田母神俊雄さん(前航空自衛隊幕僚長)は、「時の人」だ。最も忙しい人だ。引っ張りだこだ。「今月はこれから15回、来月は25回、講演の予定が入ってます」と言う。そんな多忙な中、一水会フォーラムによく来てくれた。ありがたい。1月20日(水)、高田馬場サンルートホテルだ。演題は、「日本は侵略国家であったのか」。
話は分かりやすい。それに面白い。「自衛隊のトップだから、堅苦しい人だと思ったが、こんなにユーモアのある人とは思わなかった」と聞いていた人は皆、言う。ユーモアだけではない。カリスマ性もある。顔もいい。「トム・クルーズに似ている」と本人が言うくらいだから間違いない。
「これはクーデターだ」と言う人もいるが、本人は笑って否定する。「そんな怖い事は考えてませんよ。この日曜日にはゴルフに行くんだし」と言う。外国のクーデターのように軍のもとに自由がなくなっては、たまらないと思っているのだろう。「私は、この国を愛している。この国はいい国だ。そう言っただけでクビになった」と言う。クビを切られた経過についても詳しく話してくれる。ウーン、そうだったのかと、初めて聞く話も多い。
超満員だった。1時間半の講演の後、質疑応答。かなり自衛隊の内部事情や機密に食い込んだ質問もある。それでも、丁寧に答えていた。中には、「閣下!」と言って質問する人もいる。「大阪のローカル番組で、“三島事件の時はノンポリだった”と発言されてましたが」と質問する人もいた。「たかじんのそこまで言って委員会」のことだ。でも、ローカルじゃないよ。日本全国で放送されている。東京近県だけは「戦略上」外しているのだ。でもネットの「You
Tube」などでは見れる。便利になったもんだ。(ちなみに「ノンポリ」っていうのは、ノン・ポリシーだね。政治的主張、考えがないということだ)。
あの時は、僕もビックリした。何と正直な人かと驚いた。だって、これだけになった人なら、自分の中で〈ストーリー〉を考える。作る。三島事件について聞かれたら、普通なら言うよ。「ショックでしたね。当時は学生だったからよく分からなかったが、それ以来、考えてました。あれがキッカケです」というように“作る”だろう。
でも、田母神さんは違う。当時の心境を、そのまま正直に言う。「何も感じませんでした。ノンポリでしたから」。そんなにハッキリ言っていいの?とこっちが心配になった。
三島事件の時は、田母神さんは22才。防衛大学の学生だ。防衛大学に入る時点で、大きな「政治的決断」をしたのだから、「ノンポリ」ではないだろうと思ったが。でも、親類に自衛隊の人がいて、かなり普通に入ったようだ。防大というのは(今もそうだろうが)、試験は難しい。「東大よりも難しい」と言われた位だ。それに防大は、入学金も授業料もタダだ。その上、「給料」まで出る。だから全国からドッと受験生が殺到する。
田母神さんは福島県郡山市生まれだ。生まれは私も同じ郡山だ。私は、親父の仕事(税務署)の関係で、すぐ、他に移る。だから、郡山の記憶はない。田母神さんは生まれた時から郡山だ。高校は安積(あさか)高校だ。安積高校は福島県では一番レベルが高い。東大や防衛大にも毎年何人か入るという。じゃ、田母神さんは小学生の時から、ずっとトップだったんだろう。一番とか二番とか。そう思って聞いたら、「そうです」と答えた。この点も正直な人だなと思った。変に謙遜して事実を曲げることはない。爽やかだ。
70年の三島事件の時は、防衛大学学長は猪木正道だ。自民党よりはちょっとレフト、という感じの人だ。民社党系だろう。歴代の防衛大臣がそうだが、「ちょっと左より」の人が多い。世論を気にしているのか。右翼的、国粋的な人だと、「クーデターを起こすのではないか」「戦前の軍隊に戻るのではないか」と疑念を持たれる。それが怖いのだろう。時代の空気におもねっていたのだ。
