今日、6月15日(月)、全国書店で発売です。『愛国と米国』(平凡社新書・760円)です。
1年半かけて書きました。何度も何度も書き直し、「もうやめようか」「とても無理だ」と思ったことも度々でした。だから、「やっと本になったか」という気持ちで一杯です。「ここは不十分だ」「ここは違う」「もっと、正確に書け」…と、編集者の注文が厳しくて、私としては、大変でした。自分の無力感に打ちひしがれながら、必死に書きました。
編集者にはとてもとても迷惑をかけました。「これはもう中止かな」と編集者だって思ったかもしれません。しかし、無能な私を叱咤し、励まし、ゴールまで走らせてくれました。米国論として素晴らしい本だと誇らしげに言う気はありません。しかし、今までとは全く違った視点から斬り込み、全力でぶつかったと思います。無力・無能な自分ですが、一切妥協しないで、頑張ったと思います。
本のサブタイトルは「日本人はアメリカを愛せるのか」です。本の帯にはこう書かれてます。
「今、〈アメリカと闘う〉覚悟を持て!
新右翼の論客がアメリカへの愛と憎しみの全てを書き下ろす。」
そうなんだ。単なる反米の本ではない。勿論、親米の本でもない。その両方を含めて考えてみた。だって、高校生の頃、愛国心に目覚めた私は、「反米高校生」だった。謀略を仕掛け、日本を戦争に引きずり込んだアメリカは許せないと思っていた。でも、同時に、アメリカの音楽を聴き、ギターを弾き、アメリカ映画を見て喜んでいた。ケネディが大統領になった時は感動し、「演説集」を買ってきて、英文で暗誦した。
「アメリカの文化、底力は凄いや!」と思った。
アメリカを憎みながら、でも、アメリカに憧れる自分がいる。これは一体何だろうと思った。高校1年の時から、「アメリカって何だろう」と考えてきた。分からないながら闘ってきた。それから今までの、自分の中の「アメリカとの闘い」を書いてきた。高校1年だと16才だ。だから、49年間の「アメリカとの闘い」について書いたわけだ。じゃ、「構想49年」と言ってもいい。しかし、16才の時は、「将来、アメリカ論を書こう」などとは夢にも思ってない。じゃ、ここ5年か10年のことか。
去年の1月、月蝕歌劇団の芝居を見に行った。その時、平凡社の及川道比古さんに会った。芝居や落語の会場ではよく会う。この時、「どうですか。うちから1冊、本を出しませんか」と言われた。「アメリカ論」だという。「ずっとアメリカを意識し、アメリカと闘ってきたんでしょう。そういう視点からまとめた本はないですから」と言う。「右翼は、いや、鈴木さんはアメリカをどう見てきたか。今、どう見ているか。それを書いてほしい」と言う。心が動いた。今まで、マトモに取り組んで来なかったテーマだ。「やってみたいですね。ただ、僕の力で出来ますかね」と迷いはあった。
それに、正直な話、「書き下ろし」はもうやりたくないと思っていた。1年以上かけて300枚近くを書く。キツイ。それに、連載ものと違い、読者の反応も分からない。方向転換も効かない。自分がどこを歩いてるのかの「道標」も見えない。不安で一杯だ。必死で300枚、書いたものの、「ダメですね。これは使い物になりません」と言われるかもしれない。「うん、徹底的に直したら、本になるでしょう」と言われ、直しているうちに、出版の話も立ち消えになるかもしれない(過去にそういう例があった)。
そんなこんなで、躊躇したのだ。
