2010/01/25 鈴木邦男

ヤマトタケルの謎。学生証の謎

①司会がやけに興奮してました

講演する深見東州先生
講演する深見東州先生

変なんだ。明らかにおかしい。異常に興奮している。やけにテンションが高い。1月14日(木)、一水会フォーラムに出た時だ。司会の様子がおかしい。この日の講師は、ワールドメイトリーダーの深見東州先生だ。司会は、「深見先生の経歴は…」と2、3分で紹介し、「では先生、お願いします」と言えばいい。それで司会の出番が終わる。ところが、声が上ずっている。目がうつろだ。「深見先生の紹介をしようと思えば、2時間あっても足りません。それだけ凄い先生です」と言う。

たしかに各方面にわたり、又、国際的な活動をされてる先生だ。ベストセラーを何冊も出し、いろいろな国際会議に参加し、自らオペラに出演し、歌もうたっている。「宗教家」というよりは、〈芸術家〉だ。そしてこの日は、日本主義と日本精神について話す。演題は、「中村武彦とワールドメイト。そして人生の本義」だ。

中村武彦先生は民族派運動の重鎮だった。「右翼の良心」と呼ばれ、全右翼に尊敬されていた。私らも大学生の頃からお世話になっていた。1972年に一水会を創る前から、教えを受けていた。阿部勉、犬塚哲爾、四宮正貴、田原康邦、田村司…と、一水会創設メンバーは皆、中村先生の教えを受けた人間だ。中村先生の教えがあって一水会が出来たともいえる。

深見東州先生を囲んで。右は木村三浩氏
深見東州先生を囲んで。右は木村三浩氏

実は、深見東州先生も、25才の時、中村先生に会い、それ以来、ずっと教えを受けていたという。「だから同じ、中村先生の門下生です」と深見先生は言う。これは嬉しかった。感動した。

この日は、中村先生の話に始まり、(深見先生が以前いた)大本教の話などをする。又、大本教から分かれた「生長の家」や他の宗教、そして、民族派運動について詳しく話す。初めて聞く話が多く、私らは感動した。

「よくこんな大物の先生を講師に呼べたな」と木村三浩一水会代表は他の人たちに言われたようだ。先生とは何かの国際会議で会い、親しくさせてもらったという。

この日のフォーラムの司会だって、そういった経過を淡々と話したらいい。ところが、異常に興奮している。そして、「これは大変なことです」「この日を境に、一水会は革命的に変わるでしょう」「もはや、今までの一水会ではありません」…と大声で言う。何か、ワールドメイトに深い思い入れがあるようだ。「長くなるので紹介はできない」と言いながら、5分経ち、10分経っても終わらない。20分経っても、まだ「演説」をしている。「おい、大丈夫か!」と、よほど出ていこうかと思った。「どうしたんだ」…と、会場もザワザワした。それでハッと気付いたのか、「アッ、オレは司会だった」と目覚めたのか、「講師紹介」は終わった。

二次会で
二次会で

そこで司会が言う。「深見先生が、国歌・君が代の独唱をします」。皆は歌わないで、静かに聞いていて下さい、ということらしい。

深見先生の「君が代」独唱を聴いて驚いた。素晴らしい。今まで聞いたどの「君が代」よりも素晴らしい。「君が代」って、こういう歌だったのか、と初めて知った。

何せ、深見先生はオペラに出ている。又、そのために音楽学校に通ったという。だからプロだ。でも、サッカーの世界大会や格闘技の世界大会で「君が代」を歌う人がいる。プロの歌手がいる。でも、余りうまくない。心がこもってない。その点、深見先生の「君が代」は全く違う。言葉の一つ一つが魂に響く。伝わる。感動した。

②深見先生の話は、大本教、中村先生について…

二次会の会場で…
二次会の会場で…

それから講演が始まる。講演の内容は「レコンキスタ」(一水会機関紙)の2月号に載ると思うので、それを見てほしい。私ごときが、とても、紹介しきれない。2時間書いても書ききれない。正確に伝えられない。あっ、いけない。司会と同じになってしまった。でも、あの司会の興奮、テンションの高さは何なんだろう。不思議だ。謎だ。