三島事件の時の防衛庁長官は中曽根康弘。首相は佐藤栄作だ。2人とも、三島を徹底批判した。「これは許せない」と。「気が狂ったとしか思えない」とも言う。猪木正道もそうだ。口を極めて批判した。
では、当時は、防大生だった田母神さんはどうだったのか。ノンポリで分からなかったという。でも、猪木たちの批判を正しいと思った。三島に対し批判的だったのだ。しかし、今は、「時代を見通した、感性豊かな人だった」と評価している。では、いつ頃から変わったのだろう。「たかじん」で一緒に出た時は、時間がなくて、そこまで聞けなかった。一水会フォーラムの時は、その「秘密」を打ち明けてくれた。30才の時、渡部昇一の本を読んだのがキッカケだったという。自衛官の研修で、渡部の話を聞き、彼の本を読み漁った。特に、日米戦争に突入する経過を書いた本だ。あっ、これが真相だったのか。あの戦争の原因はこれだったのかと分かった。それまでの「自虐的歴史観」が払拭された。それから、ずっと、いろんな本を読み、考えるようになった。そして、40才には確固とした考えを持つようになり、「あとは今まで同じです」と言う。
そうだったのか。渡部昇一の影響なのか。じゃ、クーデターなど考えないだろう。
田母神さんの話は、面白かったし、人を惹きつける。又、ユーモラスなところもあり、笑わせる。うまい。今まで、自衛隊をクビになった人は何人かいる。その時々に憂国の発言をして、話題になった。しかし、残念ながら一過性だった。でも、田母神さんは、残ると思った。話が面白いし、勇気がある。ノンポリの大学生だった時、落語が好きで、休みの日にはよく寄席に聞きに行ったという。それがあるのだろう。だから、人間的に大きい。寛容だ。「たかじんの時は失礼しました」と言った。失礼な質問もしたし、批判もしたからだ。「いや、いや」と言っていた。ご本人は全く気にしていない。
政府見解と反対のことを言い、処分された。憲法下の自衛隊なのだし、それも仕方ないのかと思われたが、一水会フォーラムの話を聞いて、それは違うと思った。たとえば、アメリカでは軍のトップがイラク戦争に反対の発言をしても、それで処分はされない。他の国でもそうだ。政府のやることに「反対」と言う自由はある。それが民主主義国家だ。その「反対」の考えに基づいて、勝手に兵を動かしたり、政府を攻撃する行動をしたら、それはクーデターだから処分される。当然なことだ。しかし、「反対」という思想・表現で処分されることはない。
「それに私は、日本はいい国だと言っただけでクビになったんです」と言う。憤懣やるかたない気分だろう。
日本の防衛大学学校長だって、「ちょいと左寄り」の人が多い。その人達は、政府のやることを批判していた。でも、その「思想」「考え方」でクビになった人はいない。「私だけがクビになった」と言う。多分、政局がらみの思惑があったのだろう、と言う。それはあるのだろう。
どんどん喋らせたらよかったのだ。それを受けて、大いに議論したらいい。それなのにすぐ「クビ」だ。又、国会に呼びながら、十分に喋らせない。喋ろうとすると、「ここはあなたの思想宣伝の場ではない」と言って抑える。だったら、何故、呼んだんだ、と言いたい。田母神さんとは又、ゆっくり話を聞いてみたい。東北人は正直だし、純真だと思った。
そうだ。田母神さんの前日も一水会フォーラムがあったのだ。2日連続してのフォーラムだ。こんなことは、一水会始まって以来だ。1月19日(月)は井川一久さんが講師で、「オバマ政権誕生、『日本独立』への好機」でした。オバマ政権への期待を語り、アメリカの金融危機を救うために日本も力を貸したらいい。そのかわり、どしどし「提言」をする。その好機だと言う。アメリカの自動車のビッグ3は日本が救ってやる。そのかわり、環境問題にこれだけのことを取り組め。そうした提言をすべきだと言う。アメリカだけでなく、中国、北朝鮮に対しても、「こういう具体的な提言をしろ」と言う。なかなか建設的でいい話だった。