ともかく、去年の1月から考えていた。そして、全体の構成をどうしようか。何から書き始めようか。ずっと考えていた。四月の末に、木村三浩氏(一水会代表)と、北朝鮮に行った。その時、閃いた。そうか。「鬼」か。「鬼」をテーマにして、「アメリカ論」を書き始めようと思った。北朝鮮に行き、ピョンヤン郊外の信川博物館に行った。米兵による暴行、拷問シーンが描かれている。絵だが、何とも凄まじい。朝鮮の罪もない人々を捉え、殺す。ただ、殺すだけでなく、火あぶりにする。犬に噛み殺させる。首を斬る…と。
その米兵の顔を見て驚いた。本当に憎々しげだ。鬼のようだ。ここに、「鬼畜米英」がいる!と思った。日本は戦争で、「鬼畜米英!」と言って戦った。しかし、本当に、「敵は人間ではない」「鬼だ」と思ったのだろうか。違うだろう。それに、米兵、英兵を「鬼」として描いた絵はない。イラクの「フセイン美術館」に行った時も、そのことを感じた。憎らしい米兵のはずだ。殺しても飽き足りない米兵だ。しかし、絵の中に、米兵は出てくるが、「鬼」はいない。
反米運動をやってきた人々の間でも、米兵を「鬼」とは描いてない。その点、北朝鮮の信川博物館は違った。ここだけだった。世界中でここだけは「鬼」がいた。本当にいた。徹底したものを感じた。その点、日本も他の国々も甘かったのかもしれない。
そこから書き始めていった。去年出した『愛国の昭和』(講談社)では「玉砕」をテーマにして、「玉砕」にとことん拘って書いた。今回は「鬼畜米英」に拘って書いてみた。米英を当時の日本人は、「鬼」と思っていたのか。単なるスローガンだったのか。いや待てよ。鬼は、日本人の心の中にいたのか…と。
この本の扉には、こう書かれている。内容をまとめて書いている。
〈「アメリカとは何か」。この巨大な謎に立ち向かうことは、日本を考えることであり、自分自身を考えることだ。生まれる前から「反米愛国」少年だった著者が、「鬼畜米英」「ウエルカム・アメリカ」の過去から、田母神論文でも話題となったルーズベルトの陰謀説、核武装論まで、愛国派はアメリカをどう見てきたかを検討する。
従属でも、感情的な反撥でも、無視でもなく、今、〈闘う〉覚悟を持って超大国と向き合おう。〉
うまくまとめている。編集者の及川さんが書いてくれたのだろう。ありがたい。帯の裏には、「目次」まで入っている。「おっ、何だ、これは」「こんな視点から見てたのか」「どんなことを言ってるんだ。こいつは」と、関心を持って、読んでくれるかもしれない。では、目次を紹介しよう。
はじめに
第1章 「鬼」はどこにいたのか =「鬼畜米英」の描かれ方=
第2章 米兵捕虜を殺した人たち =「私は貝になりたい」と「明日への遺言」=
第3章 天皇はなぜアメリカとの戦争を認めたのか
第4章 ナチスの「思想戦争」に籠絡された日本
第5章 日米戦争に反対した右翼・赤尾敏
第6章 日本はアメリカの謀略で戦争をしたのか =田母神論文と靖国神社=
第7章 六〇年安保とケネディ大統領
第8章 六〇年代アメリカへの夢と反撥 =僕らのアメリカ観を変えたもの=
第9章 八〇年代からオバマに至る日米関係
あとがき
そうだ。扉に書いてあったね。「生まれる前から『反米愛国』少年だった著者」と。これは何だろう。生まれた後なら分かる。僕らは、戦争中に生まれたから、子供の頃から、「大きくなったら陸軍大将になる。アメリカをやっつける!」と皆、口走っていた。でも、この著者は、「生まれる前」からだ。何だろう。お腹の中にいた時から、「反米!」「鬼畜米英!」と叫んでいたのだろうか。その「謎解き」は、ぜひ本を読んでやってほしい。
それと、この本には、写真が沢山入っている。北朝鮮の信川博物館、イラクの「フセイン美術館」での写真、その他、いろんな写真だ。北朝鮮とイラクの写真以外は全て、平凡社で探してくれた。
