学生である彼を立たせて、お年寄りを座らせたのです。日本に帰ってきた友人は、「イギリスで、障害のない人と同じ扱いを受けた」と、その喜びを旅行記に書いています〉
これを読んで、不覚にも涙が流れてしまいました。本当に嬉しかったんだろうな。日本じゃ、こんな粋なことをするオバさんはいない。イギリスの女性はすごいなと思った。これは考えさせられました。
さらに、〈障害〉は、他人ごとではありません。病気になった、車社会の中で怪我をしたり、あるいは年を取る。皆、障害を持つのです。この本は、2004年に発行された本です。6年前のデータですが、そんなに変わらないでしょう。
第一次ベビーブーム期に誕生した「団塊の世代」が70才に達するのは2020年前後です。この頃には老齢人口も25.6%、つまり日本の人口の4人の1人が老齢人に達します。さらに、今の大学生が70才になる2050年頃には30%を超えると予測されており、人口の3人に1人が65才以上となるのです。そういいます。
そういえば、私の同級生や友人達は皆、65才以上だ。老人だらけだ。
〈また、現在、この高齢者のうち、約一割に何らかの障害があるといわれています。高齢になれば、身体能力が衰えたり、後遺症の残る疾病のために手足や目、耳などが不自由になるなど、さまざまな面で不自由さ、すなわち「障害」が増えてきます。その意味で、高齢化社会の進行と障害のある人の増加には、密接な関係があるといえます〉
今なら「一割」じゃ、きかないでしょう。それに皆、病気を抱えている。65過ぎの同窓会というと、「病気自慢」と「孫自慢」「ペット自慢」。これしかない。三大自慢大会だ。下手したら、「曾孫自慢」かもしれない。運動神経が鈍くなるから、滑って転んで骨折したなんてよくある。とっさに「受け身」をとる人なんて稀だよ。そして怪我すると、寝る。寝た切りになる。リハビリは痛いし、嫌だから、つい、億劫になる。それで立ち上がれなくなる人が多い。
「痛い思いをしてリハビリしても、やる仕事はないし」とか、「別にこれから恋愛するわけでもないし」と思い、寝てた方が楽だ、となる。気持ちが後ろ向きになる。
それに、高齢者だけでなく、若い人も襲う交通事故がある。年間1万人が交通事故で亡くなっている。だが、それだけではない。多くの人達が重傷を負い、障害者になっているのだ。これは決して「少数の問題ではない」と高橋さんは言います。
〈肢体不自由者と内部障害者が増加している要因には、高齢化社会と医学の進歩が密接な関係にあります。そして、もう一つの要因に交通事故があります。年齢に関係なく障害者につながる交通事故の増加は深刻です。
現在、日本で交通事故死する人は、一年間で1万人弱。しかも『警察白書』では、交通事故死というのは、事故の後24時間以内に亡くなった人をさしており、事故後30時間後、2日後に亡くなってもこの数字には入っていませんから、実際はもっと多いことが考えられます〉
そうなのか。1万人どころじゃないんだ。さらに、重傷者の数だ。こんなにおるのか、と驚いた。
〈また『警察白書』によると、1年間で約100万人以上の人が交通事故で怪我をしていて、そのうち10%が重傷を負っています。負傷が治れば疾病・疾患で終わりますが、何らかの後遺症によって日常生活に支障をきたすようなことになる場合も少なくありません。こうして肢体不自由者が増えているのが現状です〉
交通事故で怪我をする人は100万人もいるのか。だからこそ、リハビリテーションやスポーツは必要なんです。国家の最重要課題かも知れません。パラリンピックの創始者グットマン博士は言ってます。
「失った機能を数えるな、残った機能を最大限に生かせ」と。
でも人間は、失った機能を数えがちです。だから実は身体よりも、「心のリハビリテーション」が必要だと高橋さんは言います。どうやって前向きにリハビリに取り組むか。さらには、スポーツに取り組むか。
私など全く知らなかったのですが、交通事故は、その〈理由〉によって、立ち直りが全く違うのだと言います。赤信号なのに、急いでいるので、ええい、渡っちゃえと思って渡り、そこで車にひかれた。これは自分が悪い。一方、青信号を渡っていたのに、暴走した車で撥ねられた。自分には全く責任はない。
この両者の場合、「自分は全く悪くない人」の方が治りが遅いのです。キチンと信号を守り、悪いことをしてないのに事故に遭う。さらに治りも遅いという。不条理です。なぜなのか。
〈青信号で歩いているときに暴走車にはねられて車椅子生活になった場合の方が、立ち直りが遅れる傾向にあります。自分のせいであれば、「あの時、赤信号を無理して渡らなければよかった」と、また、「時間的な余裕を持っておれば、こんなからだにならなかったのに」という自己反省から入るのです。しかし、暴走車にはねられた場合には、どうしても「あの車さえ信号を守ってくれていたら。あの車さえ、スピードを控えて走ってくれていたら」という、恨みつらみから入りがちです。その真理が立ち直りを遅らせるのです〉
ウーン、深い話だと思いました。まず「心のリハビリ」が必要だというのも分かります。その絶望の中で、光を与えるのがリハビリであり、「障害者スポーツ」なのでしょう。
高橋さんは、障害者スポーツをやる多くの選手たちに会い、こんなことを書いてます。怪我をして、「車椅子生活」を医者に宣告された「瞬間」の気持ちです。