井川さんは元朝日新聞記者。その後、「朝日ジャーナル」に移り、さらに朝日新聞の編集委員になる。一水会との縁は深く、かなり長い。「福島県でやった一水会の合宿にも行きました」と言う。そこでカンボジアの虐殺の話をして、レコンに載った。あの時は、「虐殺なんてない」と言ってた人々が多かった。「レコンに載せてもらい、ありがたかった」と言う。井川さんは、随分と叩かれたという。「民主カンボジアがそんなことをするはずはない」という論調が多かった中で、井川さんだけが孤軍奮闘した。今では信じられない状況だ。
僕は、「朝日ジャーナル」の記者だった頃から井川さんを知っている。25年前(1984年)に僕は「朝日ジャーナル」の「若者たちの神々」に載った。筑紫哲也さんが編集長だった時だ。だから、その頃からの付き合いだったと思った。でも、井川さんとの付き合いは、もっと古いのだ。「『神々』の9年前に鈴木さんに会って取材しました」と井川さんは言う。エッ?そんな昔なの。驚いた。
「朝日ジャーナル」で、「没後5年。三島由紀夫は甦るか」という特集をやった。「その時、鈴木さんに会って取材した。高田馬場の喫茶店・松竹二番館です」。西友の地下にあったんです。
凄い。記者は記憶力もいい。
少し整理しよう。1970年に三島事件があり、1972年に一水会が出来た。1974年に私は勤めていた産経新聞社をクビになった。その翌年、1975年に、井川さんに会っている。
じゃ、34年前じゃないか。その34年の間には、実にいろいろなことがあった。「赤報隊事件でも随分と警察に聞かれました」と言う。マスコミの中では一番、一水会に近い。それで赤報隊の声明文を全部見せられ、「一水会の犯行だろう」と聞かれた。しかし、井川さんは、「いや、それは違う。彼らは『反日』なんて表現はしない。思想も違う」と、はっきりと言明した。それで一水会の容疑も晴れたのだろう。「ありがとうございました」とお礼を言った。井川さん、それに田母神さんの講演の要旨は次の「レコンキスタ」に載るだろう。楽しみだ。
さて、井川さんの一水会フォーラムの2日前、前田日明(あきら)さんの結婚式があった。その件も報告しておこう。写真も紹介する。1月17日(土)、六本木のグランド・ハイアットホテルで行われた。午後1時30分から、3時間。豪華な結婚式だった。初めの写真は、新郎新婦が、キャンドルサービスをした時だ。各テーブルを回って、ローソクに火をつける。そして一緒に写真を撮る。歓談する。そのテーブルが、50位もある。1つのテーブルのローソクに火をつけ、話をし、記念撮影をする。それだけで、何分かはかかる。だから、全部を回るのに1時間もかかってるのだ。凄いね。
又、吉川晃司がギターを手に歌う。これにも驚いた。この日は、「ごく内輪の結婚式」だったというが、300人位いる。格闘家が多い。それに、俳優、タレント、雑誌編集者などだ。一番初めに祝辞を述べたのは谷川貞治さん。K−1の責任者だ。前田さんとは付き合いは長い。どんな話をするのかと思ったら、いきなり、「前田さんは巨乳好きで…」。何ちゅう祝辞だよ。K−1でもラウンドガールは巨乳だけを集めた。オランダに行っても、飲み屋で巨乳だけをそばに呼んだ。と、そんな話ばっかりだ。3分間スピーチの間に、「巨乳好き」という言葉が8回も出た。何だ、これは。又、その数を、指を折って数えていた馬鹿もいる。それも凄い。
前田さんは愛国者だし、今は刀剣に凝っている。「刀こそ日本人の魂だ」という。それと巨乳だ。巨乳も日本の文化だと思っているのだろう。でも、日本文化は「控え目、謙譲の文化」だ。お乳も謙虚な「微乳」が美しいとされた。「巨乳が素晴らしい」というのは「アメリカの思想的謀略だ」と言う人もいる。私は頭が悪いから、そんな難しい事は分からない。これに関してはノンポリだ。