第8章の「六〇年代アメリカへの夢と反撥」の扉につけられた写真もいい。小田実と深沢七郎のツーショットだ。
〈『何でも見てやろう』と『べ平連』で〈アメリカと闘った〉小田実(左)と『楢山節考』『風流夢譚』などを著した深沢七郎(1972年5月の市民集会。写真=共同通信社)〉
と説明が書かれている。
『何でも見てやろう』は、僕も衝撃を受け、影響を受けた本だ。それと、ミッキー安川の『ふうらい坊留学記』だ。この2冊で、私のアメリカ観は変わった。それと、日本のマクドナルド1号店をつくった藤田田(ふじた・でん)の『ユダヤの商法』だ。エッ?こんなこと言っていいのか、と思った。今なら、「非国民め!」「許せん!」と右翼に襲われただろう。その3冊については、本書の中で詳しく書いた。
又、「非国民」といえば、深沢七郎も「不敬だ!」「非国民め!」と右翼に命を狙われた。『風流夢譚』事件は1960年だ。この写真は1972年だ。12年後か。よく、出てきたものだ。
それと、もっと衝撃的な写真は、第4章「ナチスの『思想戦争』に籠絡された日本」の扉の写真だ。
〈明治神宮を参拝するヒットラー・ユーゲント。日独防共協定締結の2年後に来日し、日独の親密化に大きな役割を果たした(1938年8月。写真=毎日新聞社)〉
若くて、背が高くて、カッコいい。ヒットラー・ユーゲントが来日したのだ。それで明治神宮に参拝する。又、日本の戦死者家族に慰問金を渡す。これじゃ、日本人がシビレるのも無理はない。アメリカ、イギリスはそうした「宣伝」が下手だった。それに対し、ドイツは宣伝がうまいし、さらに「決定的な戦略」を使った、と半藤一利さんは言う。それは本文で読んでほしい。昭和天皇は三国同盟に反対したし、日米戦争に反対した。それなのに何故…と、ずっと思ってきた。その解答の糸口が見つかったと思った。
この本の中には「6月の新刊」紹介が入っている。私の本は、こう紹介されている。
〈日本人はアメリカをどう見てきたのか。「鬼畜米英」か、解放軍か、日本を骨抜きにした謀略国家か、軍事・外交一体の同盟国か? 新右翼の論客が反米・親米を整理し、新しい視点を提示〉
よくまとまっている。特に最後の1行だ。「反米・親米」を整理している。日本の知識人や左右両翼の全ての米国論を紹介し、整理してるわけではない。しかし、整理している。少なくとも自分の内の「反米」「親米」の感情、闘いは整理している。そして、「新しい視点」を提示していると思う。
最近、「お前は自虐的だ!」とよく言われる。「左になった」とも。「愛国心がない!」とも。でも、自分の気持ちが〈日本〉から離れたわけではない。むしろ、近くなったのだ。どんどん近くなり、〈日本〉に突入した。〈日本〉そのものになった。私が〈日本〉だ。そうなったのだ。超国家主義者になったのだろう。国家と自分が一体になり、離れられない。
それが徹底した。その意味で「超国家主義」だ。それと同時に、その日本を抱えながら、大きく超越し、飛び出す。その意味でも「超・国家主義」なのだ。
日本を離れ、日本を嫌いになったのなら、問題は簡単だ。そうではなく、ますます日本を愛し、愛(いと)しくなり、一体になっている。それ故の苦悩であり、迷いであり、疑問なのだ。それが今、ドッと私に押し寄せてきた。それを「混乱」と言う人もいるだろうし、「転向」「退歩」という人もいるだろう。でも、もう「他人の目」はどうでもいい。自分で、〈日本〉をひしと抱きしめながら、叫び、泣き崩れている。それが今の私だ。
劇団再生の高木尋士氏がこんな感想をメールしてくれた。
〈鈴木さんの普段で、「右翼からも左翼からも怒られる」「叩かれる」というのは、それはもう当然です。