大本教については、高橋和巳が『邪宗門』で書いている。私は、その位しか知らない。又、「生長の家」の谷口雅春先生は大本教にいたことがある。そんなこと位しか知らない。本格的に勉強しなくては、と思っている。この日は、その点についても深見先生が詳しく話してくれた。又、頭山満、内田良平ら右翼の大御所たちが大本教と協力し、世の「立て直し」をやろうとした。又、合気道の祖・植芝盛平は、かつて大本教にいた。そんなことを断片的に知ってるだけだ。その点についても、詳しく話してくれた。

さらに、今の日本の現状、それをどうやって打ち破るか。についても話してくれた。そして最後に、我々「中村門下生」に、「これは是非、読んで下さい」と、1冊の本を配る。ワールドメイトの月刊誌で、中村先生が連載し、それを纏めたものだという。全員にもらった。

「爆弾」の牧田吉明氏と
「爆弾」の牧田吉明氏と

中村武彦『古事記夜話』(たちばな出版)だった。手にとって、アレッと思った。だって、6年前、私は『ヤマトタケル』(現代書館)を出したが、その中で一番、参考にしたのがこの本だったからだ。あの時は、『古事記』『日本書紀』を初め、何十冊と本を読み(100冊以上だったかもしれない)、勉強して書いた。中村先生の本を読んで、教えられ、一番多く、引用したと思う。それが、ワールドメイトの「たちばな出版」だったんだ。

さらに、『古事記夜話』の帯には深見先生の推薦の言葉が書かれていた。あっ、そうだったんだ、と思い出した。こんな言葉だ。

〈この本には眠れる魂を覚醒させる力が漲っている!
 胸躍る戦いの行方、涙する恋の結末…。
 名文をたどるうちに、いつの間にか体中に力が漲ってくる。私が若い頃に最初に影響を受けた文体が、中村武彦先生の文体だったのです。文体とはその人の魂の響きそのものであります。
  深見東州〉

そうか、と「謎」が解けた。深見先生は25才の時、中村先生に出会い、それ以来ずっと教えを受けてきた。特に、「文章の書き方」を習ったといっていた。この帯にも書いているが、中村先生の「文体」だ。それを自分のものにした。だから、今、ベストセラーを何十冊も出せるのだ。又、「君が代」を独唱しても、その言葉の一つ一つが魂に響くのだ。

③ヤマトタケルを語ることは、自分自身を語ることだ!

中村武彦『古事記夜話』(たちばな出版)
中村武彦『古事記夜話』(たちばな出版)

私の『ヤマトタケル』は2004年8月2日に出した。この時、いろんな人のヤマトタケル論を読んだ。その中で、中村先生の本が、一番、教えられた。ハッと思った。ヤマトタケルは、結構、複雑な人だ。凛々しく闘うが、時には、嘆き悲しむこともある。又、女装してクマソタケルを討ったかと思うと、イズモタケルを騙し討ちしたりする。この辺が私としては理解できなかった。いくら神話の英雄でも、これは、汚いだろう。だって、イズモタケルと仲良くなって、刀を交換する。でも、自分があげたものは木刀だ。そして、一緒に水浴びして、上がった時に、いきなり斬りつける。イズモタケルも刀を抜こうとするが抜けない。木刀だもん。そして、討ち取ったヤマトタケルは、勝ちどきの歌をうたう。うーん、分からん。これが天皇の御子のやることか。どう読んだらいいのだろう。いろんな人の本を読んだが分からん。ただ、中村先生は、こう書いていた。

〈(この歌は)、どうも敗れた者に対する単なるあざけりや、哀れみだけとは思えない〉
鈴木邦男『ヤマトタケル』(現代書館)
鈴木邦男『ヤマトタケル』(現代書館)
〈一菊(ひとぎく)の涙がただよい、討ちつ討たれつしなければならぬ運命の哀感がただよい、おのれ自身に対する自戒の思いを聴きとれる〉

その「自戒の思い」とは何か。こう言う。

〈威風堂々、天下の豪傑と見えた出雲建は、その美しく飾った刀が中身のないにせ物とすり替えられて、いざというとき、哀れ呆気なく私の手で討ちとられてしまった。欺いてごめんよ。しかしお前に似合わぬ油断だったなあ。いや他人事ではない。私も用心しないと『さ身無しにあはれ』と言われて不覚をとるぞ〉というふうに解してはどうだろう。武人には、智勇兼備とともに、不断の緊張と充実が要求されるのである〉