会場では、いろんな人に会った。まず、須藤元気さんに会った。そろそろ出るが、次の『創』に前田さんの思想と、須藤さんの思想について詳しく書いた。須藤さんは、もの凄い勉強家で、私も、教えられている。今度、拓大のレスリング部の監督になった。同時に、大学院にも入り、勉強し直しているという。本も沢山書いている。又、「どっかで対談したいですね」と言っていた。浅草キッド(水道橋博士、玉袋筋太郎)に会った。彼らも勉強家だ。水道橋博士は、かつて付き合っていた女性を前田さんに取られそうになったと、「衝撃の告白」をしていた。きっと巨乳だったのだろう。極真会館の松井章圭さんに久しぶりに会った。日本の空手について大山さんについて、いろいろ聞いてみたい。
幻冬舎社長の見城徹さんも久しぶりだ。「大活躍ですね」と言われた。私なんて何もしてない。見城さんこそ「名編集者」として有名だし、次々と大ヒットを飛ばしている。ご自分の本も書いている。「鈴木さんと初めて会ったのは落合の喫茶店トップでしたね」と言う。記憶力がいい。今はその喫茶店もない。
見城さんが月刊『野性時代』の編集部員だった時だ。原稿を頼まれたのだ。産経をクビになってすぐの頃だ。じゃ、井川さんと知り合った頃と同じか。その時『野性時代』という文芸誌に原稿を書いた。文芸雑誌に原稿を書いたのなんて、生れて初めてだ。これからもないだろう。「美しく、凄まじく」という文を書いた。苦労して書いた。思い入れがある。私の昔の著作集に入っている。格闘技界の大御所、藤原敏男、真樹日佐夫さんらに会った。迫力のある人達だ。
角川書店の社長だった角川春樹氏がいたので木村三浩氏に紹介してもらった。「初めまして」と言ったら、「何回も会ってるよ」と言われた。「この前も宮崎学と一緒に会ったじゃないか」。うっ、いかんなー。忘れてる。記憶力がパーだ。角川さんは国学院大学だったんですよね。「そうだよ。そこの右翼学生だったよ」と言っていた。
私たちのテーブルには、高須基仁氏、木村三浩氏、上島嘉郎氏(「正論」編集長)など。「おれもとうとう、右翼にされちゃったか」と高須さんは言っていた。
角田信朗さん(正道会館最高師範)に挨拶したら、「鈴木さんにはいつも厳しい批判をされてますね」と言う。エッ?と思った。「でも、書いてくれるのは、ありがたいんですよ」と言う。そんな。厳しいことなんて書いてませんよ。と心の中で叫んだ。帰ってきて心配になって、『ゴング格闘技』のバックナンバーで私の連載を見たら、K−1のある試合について、「レフェリーの角田に責任がある」とかなり厳しく批判していた。ゲッ、ちゃんと覚えていたんだ。書いた私は全く忘れていたのに。角田さん、すみませんでした。
『ゴン格』編集長だった熊久保英幸さんに会った。連載をしてた時は、とてもお世話になったし、いろんな格闘家に会わせてもらった。高田道場にもよく行きましたね、と言ったら、桜庭和志さんに会った。当時はよく高田道場で会った。スポーツライターの吉田豪さんにも会った。「この前のロフトは凄かったですね」と言う。
渡辺文樹さんの映画「天皇伝説」をめぐって、ロフトでトークし、そこに右翼の人が押しかけて、大騒ぎになったイベントだ。「あれはガチンコ勝負で、スリリングでした」と吉田さん。「私だって怖かったですよ」という話をした。
格闘家の菊田早苗さんは落合に道場を開いている。時々会う。最近は元柔道のオリンピック金メダルの吉田秀彦と闘い、見事勝っている。「寝技世界一」といわれる実力者だ。格闘家の平直行さん、高阪剛さん、矢野卓美さんなどに会って話をした。
「随分、顔が広いですね」と木村氏に言われた。一応、「格闘技評論家」として、連載を持ってたし、本も書いてるからね。それに、右翼や左翼だって、格闘技のようなもんだよ。だったら警察も入れて、リングで堂々と闘えばいいんだよね。
結婚式が終わって帰る時、新郎新婦が見送ってくれる。前田さんは上機嫌だ。隣りの奥さんは美人だ。大きく胸の開いたドレスを着ている。やっぱり巨乳だった。