見沢知廉氏は、やはり生きていた。阿佐ヶ谷ロフトに来てました。だから、8月23日(日)に50才の誕生パーティを開いたのです。その誕生パーティを超豪華にする為に、高木尋士氏が脚本を書き、芝居を上演してくれました。8月21日(金)から23日(日)までの3日間に、4公演を行いました。又、芝居の前には高木さん、大浦信行さん、私で、連日、トークライブをやりました。テーマは、「死後に成長する命・言葉・人生」です。
芝居がこれ又、素晴らしかったですね。「天皇ごっこ〜調律の帝国〜」です。今まで何度も、見沢作品を上演してますが、これが決定版でしたね。気合いが入ってました。見ていて驚きました。「見沢知廉が来た!」と思いました。いや、劇団員全員が見沢知廉になってました。
原作は見沢知廉。脚本・演出は高木尋士でした。でも、渾然一体となっている。どこまでが見沢氏の「原作」で、どこからが高木氏の書いた「脚本」か、分からない。多分、当日、ロフトで見ていた見沢氏自身も分からなかったと思います。
舞台で叫びます。
「おふくろ! 俺をもう一度産んでくれ!」
これは今の見沢氏の叫びだ。本には書いてない。でも、一番言いたいことだ。高木氏は見沢氏になり切っている。だから、見沢氏の今の叫びが分かるのだ。
「日本は、ぼくを恐怖したんだ!」と舞台で叫びます。これも、見沢氏の「今の気持ち」だ。今、「最も言いたいこと」なんだ。そして、自分は「白血球だ!」と断言し、こう言う。
〈日本は、ぼくを恐怖したのだ! 日本が腐り、客観的精神が黄昏れなければ、ぼくの恐怖もうまれなかった。腐って崩れようとしている日本だからこそ合理的にぼくを生み出し、日本もまた合理的にぼくを恐怖した。その結果、ぼくは人類の白血球になったんだ!
いいか!白血球は国家や時代を超越する。凡人は、時代が変わった後にはじめて!人類の白血球の価値を理解する!〉
そうだよな。我々、凡人は、今頃になって、やっと見沢氏の偉大さを、凄さを、理解している。又、その予言者としての見沢氏をやっと理解している。必要なんだ。白血球は。危機の世界を救う。しかし平和な時代には顧みられない。むしろ危険だ。過激派だ。見沢氏は叫ぶ。
「聞きなさい! 健康な時に白血球がひたすら増殖したらどうなる。医者ならわかるだろう。人間は、白血病で死ぬ。しかし、生体が傷つき、血を流している時は、そのマクロファージが傷口を治療する。白血球が罪悪感を感じたら歴史は発展しなかったのだ! わかるか! ここは、日本の縮図、監獄だ。あなたはなぜ、個人だけを診察して、世界を診察しないんだ!」
そういえば、舞台には鉄パイプによって、「巨大な監獄」が組まれ、現出している。いや、八王子の医療刑務所なのだろう。『調律の帝国』の世界だ。鉄パイプの牢獄に、無数の白い布が張り巡らされている。そこに、囚人たちが「棲む」。捕らわれの犬のように、熊のように。パンダのように。
ジャングルジムで無邪気に子供が遊んでいるようにも見える。しかし、この牢獄は、この日本だ。世界だ。囚われの囚人は我々なのだ。平和な時代には危険分子、過激派として忌み嫌われる白血球。それが見沢氏だ。そして「見沢氏の分身」である我々だ。医療刑務所の医者に向かって見沢氏は叫ぶ。
「あなたはなぜ、個人だけを診察して、世界を診察しないんだ!」
実際に、見沢氏はそう叫んだのだろう。でも、忘れている。高木氏を通して、思い出し、舞台で叫んだのだ。