なるほど。そうなのか、と思った。「欺いてごめんよ」がいい。昔々の話だ。あるいは、こういう大らかな闘いだったのかもしれない。他にも、これはどう読んだらいいのか、どう理解したらいいのか、分からない所があって、そのたびに、『古事記夜話』を読んで、中村先生に聞いた。それは、是非、皆様も読んでみたらいい。又、私の『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)の中でも、中村先生については詳しく書いている。

中川文人『ポスト学生運動史』(彩流社)
中川文人『ポスト学生運動史』(彩流社)

深見先生の講演が終わって、二次会へ。居酒屋「えこ贔屓」だ。深見先生も気軽に参加して、一緒にお酒を飲む。一般的に言ったら、「教祖さま」だ。そんな偉い方を、こんな居酒屋にお連れしては…と恐縮したが、先生は全く気にしない。それに向かいに座った人に、「一水会の人?」と気軽に聞く。「いえ、元ブントで暴れてました」。隣の人は、「昔、ピース缶爆弾をつくってました。それを赤軍派に大量に渡しました」。ゲッ!凄い人たちだ。よく見たら、「爆弾魔」の牧田吉明さんじゃないか。この人も大本教に詳しい。それで、深見先生の話を聞きに来たという。

そこで、司会者が挨拶する。知らなかったが、この司会者は、20年前から、ワールドメイトの会員だったそうな。それで、異常に興奮してたのだ。でも、そんなことは誰も知らない。「私も初めて知りました」と深見先生。木村三浩氏との縁で、その尊敬し、神とも仰ぐ深見先生が一水会で講演する。司会者も、それを聞いてビックリしてしまった。それで興奮し、テンションの高い司会になってしまった。そういう訳だった。「皆さんも今日を境に大きく変わります。大きな光を見たのですから」と司会は言う。

④あらら、不思議な物を見つけちゃった

『ポスト学生運動史』より
『ポスト学生運動史』より

二次会が終わって、私は家に帰った。明日はゴミの日だ。と、部屋を少し整理し、出すゴミをゴミ袋に入れた。先々週紹介した「早大卒業アルバム」がある。その下に、封筒がある。あれっ、何だ、これは。と開けてびっくり。まさに、光が差した。

何と、早大生の時の「学生証」が出てきた。アルバムと一緒に、実家で大切に保存しておいてくれたようだ。それが、今、見つかった。これも「奇蹟」だ。「昭和44年4月1日」になっている。三島事件の1年前だ。じゃ、全国学協の委員長をクビになって、失意のどん底にある時じゃないか。それにしては、顔付きが凛々しい。スッキリしている。何なんだこれは。それで、『新右翼』(彩流社)の〈年表〉を見てみた。自分のことなのに、よく知らない。

そうしたら、こう出ていた。

〈昭和44年(1969)5月 全国学協結成大会。委員長に鈴木邦男
6月 全国学協内紛で鈴木邦男解任。吉田良二に交代〉

あっ、全国学協結成の前だ。それに、私の「委員長」は1ヶ月も持たなかったんだ。無能な為にクビだ。これで、「民族派運動家・鈴木邦男」は死んだ。しかし、何とか「失地回復」しようと、44年中は、東京にいた。いや、仙台の実家に連れ戻された。それは何ヶ月か分からんが、仙台には何十年もいたような気がする。本屋のバイトをしたり、車の免許を取ったりしていた。でも、昭和45年の5月には産経新聞に入社した。そうすると、仙台にいたのは半年位なのか。うーん、思い出せん。

これが謎の学生証
これが謎の学生証

それと、学生証をもう一度、見た。「教育学部4年」になっている。あっ、そうか。早大政経を出て、大学院に行き、そこから教育学部に移ったんだ。あのまま、大学院にずっといたら、今頃は、どっかの大学教授になれたかもしれない。何と、もったいないことをしたもんだ。

それもこれも、森田必勝氏のせいだよ。と、思い出した。

⑤全ては森田必勝氏のせいだよ

森村泰昌さんと(1/19)
森村泰昌さんと(1/19)

早大大学院で勉強してた時、森田氏に言われたんだ。教育学部には自治会が2つある。革マル系と民青系だ。革マル系は弱体だ。だから、ここを乗っ取りましょうよ、と言う。教育学部には森田必勝氏の他、斎藤英俊氏など多くの右翼学生がいる。他の学部の人も、教育学部に移ってもらう。そして、クラス委員に立候補し、自治会選挙に出る。そうしたら、「早大教育学部自治会を民族派が取った!」と大々的に言える。森田氏はそう言う。