〈その時、もし10人の選手がいたら、10人とも、「車椅子生活」を宣告された瞬間、「死のうと思った」といいます。そして、「どうして自分だけが、こんなに不幸な目に合わないといけないのか」と、絶望の淵で苦悶したと告白します〉
実際に、自殺した人も多いのです。
〈そんな人たちのなかで、私は、知り合いを二人亡くしています。一人は車椅子生活が耐えられなくなり、車椅子に乗ったまま入水自殺をしました。もう一人は、ビルの屋上から飛び降り自殺をしました。下半身が動かないために、わざわざ車椅子から降り、這って飛び降りたのです〉
交通事故死が年間1万人。自殺者は3万人。計4万人が1年で亡くなっています。さらに、交通事故の負傷者が100万人。身体もそうですが、まず「心のリハビリ」だと言います。
昔なら、宗教や学校がそうした「心の教育」「リハビリ」を担っていたのでしょう。しかし、今は、高橋さん達が担っているのです。リハビリと、障害者のスポーツによって希望を与え、心のリハビリをしているのです。
2001年の数字ですが、18才以上の在宅の身体障害者の総数は約324万5000人だそうです。こんなに多いのかと驚きました。でも、実際は、もっともっと多いのだと高橋さんは言います。
〈たんに「障害者」という場合には、身体障害者、知的障害者、精神障害者をさしていますが、ここでは、「身体障害者」と明記されているため、知的障害者、精神障害者は含んでいません。病院や施設に入居している身体障害者も含まれていません〉
やはり、全国民的な問題であり、課題なのだ。高橋明さんが勤めていた大阪市長居障害者スポーツセンターは、1974年5月に、日本初の障害者スポーツセンターとして開館した。今年で36年だ。
その体験をもとに、この本を書いた。実に感動的な本だった。こんな素晴らしい本に出会えたのも、アナーキーな読書術のおかげだ。乱読のおかげだ。
「あとがき」で高橋さんは書いてます。
〈以前、マラソンランナーの有森裕子さんからメッセージをいただき、その中で彼女は、「人間、一人一人、大なり小なり何らかの“不便さ”“特性”をもち生きている。それらを、互いに認め、支え、喜びに変え、力に変え、生きている。…こんなシンプルな大切なことを障害者のスポーツを通じ学び知ったように思う」と語ってくれました。私も同感です〉
ということで終わります。余りにも感動的な本に出会ったので、ついつい長くなってしまいました。
②佐藤優さん(作家)と。この日、福島さんと佐藤さんの対談「沖縄・民主主義・日本の未来」がありました。佐藤さんとは新宿ジュンク堂で「読書」について対談をしたので、それを基に本を出せないかを考えています。よろしくお願いします。
③『通販生活』の編集部の人々と。この雑誌は内容が濃く、深いです。もの凄く売れてます。「通販」の雑誌ですが、その中に、政治的・社会的な企画もあり、鋭いです。憲法改正、移民、在日の人の参政権などについて特集してます。私も何度か出ています。「うわー、レトロなカメラやわ!」「きっと、ブログに載るんやわ!」と大騒ぎしてました。
④10月17日(日)午後2時、下北沢のスズナリ。大川興業の本公演を見に行きました。総裁の大川豊さんと。昔、赤尾敏さんが数寄屋橋で街宣してる所に行き、学生服で「フレー、フレー、赤尾!」とやったら、赤尾さん、大感激だったそうです。「皆さん、日本も捨てたもんじゃない。こんな純心な学生もいるんです!」と言ったそうです。赤尾さんの方が純心だと思います。
03年には木村団長のもと一緒にイラクに行きました。そこでも、「フレー、フレー、フセイン!」とやってました。イラクの人々が感動してました。
⑩10月19日(火)、明治学院大学公開セミナー「『知』の十字路」を聞きに行きました。この日は原武史さん(明治学院大学教授)と辻井喬(堤清二)さん。作家であり、実業家です。三島由紀夫と親交があり、その話もしてました。又、京大時代に共産党の活動をしていた頃の話も。
『遺魂』を差し上げたら、「明日からヨーロッパなので、旅先でゆっくり読みます」とご丁寧な手紙を頂きました。又、お会いして、お話を聞きたいと思います。
⑪10月21日(木)夜7時からロフトプラスワン。高須基仁さんのイベントに呼ばれました。「第9回熟女クイーン・コンテスト」。凄い熱気でした。私は普段は、政治的なイベントしか呼ばれないので、驚きました。キャー!こんな世界があるのか!と。
⑫高須さんに挨拶してすぐ帰ろうとしたら、「審査員席」に座らされました。丸茂ジュンさんと「電撃ネットワーク」の南部虎弾さんです。私の左は島田陽子さんと、やくみつるさんでした。
でも、熟女の「審査法」が分からん。身長、体重、バスト、サイズが書いている。「このマイナス75って何ですか?」と丸茂さんに聞きました。「それはアンダーバストのことよ」。ほう、知らんかった。じゃ、トップは95だから、20cmの「海抜」か。フーン。とても勉強になりました。本を読むだけじゃなくて、ロフトのエロいイベントから教わることも多いんですな、と独語しました。
⑬全日本SAW(サブミッションアーツレスリング)連盟の選手権大会を見に行きました。10月24日(日)午後2時より、大森のゴールドジム大森アネックスです。SAW代表師範の麻生秀孝氏と。 「じゃ、堀辺先生の前で写そう」と麻生氏。後ろには骨法道場の堀辺正史先生からの花輪がありました。