これは、私自身をも突き動かした言葉だ。
40年前のことだ。早稲田に入り、やっと「自由」を獲得した。規律づくめの灰色の高校生活、いや、「監獄」を脱獄し、やっと大学に入った。あとは自由気儘に遊んでやろうと思った。ところが時代は60年代だ。激動の時代だ。「革命の危機」が言われていた時代だ。「生長の家」総裁の谷口雅春先生は獅子吼した。「危篤のこの日本を救え!」と。
平和な時代ならば、個人の精神的・肉体的な病を治し、幸せになる道を説くのが宗教だ。しかし、今、〈日本〉が病気だ。危篤だ。死にそうだ。宗教者も立ち上がれ!そしてこの日本を救え!と。
それで我々は立ち上がった。医者にしろ宗教家にしろ、もっと大きな病を治し、社会を救わなければならない。特に、社会が危篤な時は。そのことを見沢氏も見越し、訴えていたのだ。これは見沢氏の檄文だ。
芝居の中で、囚人が叫ぶ。
〈鈴木邦男は、全世界が見沢になると書いた。大浦信行は、見沢知廉に一篇の叙情詩を見た。高木尋士は、原子心母・見沢知廉を創った〉
これは、芝居の前のトークでも話をした。3日間、いろんな角度から「見沢論」をやった。見沢氏の作品は20冊ほどが本になっている。本になってない原稿も大量にある。見沢知廉になる前のペンネームで書かれた作品もある。それを会場に展示している。又、子供の時からの写真がある。刑務所で読んだ本、使ったタオル、石鹸、シャツなどもある。よく取っておいたものだ。普通なら、忘れたいと思い、出所したらすぐに捨てる。しかし、「この子は大作家になる。その時これは貴重な資料になる。〈作品〉になる」とお母さんが思ったのだろう。だから取っておいた。
さらに、もっと珍しいものがある。検閲を逃れて、本の背中に入れたコヨリ状のメモ用紙、又、差し入れに制限がある。それで、三島由紀夫の小説(文庫本)を5冊、貼り合わせて、1冊にした。それで入れた。「こんなものは入らない」と突っ返されるところだ。しかし、看守も、お母さんの愛・執念に負けたのだろう。5冊だと分かっていても、1冊として入れた。
又、「あぶり出しの手紙」も展示されていた。権力の目をかいくぐり、お母さんとどんな「秘密連絡」をしていたのだろうか。「俺はこんな所にいる人間じゃない」「俺を早く出してくれ!」といった叫びが多かったらしい。
22日(土)には佐伯紅緒さんが来てたので少し話をしてもらった。見沢氏をモデルにした小説『彼、ときどき、テロリスト』を書いた作家さんだ。今、売れている。我々の知らない見沢氏の側面を書いている。又、今売れっ子の雨宮処凛さんも、「文章の書き方は、見沢さんに習った」と言っている。本の中で、よく書いている。他に、同じ戦旗派出身の早見慶子さん、深笛義也さんも、見沢氏から多くのことを学んでいる。大浦信行さんは、見沢氏の本に感動し、映画「見沢知廉。たった一人の革命」を撮っている。来年夏には公開の予定だという。高木尋士氏も見沢氏の本に衝撃を受け、何本も脚本を書き、芝居をやっている。劇団員も皆、見沢氏の影響下にある。私だって、多くの影響を受けている。書くものも変わった。
その意味では、我々は皆、見沢文学の「作品」なのだ。「作品」が生きて、言葉を話し、動いている。