「だから鈴木さんも大学院なんて辞めて、教育学部に移って下さいよ」

今から考えると、とんでもない話だ。でも、「おっ、いいよ」と引き受けて、教育学部に移った。大学院を辞め、教育学部に移る時、先生に反対された。「何を考えてるんだ鈴木君。このまま大学院に残り、教授の道を進むんじゃないのか! もったいない!」と。

今から考えるとその通りだ。でも、あの時は、森田必勝氏らと一緒に、自治会を取るんだと思って、他が見えなかった。興奮していた。テンションが高かったんだ。それで、教育学部の「学生証」を持っていたんだ。でも、44年の4月に入学し、次の月が全国学協の結成大会だ。だから、この時は夢にあふれていた。凛々しい顔をしているわけだ。 だが、2ヶ月後、全国学協の委員長をクビになり、大学にも行かず、授業料も納めなかった。そしたら仙台の実家に督促状が行った。親はあわてた。「たしか大学院のはずなのに。なんで教育学部から、督促状が来るんだ?」と。

まあ、いろんなことがあったな。その頃のことは、又、ゆっくり調べて書いてみよう。

もう一度、学生証を見たら、「生年月日」が「昭和21年8月2日生」「22才」になっている。ゲッ、3才もサバよんでるよ。いいのかな。でも、いいんだ。ニセ学生証じゃない。大学側は写真と確認してハンコを押し、学生証を渡す。住所や生年月日は本人が書くようになっている。だから、私は「活動家」として少しでも若く見せようと、生年月日を誤魔化していたんだ。活動家としての「痛々しい努力」といえるかもしれない。

「欺いてごめんよ」と、ヤマトタケルのように言ったのかもしれない。

【だいありー】
森村さんから作品の説明を聞く
森村さんから作品の説明を聞く
  1. 1月18日(月)昨夜から徹夜で原稿を書いていた。〆切が重なった原稿がいくつかあったのだ。夜、7時。神田。市民集会の打ち合わせ。
  2. 1月19日(火)早朝の新幹線で新大阪へ。雑誌の対談でアーチストの森村泰昌さんと会う。アートな場所をいろいろ案内してもらい、話をした。深い話で勉強になったし、楽しかった。終わって、鶴橋で焼き肉を食べ最後の新幹線で帰ってきた。
     この日、新聞を見て驚いた。ミッキー安川さんが18日、亡くなった。76才だった。ミッキーさんの『ふうらい坊留学記』は夢中で読んだ。感動した。そのことについては私の『愛国と米国』(平凡社新書)に詳しく書いている。
  3. 1月20日(水)昼、打ち合わせ。夜、ネットカフェで仕事。
  4. 1月21日(木)今日から河合塾コスモが始まる。今年初めてだ。「あけおめ!」と生徒たちに挨拶されたので、「ことよろ!」と答えました。私もすっかり、若者コトバです。3時から「現代文要約」。5時から「基礎教養ゼミ」。今週は牧野剛先生の選んだ本を読む。『世界』12月号に載った伊東光晴の「鳩山新政権の経済政策を評価する」。それともう1冊。辺見庸の『自分自身への審問』(角川文庫)。辺見庸は1944年、宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。70年、共同通信社入社。
     あれ!私と似ている。同じ年に早大に入り、同じ年に、新聞社に入ってる。大学の時は辺見は全共闘だったらしい。それに宮城県だ。ぜひ会ってみたいですね。
     私は、70年に産経新聞に入り、販売局に2年、広告局に2年いた。そして、クビだ。「月刊タイムス」の香村さんが、「人材の無駄遣いだったね。編集にいたら、今頃、論説委員だょ」と言ってた。そんな、無理ですよ。たとえ、編集にいても、すぐにクビになったでしょう。
森村さんの実家で
森村さんの実家で
  1. 1月22日(金)昼、取材。夜、柔道。
  2. 1月23日(土)、朝8時の新幹線で岡山に。1時から岡山市民会館305号室で「岡山レコンキスタ読者の集い」。大阪や、神戸からも来てくれた。前半、私が『右翼は言論の敵か』とレコン(1月号)をテキストに、一水会創設時の話をする。特に、中村武彦先生始め、教えを受け、指導を受けた先生方の思想・行動ついて話す。そのあと、木村三浩・一水会代表が「尊皇攘夷」と題し、これからの民族派運動の課題と展望について語る。木村氏は、小沢事件にも触れ、検察の横暴を批判。私も同意見だ。「週刊朝日」の上杉隆の「検察の狂気」が一番、本質を衝いていると思った。
     そのあと、参加者全員で討論。元一水会事務局にいた久奥一郎氏が司会をしてくれた。
     そして、二次会に。久しぶりの岡山なので、番家誠氏をはじめ、地元の人々と、じっくりと語り合った。
  3. 1月23日(日)、夕方、帰京。たまっていた原稿を書く。
【写真説明】