鈴木邦男が日本であり、近代日本なのですから、その思想的下位置にある左右イデオロギーや時局論展開では、理解のしようがあるはずがありません。本書の立場に立てば、鈴木さんは、これからももっとバッシングされるでしょう〉
ありがたい。私を最も理解してくれている。そうか。私は「近代日本史」なのか。だから、迷い、悩み、呻吟し、苦悩もするのだ。日本の近代史の全てが正しいわけではない。〈悪〉や〈間違い〉を見ずに、明るい、正しい部分だけを拾い集めて見るのが愛国者なのか。そんなことはない。又、ことさら、悪や間違いだけを集めて、見つめることでもない。正しいこと、明るいことも、間違ったことも、悪いところも、全て見て、それでも愛(いと)しいと、抱きしめてやるのだ。自分の子供が悪戯し、悪さをし、あるいは事件を起こすかもしれない。そのたびに、「こんな子は私の子ではない!」といって捨てたり、リセットしてたのでは、子供はいなくなる。〈全て〉を含めて、抱きしめてやるのだ。やんちゃで、だだっ子だった〈日本〉という我が子を、抱きしめている。その母親なんですよ、私は!
だから、そう思って読んでほしい。母が「親バカ」で子供の自慢をすることもある。我が子ながら、他人に、「見て、見て!」と誇らしげに言う時もある。自慢もする。と同時に、皆の前で、我が子を叱ったりもする。でも、それは〈愛情〉があってのことなんだ。あたたかい目で、そこは読んでほしい。そして厳しく叱ってほしい。
⑤この本にも入れましたが、去年の4月、北朝鮮の信川博物館で撮った写真です。朝鮮戦争の時、米軍が朝鮮の民衆を拷問し、虐殺した。その残忍な場面を描いた絵です。米兵の顔が、まさに「鬼」です。拷問で、女性の歯を抜いてます。
⑨6月6日(土)新宿のSPACE107で劇団東京ミルクホールの第13回本公演「ズッコケ蟹工船」を見ました。面白いし、素晴らしい舞台でした。小林多喜二の『蟹工船』をこういうふうに料理するのかと、驚きました。主演・ズッコケ3人組の1人を演じた哀原友則さんと撮りました。
⑩『ズッコケ蟹工船』の作・演出の佐野崇匡さんと。脚本を書く上で、私の本を読んで参考にしたと言ってました。ありがたいです。光栄です。私の本など比べものにならない、素晴らしい舞台です。衝撃を受けました。「なるほど、ここを思い切り強調するのか」「ここは、芝居として思い切り遊んでみるのか」と、脚本家のアイデア、創作力に感動し、刺激になりました。見沢知廉氏の脚本を書いた高木尋士氏もそうですが、脚本家は凄い。私なんて、とてもかなわない。同じく文字を使い、活字にするのに、何が違うのだろう。どんな勉強をしたら脚本をかけるのだろう。又もや「疑問」が生まれた。お二人には、これから、じっくり聞いてみたい。
⑪「アエラ」(6月15日号)です。蓮池透さんの『拉致・左右の垣根を超えた闘いへ』(かもがわ出版・1050円)を書評しました。これはとてもいい本です。感動的な本です。一気に読み、考えさせられました。国民全てに読んでもらいたい本だと思いました。この本の帯にはこう書かれています。
〈政府が家族の意向に逆らっても対策をとることが必要な場合もある。感情的になりがちな家族と政府が同じ水準であってはいけない〉
家族会事務局長だった蓮池さんだからこそ言えることだ。勇気のある本だと思った。
〈天皇制と民主主義は両立するのか。天皇制は民主主義の例外か。民主主義の欠陥を補うものか。あるいは、完全な民主主義実現のためには廃止すべきものか。天皇制を「休む」という選択肢も含めて危ないテーマについて考えてみる〉