作家は、「処女作に向かって成熟する」と言う。鹿島茂の『吉本隆明1968』(平凡社新書)に書いてあった。吉本隆明は『転向論』だ。見沢知廉は『天皇ごっこ』だ。私の場合は『腹腹時計と〈狼〉』だ。1975年だ。「新右翼が新左翼過激派を評価した」とマスコミに言われた。それ以来、34年。「左右を超える」ことは、ずっと考えてきたテーマだ。
しかし、それ以上に、見沢氏の『天皇ごっこ』が気になる。最近の『愛国者は信用できるか』『「蟹工船」を読み解く』『愛国の昭和』『愛国と米国』は、むしろ見沢氏の処女作に向かって挑み、苦闘している。そんな気がする。私だって見沢知廉の「作品」だ。そう言う所以だ。
芝居では、見沢氏の好きだった「キャンディーズ」の歌が流れている。特に蘭ちゃんが好きで、「蘭ちゃんの写真を入れてくれ」とあぶり出しの秘密通信で頼んできたそうな。他には、森田童子の懐かしい歌、「G線上に一人」「ふるえているネ」も流れていた。見沢氏が好きな歌だ。しかし、彼はそのことをどこにも書いてない。なのに高木氏には分かるのだ。もう、彼は「見沢知廉」になっている。
いつか、見沢知廉の全集が出るだろう。未整理の原稿、レコンやサブカル系の本に書いたもの、講演などを集め、さらに、活字になってない厖大な作品がある。それを集めて全42巻の「見沢知廉全集」になる。その時、私は「解説」を書く。私の『言論の不自由!』(ちくま文庫)に見沢氏は「解説」を書いてくれた。そのお礼に今度は私が書く。見沢氏のことを一番よく知っている人間だ。そういう自負もある。
ところが、最近その確信が揺らいだ。破砕された。だって、見沢作品(未発表のものも含めて)を全部読んでるのは高木氏だ。それに、写真を初め、全ての資料の整理をし、見沢氏の読んだ本も全て読んでいる。とてもかなわない。負けた。だから、42巻の全集の「解説」は彼に譲る。頑張ってほしい。私は、全集の中に入る「月報」にでも書かせてもらおう。
それにしても、「おふくろ、俺をもう一度、生んでくれ!」には衝撃を受けた。鳥肌が立った。ザワザワとした。高木氏が書いたが、高木氏が考えたのではない。見沢氏が言ったんだ。降霊ですよ。「自動書記」ですよ。うらやましい。私は人間が近代的、合理的だから、霊がちっとも降りてくれない。近代的都会人の不幸だ。
あれは、本当に見沢氏の叫びだ。魂の叫びだ。それを高木氏を通じて言ってきた。この事実をキチンと我々は受け止めるべきだ。
「だから、彼の願いを叶えてやりなよ」と私はトークライブの時に言った。「エッ? どういうことですか」と、とぼける高木氏。知ってるくせに。
「お母さんとあなたが結婚するのです。そして、もう一度、見沢知廉を生むのです!」
「それはいい」と大浦氏も賛成していた。聞いていた会場の全員も、「そうだ!」と思った。「異議なーし」と言った。お母さんは、ちょっと年をめされているが、何、出来ないことはない。ギネスブックを調べたら、こういう高齢出産もあった。要は、生む意志だ!覚悟だ!見沢知廉を「復活」させてくれ!
今年は生誕50年だ。でも、「復活」0年だ。来年は1年、次が2年…となる。「生誕100年祭」の時は又もや50才だ。三島賞、芥川賞どころか、ノーベル文学賞を取ってるよ。三島由紀夫だって取れなかった賞を取り、三島を超える。その奇跡、人類の偉業を成し遂げるのだ。それを可能に出来るのは高木氏ただ1人だ。神から選ばれた男だ。危機の時代の白血球だ。ここはやるしかないだろう。立て! 立ち上がれ! ほら、聞こえるだろう。「早く、俺を生んでくれ!」という見沢知廉の声が!