①講演する深見東州先生(ワールドメイトリーダー)。1月14日(木)、一水会フォーラム。演題「中村武彦とワールドメイト。そして人生の本義」

②一水会フォーラムの後に、深見東州先生を囲んで。右は一水会代表・木村三浩氏。

③二次会です。居酒屋「えこ贔屓(ひいき)」で。(右から)中村明彦氏(中村武彦先生ご子息)、木村三浩氏、犬塚哲爾氏、深見東州先生、鈴木。

④「えこ贔屓」の壁には、いろんなポスターや「言葉」が、貼ってあった。左上は、「赤玉ポートワイン」、右は、「ありがとうは『有り難し』。めったになくて珍しいことだから、心を込めてありがとう」。
 左下は、「背中の重みは大きな翼」。ウッ、何だこりゃ。我々の来るのを予言している。右の翼を持った人や左の翼を持った人(牧田吉明さんら)が大勢来てましたし。

⑤ピース缶爆弾事件の首謀者・牧田吉明さん。歴史に残る人物ですよ。

⑥中村武彦著『古事記夜話』(たちばな出版)。とてもいい本です。ぜひ読んでみて下さい。

⑦鈴木邦男著『ヤマトタケル』(現代書館)。この本を書くために、多くの「ヤマトタケル論」を読みました。そして感じたことです。ヤマトタケルを語ることは〈自分〉を語ることです。この本はイラストが沢山あって楽しいです。

⑧これが「疑惑の学生証」です。でも、本物です。若いですね。凛々しいですね。

⑨中川文人著。(聞き手・外山恒一)の『ポスト学生運動史』(彩流社)です。凄い本です。メチャ面白い本です。2月26日、この本について、トークセッションをやります。新宿ジュンク堂で。

⑩この本の中から…。中核や、黒ヘルが大活躍し暗闘し、血湧き肉躍る活動史です。今まで誰も書かなかった。書けなかった歴史です。

⑪11月19日(火)、大阪で森村泰昌さんと会って、対談をしました。これは、「軍人墓地」です。「対談にふさわしい場所でしょう」と森村さんは言ってました。

⑫森村さんの実家で。森村さんの作品集を頂きました。表紙は、森村さん扮する毛沢東です。中には、「三島」もあります。森村さんが横で説明してくれました。

⑬森村さんの実家で。古い家です。私たちは興味深げにキョロキョロ、見ています。森村さん(右)はお茶を入れてくれました。

【お知らせ】
  1. 1月25日(月)週刊「アエラ」発売です。私も原稿を書いてます。書評です。
  2. 2月2日(火)阿佐ヶ谷ロフトで、私の『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)の出版記念イベントをやります。夜7時から。森達也さん、宮台真司さん、斎藤貴男さんがゲストで来て下さいます。豪華な出版記念トークになります。
  3. 2月9日(火)午後6時。八重洲ブックセンターで佐高信さんとトークをします。佐高さんの新しい本について話します。
  4. 2月13日(土)午後6時から8時半。渋谷の東京ウイメンズプラザホールで、「もう、ごめん! 石原コンクリート都政」と題する集会があります。宇都宮健児さんが実行委員長。斎藤貴男さんたちが講演します。司会は何と、上原公子さん(前国立市長)と私です。面白い集会になりそうです。
  5. 2月17日(水)午後7時、一水会フォーラムサンルートホテル高田馬場。講師は鈴木宗男先生(衆議院議員)で、「昨今の政治情勢を語る」です。興味深い話が聞けると思います。
  6. 2月26日(金)6時半から、ジュンク堂新宿店。中川文人著、外山恒一聞き手の『ポスト学生運動史』(彩流社)のトークセッションがあります。中川氏、外山氏、そして私も出ます。
  7. 3月26日(金)、27日(土)阿佐ヶ谷ロフトで劇団再生のお芝居「演劇機関説・空の篇」があります。又、両日とも開演前にトークがあります。劇団「再生」の高木尋士さんと私で「読書の暮れ方」です。