結論が出た。見沢知廉原作、高木尋士脚本の芝居は、毎年やってきた。今年は集大成だ。これで完結だ。あとは生身の見沢知廉を甦らせるのだ。劇団再生が、全存在をかけて、見沢知廉を「再生」させる。見沢芝居はこれで一旦、終了だ。あとは、見沢の「再生」にかける。そして次は、もう50年後だ。「見沢知廉生誕100年祭」だ。再生「見沢知廉」も50才になっている。では、2059年8月21日(金)〜23日(日)に、再びここ阿佐ヶ谷ロフトで会いましょう。奇しくも、金〜日だ。もうロフトに予約も取った。皆も今から、チケットローソンで予約したらいいだろう。
では50年後、同じ、ここ阿佐ヶ谷ロフトで会いましょう。と私が閉会宣言をしたら、高木氏から思いがけない逆襲があった。
「それよりも、鈴木さんがお母さんと結婚して見沢知廉を生んで下さいよ。ぼくはお二人の養子になります」。
ゲッ、そうきたか。その4人で食卓を囲んでいる。凄い濃い家族だ。でも見沢知廉の「父になる権利」は高木氏に譲る。
そうだ。見沢氏には「双子の妹」がいた。大浦さんの映画に出ていた。我がみやま荘で共演したんだよ。あの女優さんと私が交配し、子供を生む。交配だからEDでも出来る。うん、その手もあるな。そうしたら「見沢知廉」の再生になる。
でもなー、「おふくろ! もう一度、俺を生んでくれ!」と言ったんだ。お母さんにお願いしているんだ。じゃ、高木氏が結婚して、生んでやるしかない。
「誰が本に殺されたか」の3回目です。周りに本を積み重ねると危ない。崩れて死んだ人が何人もいる。だから、本は床に敷き詰めて、その上で寝たらいいと、1回目に書いた。
そしたら、「それも危ない。それで2階が落ちたひとがいた」とロフトの客に逆襲された。それが2回目。幸い下にも上にも人がいなくて、無事だったが、気をつけた方がいい。家に帰ってネットで調べてみた。確かに4年前にそんな事件はあった。ただ、上には人がいたんだ。そして今回も、「殺人者」は漫画だった。他には週刊誌があった。記事を紹介しよう。
「大量の雑誌で床抜け、重傷。アパート、2時間後に救出」(2005年2月7日付の共同通信だ)。
〈東京都豊島区の木造アパート2階で6日夜、大量の雑誌をため込んでいた男性(56)の部屋の床が抜け、男性が1階の部屋に落下、雑誌などの間に埋まり約2時間後に救出された。男性は全身打撲で重傷。1階に住む無職男性(75)は「上の部屋の床が抜けそう」と警視庁目白署に相談に行っていたため無事だった。
調べでは、6日午後8時ごろ、豊島区目白の2階建てアパート202号室(六畳一間)の床が抜け、男性が大量の雑誌とともに1階に落ちた。男性の声だけが聞こえたため、東京消防庁が小型カメラのついた棒を駆使して約2時間後に救出。雑誌は昭和50年代からの「週刊プレイボーイ」「サンデー毎日」などの週刊誌や漫画雑誌の「少年ジャンプ」などで、救出の際に取り出した分だけでも、高さ50センチ、幅約30メートルに広がるほどだったという〉
これは他人事ではないですね。私も、前のアパートは2階だったので、「床が抜けるから出ていってくれ」と追い出されました。危ないですよね。今は、みやま荘の1階だから大丈夫です。床は抜けても、下には人はいません。そうだ、床を自分で破って、地下室を作ろうかな。そうしたら、いくらでも本を置ける。
①〜④8月21日(金)〜23日(日)、阿佐ヶ谷ロフトで、「見沢知廉生誕50年記念展」が開かれました。劇団再生の記念講演「天皇ごっこ〜調律の帝国」、そして、トークライブ(高木尋士、大浦信行、鈴木邦男)が連日、行われました。大盛況でした。公演の写真は全て、平早勉さんが撮ってくれました。
⑧これが5冊の本を貼り合わせて、1冊にして差し入れした本です。差し入れは数が決まっているために、苦肉の策でお母さんが考えたものです。刑務所側だって、「どう見ても1冊ではない」と分かったでしょうが、母の愛・執念に負けて、入れたのでしょう。
⑨〜⑩お芝居が終わって、打ち上げの時、劇団の人たちと。つい私もハシャイでしまいました。そうそう、学校に行った時、「先々週のHPの写真、オチャメでしたね」と生徒に言われました。見てくれてたんですか。ありがとうございます。受験には役立たないのに。きっと「猫カフェ」に行った時の写真でしょう。又、愛猫に会いに行かニャーと。
〈戦争は残酷だ。全てを奪う。
聖戦だ、正義の戦いだ、という言葉も空しい。兵士だった彼らは、その欺瞞、空しさを糾弾する権利がある。資格がある。
戦後、彼らは、帰国を拒んだ。何があったのか。重い問いだ。国家か個人か。僕も答えが出ない。現代に生きる全ての人に見てもらいたい映画だ。大作だ〉
〈戦いの中で人は「兵器」となる。人間であることを忘れる。今も繰り返される悲劇だ。他人事ではないと思った〉
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